書感とランダム・トーク

人間の本質を根本原理から追求研究する内容さらに遡っては生物・植物その他をサイエンス的原理から考察する。どうぞ御寄稿を!

自己責任と言うけれど! ランダム・トーク:散歩道

2008年12月29日 | Weblog
まじめに働いていたけれど、会社の経営が難しくなり、解雇された。その人に”頑張れ!” と言えるだろうか?
ここ十数年気になる言葉に ”グローバルスタンダード”というのがある。地域ごとの特徴、小さい会社の独自の規格などを認めず、世界基準を強制し、大量生産すれば効率的にものが出来て豊かに物が出回る。という発想だ。そして、効率のひとつとして、長年働いてきた人でも、会社の都合で解雇する。

村の人々・家族皆んなで力をあわせて畑を耕し肩を寄せ合って生きて日本の田舎。しかし、そこに”姥捨て山”と言う言葉がある事から分るように、あまり働けなると、食料を辞退するために山に捨てられて、そこで自然死、という習慣もあったようだ。それから考えれば、今の世のなかは天国のはずだ!。

合理的、効率的に物事を運ぶ現代に生きる現代の人本当の幸せを感じているだろうか?失業した人は規格からはみ出した効率の悪い存在だから、はみ出したことも自己責任なのだろうか?

最近、ある若者の本心をじっくり聞く機会があった。すこしばかり挫折して、やっと立ち直ったところだ。何をしたいかをしつっこく問い詰めると、”本当はチャランポランに好きなことをしたい”と言う。聞いた途端、えっ!と思った。

しかし、よく観察すると、その青年は気が向くと誠に良く働くし親子兄弟誠に仲がよい。やや大きな財産を兄弟が分ける時も誠にあっさり、自分は大して要らないと、辞退してしまう。チャランポランとは今の世の中のように、すぐ弁護士に依頼して、しっかり財産を分けたりするのと正反対で、誠にあっさり、チャランポランに分けちゃう、と言うことなのである。

こんな青年が、世の中で ”チャランポラン”に生きて行くのは誠に難しくなってしまった。この青年に自己責任で頑張れ!などといえるだろうか? こんなおおらかな気持ちを持った青年が、世の中で生き延びてゆくことが出来るように、何かをしなければいけないのは、我々大人の自己責任ではないだろうか?何とかしなければとと思いながら、今年はもう暮れそうだ。散歩道

ホツマツタヱの文字に見る漢字・絵文字への要素考 ランダムトーク:藤田昇

2008年12月20日 | Weblog
紀元前に既にあったホツマツタヱの文字(おしで文字)は母音を示す構成要素と子音を示す構成要素から成り立っている音節文字が基本になっています。

「あ」から「わ」までの48文字のうち、天地を示す渦巻き文字の「あ」、「わ」は別格ですが、その他にもいくつか特別の意味を示す文字がありますので紹介します。

例えば、「ひ」の場合、

太陽、お日様を意味する場合の「ひ」
「ひ」たかみ=日高見(今の仙台市多賀城付近) 
「ひ」しろのよそほ=日代(景行天皇の代)の四十年 など

炎の火を意味する場合の「ひ」
きり「ひ」のむかい「ひ」に「ひ」みつのはらい=切り火の向かい火に火みつの祓い

~人、~姫など人を意味する場合の「ひ」
やまと「ひ」め=ヤマト姫、
おと「ひ」めはきみのてをとり=おと姫(おとたちばな姫)は君の手を取り

一、二、三の、ひぃー、ふぅー、みぃーと数字の「一」を意味する場合の「ひ」
そむを「ひ」とおり=十六を一折、
「ひ」とりみゆきのやまとだけ=一人御行きのヤマトダケ などが確認できます。

そして、機織に欠かせない「ひ」=梭も特別の文字を当てはめており、当時、織物は重要なものであったことが伺えます。(なお、本文の内容部分の解釈については高畠精二氏の解釈を基にしています)

これらの特別な「ひ」という文字は「ひ」と読むと同時に、それぞれ意味も分かる表意文字の要素が既にあったことに驚かせられます。

漢字が渡来して以来、平安朝になり、ひらがなが生まれても、意味を持つ訓読み漢字をあてはめていったことが、ごく自然に発生し、今に至ったのはホツマの時代から素地が既に出来上がっていたものと考えますが如何なものでしょうか。

さらに、今、日本の若者に携帯メールで流行っている絵文字への流れも、根底に同じ要素として、農耕民からきた仲間意識や、仲間内での共通意識から来ているのかなと感じた次第です。 藤田昇

正義で地球は救えない 書感:辻修二

2008年12月20日 | Weblog
池田清彦+養老猛司 新潮社 本体1,000円 2008年

いわゆる「多数意見」や「正義正論」に真正面から立ち向かうには、相当な勇気と反論の裏付けが要る。本書は、人類最大の関心事?である地球温暖化について、生物学者と解剖学者が“本当の環境問題とは何か”を本音で語り合う、少数意見派にとってはうれしい1冊である。本書によれば、この国のマスコミは多数意見や根拠のない正論が大好きで、少しでも世間の考えかたと違う意見を新聞に書こうものなら、編集部からは“困ります”といわれ、読者からは“そんなことをいってもよいのか”と苦情が来るそうだ。
帯に“あまりに無益な「CO2排出量削減」キャンペーン、ひどく不合理な「自然の生態系保護」政策…”と刺激的な字句が踊り、“「地球温暖化脅威論」こそ脅威”で始まる導入部からして十分に挑戦的である。
まず、地球温暖化論議の前提となった、スーパーコンピュータを使った国連お墨付きの温暖化モデル自体が、パラメータを変えるだけでどのような結果にもなり、官僚や政治家が恣意的に分析・解釈できるような、まるで未来予測とは程遠い代物のようで、ほとんどCO2を出していなかった20世紀前半の気温上昇は太陽活動などの自然変動、石油の大量消費が始まった後半の温暖化は人為的変動とみるのは、あまりにも都合が良すぎないかと疑問を呈する。
 最近の調査では、1600万年前の東北地方の冬の気温は、現在より10℃以上も高かったことが花粉の化石などからわかっているそうで、地球は誕生以来、温暖化と寒冷化を繰り返していることを考えれば、最終氷河期から1万数千年経て、現在はたまたま温暖な時期にあるだけということもできる。ただ、生物の長い歴史からいえば生物種は現在が最多なようで、その数は1000万種以下とも3000万種以上ともいわれ、著者の専門の昆虫でさえ名前や生態を正確に把握できていないのが大部分という。だから、「生物多様性の保全」を唱える関係者自身が、生態系のシステムを理解していないのではないかと著者らは指摘する。人類の利益にとって最も重要なのは種の多様性の保存であり、コストをかけて外来種の駆除や固有種の保存に無駄な努力をするよりも、人工飼育や養殖、交雑などを活用しながら、変化する生態系をバランス良く保存することのほうが重要と説く。
石油文明はヨーロッパやアメリカがつくり上げた。彼らの本音は、新興国はその文明に参入するな、である。温室効果ガスの排出基準を決めたいわゆる京都議定書は、日本だけが貧乏くじを引いた。日本は今こそ、欧米標準から脱却しなければならない。電気自動車が期待されているが、その電気をつくるにも膨大な化石エネルギーを必要とする。コストのかかるエコバッグや有料ゴミ袋をつくるより、タダ同然の低質廃油からつくるスーパーのレジ袋で十分。CO2を減らすには、石油を減産するか炭素税をかければよい…、本書の筆法は小気味良い。
 環境問題とは、CO2削減でも生物種保全でもなく、つまるところ人口問題と食糧問題である。世界レベルで見ると、石油に代わる安価で効率の高い代替エネルギーを開発できない限り、人口を抑制しなければ,最終的には食糧や水をめぐって戦争や大量餓死といった事態が発生するのは明らかである。そこで本書の大胆な提言が、誤解を恐れずにいえば“世界の人口をどう合理的に減らすか”だ。そして、現在の石油をできるだけ有効に使い、引き続き人類を養える新しい代替エネルギーを開発することだと結んでいる。
コスタリカは英語で“リッチコースト”、「豊かな海岸」と呼ばれるそうだが、資源が何もない。その代わり、緑豊かで世界の5%以上ともいわれる数十万種の生物が生息する。そこで、バイオ・プロスペクティング(生物資源探索)という手法で、植物や昆虫、微生物を調査、採取して製薬化を実現する、いわゆる自然保護立国をはかっているという。資源はないが森林に恵まれた日本も、同じ方法で工業立国と同時に自立分散型の自然立国が可能かもしれないという提言が、なんともユニークである。

歌ごころ    ランダムトーク寄稿:山崎義雄

2008年12月16日 | Weblog
NHKの紅白歌合戦をあまり見なくなって久しい。もちろん歳のせいもある。私も若い頃は作詞活動をしていて、いまも日本音楽著作権協会の会員だ。しかし昨今の紅白に出場する歌い手は、ほとんど名前を知らない若者達になってしまった。
 ある時、5~6人の仲間の雑談に加わったら、「ユズ」の話をしている。一人が「クズ」もよかったよ、とか言っているので、「ああ、澱粉質のお湯で練って食べるあれネ」と私が言ったら、ぴたりと会話が途絶えて、それから爆笑になった。どちらも一頃人気のあった歌グループの名前だとは知らなかった(ユズ、クズはローマ字標記なのかも知れない)。
 それにしても紅白歌合戦、暮れの夜中にテレビの前に座っているのは、ほとんど行き場のない爺さん婆さんだと思うのだが、何で若者歌手が舞台ではしゃいでいるのか不思議に思うのは私だけだろうか。高齢者向けの歌をもう少し大事にすべきではないか。
 数日前、若者達がわいわいやっているテレビ番組で、誰かが「演歌って何歳ぐらいから歌い出すンだろう」という疑問が出て、これに若い女の子が「人生ろいろあって、ハアーって思ったらしみじみしてくるンじゃないですかー」と言っているのを聞いて笑ってしまった。私は爺様ながら「ながら族」で、テレビやラジオを付けっ放しでパソコンで原稿を入力したり本を読んだりすることが多い。
このエッセイをパソコン入力していた時もテレビがついていて、紅白出場が決まった何とかいう女性歌手の歌が流れてきた。「なぐーてやるーておもーてた」という呪文のような一節があって、「なんじゃこりゃー」と思ってテレビ画面をみたらテロップに「殴ってやるって思ってた」とあった。これは作曲上の言葉としての表現も大事な歌詞も、まともな日本語になっていない。近頃はこんな歌が多い。
稀代の作詞家、言葉の魔術師と言われた阿久悠の、ラストメッセージともいうべき著書「清らかな厭世」には、「言葉を無くした日本人へ」というサブタイトルがついている。麻生首相も漫画オタクで漢字が読めない。言葉の意味がますます軽くなって行く。
演歌もだめだ。歳をとって情感が薄れたせいもあるが、昨今の底の浅い軽薄な演歌は聞きたくない。むしろ古い歌い手の、義理、人情、根性、誠意など古い徳目を歌い込んだ歌が改めて心に浸みてくる。
今の時代は、例えば「父や先生や名もなき職人達からボソッと語られる」ような「大人たちが英知と生への実感で作り出した言葉」が失われた時代だという阿久悠の嘆きがよく分かる。

「ひみつ」の秘密の続き  ランダムトーク:藤田 昇

2008年12月11日 | Weblog
ひみつのはらい」を実際にヤマトタケが使った場面が「ひみつ」の秘密の続きです。

ヤマトタケは「やまと姫」からひみつ(火・水・土の術)の祓いの術を授かった後、東征に向かいます。 そして富士山の裾野まで来たときのことです。

ゑみしのやから せめのぼる すそのにであふ やまとたけ(39綾-23)
エミシらの対応は素早く攻めてきました。富士の裾野でヤマトタケはエゾ等と出会います。

ゑぞらあざむき ののしかゝ いきりたちて ふみしだく しもとゆふして 
みちをしる のそみめぐりて かりたまえ(39綾-23~24)
エゾ等は言葉巧みに計略をはかりました。この辺は野性の鹿が群れを成して息が霧のように立ち昇り山を踏みしだいて(荒らして)います。木の枝の乱れ絡みで鹿の道が分かります。存分に鹿狩りを楽しんでください。

きみはげにとや ゆきもとむ 
きみ(ここではヤマトタケのこと)は「分かった」と言って鹿を求めて野に入っていきました

あたのをやきて あざむけば しりてきりひの 
むかい火に ひみつのはらひ みたびのる(39綾-24~25) 
敵は頃合いを計って辺りの野に火をつけました。ヤマトタケは欺かれたことを知って、切り火を起こして迎え火を放ち、秘密の祓いを三度唱えました(祈った)。

こちふきかわり にしけむり あだにおふえば くさをなぐ もえくさとびて 
あたいくさ やきほろぼせば やけづのや つるぎのなをも くさなぎて((39綾-25~26)
今まで吹いていた風が東風にかわって、西に煙がなびくようになり、仇(敵の頭上)に火が覆いました。ヤマトタケが草を薙ぎ払うと燃え草が飛び行きて賊軍(アダイクサ)を焼き滅ぼしました。
ここを焼けた野原(焼津)と言うようになり、(焼津の語源)これ以来、むらくもの剣の名前も草薙の剣というようになりました。(草薙の剣の語源) この剣は昔ソサノウが使った剣でやまと姫から授かったものです。

なお、ヤマトタケは帰路の信濃木曽路で自然との闘いに、もう一度秘密の祓いをしています。

秘密という言葉の使われ方も良く分かり、語源としても納得できたと思います。

ここで、驚くことに、秘密という漢字が両方とも音読みで、ぴったり言い表わしており、まるで中国からそのまま渡来したもののように見えるから不思議です。
訓読みで構成されていれば明らかに日本独自の言葉と言えるのですが、如何なものでしょうか。
卑弥呼が貢ぎものとして贈った中にこの「ひみつの祓い」という術も含まれていた可能性があると考えます。考えすぎでしょうか?

以上、藤田 昇(本文は高畠精二氏の解釈を元にしています)

主婦感覚の重み       ランダム。トーク:山崎義雄

2008年12月11日 | Weblog
麻生首相は、立て続けに漢字を読み間違えて世間のひんしゅく(当用漢字表にはないが漢字で書けば顰蹙)を買っている。自称、漫画オタクの麻生首相だ。漫画嫌いの高齢者などは漢字に弱い麻生さんを内心ではさもありなんと笑っているかもしれない。
 前に麻生首相の、高級ホテルのバーやレストラン通いのことを書いた。そのことについて、主婦の味方だったはずの読売新聞の「編集手帳」氏が、そんなことはどうでもよい話ではないか鷹揚に構えていたのに対して、カネ持ちの味方日経新聞の「春秋」氏が、主婦などはカチンとくると主婦感覚におもねっていたのがおもしろい。
これはその続きのような話になる。先の日経「春秋」氏は、麻生首相がスコッチ一杯2,000円ほど、「高くはない」というが、そのくらいで夕食を賄っている主婦などはやはりカチンとくる、という。
そこで私は、気の置けない仲間の主婦や女性数人に聞いてみた。分かったことは、カチンときたりそれほどでもなかったり程度の差こそあれ、麻生首相のアフターファイブに対する女性群の反応は否定的だということだ。そんな話の中でとりわけおもしろかったのは、スーパーなどでの食材選びのはなしだ。
最先端の?主婦感覚が最も気にするのがモヤシの値段だというのだ。これには3人が同意した。モヤシは家計が苦しくなった時やり繰りする主婦のお助けマンで、青い野菜などは煮ると量が少なくなるが、モヤシは「カサ」が減らず、野菜や豆腐、肉、魚、何にでも相性がよいのだという。だから「今日は一袋37円、昨日は17円だった。いつかは14円の時もあった」などと、克明に記憶しているらしい。
こういう主婦が家計を守っているのである。また、ある調査では、生活防衛のためにまず何をするかという問いに、多くの回答者が第一に食費を切りつめると答えている。また別の、高収入家庭のセレブ主婦を対象とした調査でさえ、ブランド品に対する興味などは意外に低く、家計の節約に励んでいる実態が明らかになっている。
これではいくら麻生首相が「定額給付金」をバラ撒いて景気回復を狙っても、ホイホイと右から左に貰ったおカネを使おうとする訳がない。おカネを貰って喜ばない人間はいないが、それを手放したがらないのも人間だ。
世論調査では麻生首相の支持率が30%前後に落ち込んでいる。漫画オタクだ。漢字を読めない。夜遊びをする。そんな政治の外野での言動だけならまだしも、政治家として軽薄な感じが見えてくるのは問題だ。麻生首相は主婦感覚の重みを知るべきだ。 (2008/11)

アジア三国志 書感:智致望

2008年12月10日 | Weblog
著者 ビル・エモット  日本経済新聞出版社  定価 1800円
本書は、経済発展の凄まじさが話題になっている中国とインド、そしてこれから関わる事になる我が日本を題材にした書籍であります。
この書の初版が、2008年6月であります、本書にて米国発のサブプライムローンにも触れてはいるものの、その後より大きな問題として発展しつつある本件に付いて、この書が上梓された時期から考えると、現状を予想出来る状態ではありませなでした。この問題が大きく発展する過程の中で、私が本書を読破するのに違和感を感じつつ読んでしまった事は、正確に理解したのであろうかとの反省を覚えています。
本書の構成として、日本、中国、インドと夫々の国の歴史を語る事から始まるのですが、アジアと言うブロックが世界史的にはっきりと定義されていないと言う論調が進む間に、この著者はキリスト教社会から見た世界史感を基準にしている事にも、私は違和感を感じ得ません。
そんな状況の中での書感ですが、本書の構成として、中国、インド、日本の夫々の国の強さと弱さ、問題点を列挙した章が独立して記述されおり、この点大いに参考になり考えさせられる箇所でありました。
著者は、結論を述べているわけでは有りませんが、「中国とインドと日本の関係は、これから10年もしくはそれ以上にわたって、いよいよ難しくなるだろう。あらゆる分野のいさかい、歴史的な恨み、地域の発火点などが、三カ国を取り囲み押しつぶそうとする。紛争はさけられなくはないが、全く考えられないわけでも無い」といっている点です。
この間にもインドで大きなテロ事件が有ったことは、ご承知の通りで、日本のビジネスマンが巻き添えを食ったり、インドから引き上げる企業がでたりで、著者の予言通りの事態が起こったわけです。中国やインドは、少なくとも8%以上の経済成長が成されないとその政権が維持出来ないといわれています、例えば中国の大学卒業者の就職を維持する為にも、この国の経済成長を8%以上と言う前提から論議がスタートしている事に我々は注目すべきでしょう。この点を理解しておかないと、先進国の成長率との格差に疑問を抱きつつでは中国、インドの経済を理解する上で妨げとなります。
何よりも、今回の米国発の金融危機によって米国の国力が維持できるのであろうか、米国と中国、米国とインド、そして米国と日本これらの関係は、米国の国力が従来通り健在であると言う前提での論調であります。前提を失いつつある現状ですが、逆に10年と言う永いスパンで事が起きると暗示している点が、一層協調されて不気味さを感じてしまいます。

天命 書感:散歩道

2008年12月10日 | Weblog
著者:五木寛之 発行所:幻冬舎 平成20年9月20日発行
1932年福岡県うまれ 生後間もなく朝鮮にわたり、1947年引き揚げ、52年早稲田大学ロシア文学科入学そして中退。66年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代文学賞入賞、小説家としてのみならず、音楽・歴史・美術・仏教など多岐にわたる文明批評的活動が注目されている。
以上が表紙の紹介。本書の内容は平易な実例を取り上げながら、きわめて平易に記述されている。内容は、実に深く考えさせられる事がいっぱい込められている。
もうしばらく、じっくり読んで、書感を書き足します。散歩道

「ひみつ」の秘密 ランダムトーク: 藤田 昇

2008年12月09日 | Weblog
秘密という言葉の語源がホツマツタヱの中にありますので紹介いたします。

ホツマツタヱの中では「ひみつ」の「ひ」は火、「み」は水、「つ」は土のことを示しています。そして、「ひみつのはらい(秘密の祓い)」という使われ方をしています。
「ひみつのはらい」とは、つまり、「ひ」は火の術で火炎の術のこと、2番目の「み」は水の術つまり水団の術、「つ」は土の術になります。火の難、水の難、土の難から逃れるためのものであったと考えられます。どんな術であったかはわかりません。
そして、「はらい」とあるのは、今でも神社でのお祓いや邪悪を祓うという意味の語源と考えられます。

いそのみや やまとひめにも 
いとまこい きみのおゝせに 
あたうちに まかるとあれば 
やまとひめ にしきふくろと 
つるぎもち おみこにいわく 
あめみまこ そめしひみつの 
おんはらひ ひみつのさわり 
はらふべし (39綾-14~16)

ヤマトタケ(日本武尊:日本書紀、倭建命:古事記)は東征に向かう途中、伊勢の宮の「やまと姫」にも挨拶に行きました。景行天皇の命によりあだ討ちにまかります(まいります)とやまと姫に報告(訴え)しました
やまと姫が錦袋(錦織の袋で秘密の祓いの呪文が書かれたものが入っていた)と剣を持ち出して与え、おみこ(=天皇になる人:ヤマトタケのこと)に話されました。錦袋の中は、昔、あめみまこ(天孫ににきね)が自ら記した、ひみつ(火・水・土)の祓いです。火の災難、水の災難、土の災難にあったら、これらの邪悪を祓って逃れなさいと。
なお、当時は文字を「書く」とは言わず「染める」という表現をしていました。

「やまと姫」については、いずれ取り上げたいと思っていますが、伊勢に住まわれていた「やまと姫」の子孫が、「秘密の祓い」から伊賀忍者へと進化発展していったのではなかろうかと推測しています。残念ながらホツマツタヱは景行天皇の代までですのでそれ以降は確認のしようがないのです。
以上、「ひみつ」の秘密でした。続く。
藤田 昇(本文は高畠精二氏の解釈を元にしています)

「生物の群行動観察」   ランダムトーク:六甲颪

2008年12月09日 | Weblog
 魚類、鳥類を含めて生物は群行動を取ることが多い。特に外敵に弱く一個体では対抗できない生物が群れをなして逃避したり、移動したりしているが、この行動を観察していると群れの中にリーダーがいて、その指揮にしたがって動いているのではない事が認められている。群行動の基本をアメリカのレイノルズというプログラマーが観察した結果を1987年公表した。
(1) その進行方向や速度については、各自が持っている漠然としながらもこれ位と思われる仲間と一致した感覚に従って行動する。
(2) 群行動を取る時、個体の前後左右にはある距離を置いて行動し、その進行を妨げないようにする。
(3)その進む方向は仲間の沢山いる方向に進む
と言う規則に従っていると発表した。確かに雁が「へ」の字に展開しているのは
自分の飛翔で乱された気流の影響を後続の雁に及ぼさないようにするためであり見事な編隊形となっている。

この考察を更に進めてゆくと群行動中、急に外敵に襲われた時どのように行動するかも興味ある問題である。私の観察によると群行動中の前方に異物を投げ出すと、とたんに群が決める左右上下に曲がりこれを回避する。そして互いに衝突することはない。次に群れの真ん中に投げ込むと一旦群行動は乱れるが直ちに修復される。これはどのような指令に基づくか不明であるが、興味あるテーマである。

一方人間の群行動を観察してみると必ずしも上手く行ってないようである。ただ各自が同じ目的を持って移動する場合、例えば神社参拝に行く人々は整然とある距離を保ちながら人が流れている。しかし市街地の交差点を渡る形は速度とか方向はまとまりがない。

更に混雑時、無理に詰めると階段での将棋倒しのような惨事を起こしてしまう。対人間の最小距離は数十cm位と考えるべきでそれより短いと制御不能になるようである。[2008/12/8]