書感とランダム・トーク

人間の本質を根本原理から追求研究する内容さらに遡っては生物・植物その他をサイエンス的原理から考察する。どうぞ御寄稿を!

πとeの話 数の不思議 書感:藤田 昇

2008年11月29日 | Weblog
YEO・エイドリアン著 久保儀明+蓮見亮訳 青土社 2008年10月発行 ¥2,400
数学はこんなに愉しいものだったのか?見て愉しめる本です。
数学は難しくて、好きになれなかった私のような者にぴったりの本です。
著者の孫娘がコンピュータゲームで楽しんでいるのを見て、数学を教えたところπとeを表す無限級数も難なくマスターしてしまったとのこと。孫娘への贈物として執筆することにしたということです。

「第一部 視覚の愉しみ」 の箇所は見開きで左側に数式が単純明快に大きく掲げられて、右側ページがその数式にまつわる解説です。そして、各数式の証明は「第二部 精神の糧」というタイトルでそれぞれ参照できるようになっていま。
「第二部
1+2+3+4+5+6+7+・・・・・→∞
ではじまっており、いくつか例を取り出して見ます。
1/1+1/2+1/4+1/8+1/16+1/32+1/64+・・・・=2
1+1/1+1/(1x2)+1/(1x2x3)+1/(1x2x3x4)+・・・・
1+1/1!+ 1/2!+ 1/3!  +  1/4!  +・・・・=e
1/1-1/3+1/5-1/7+1/9-1/11+1/13-・・・・=π/4
1/1^1+1/2^2+1/2^3+1/2^4+1/2^5+1/2^6+・・・=1 (^は乗数:2^2=2の2乗)
など、こんな式が存在するのだということを知り(学生時代に習ったのかも知れませんが・・・)私には満足の1冊でした。

現在理科離れといわれている昨今、数学嫌いの人たちに振り向いてもらえるきっかけになれば良いと思い紹介しました。 藤田昇

日本語の進化とその特徴(1)

2008年11月27日 | Weblog
  「日本語の進化とその特徴」(1)カタカナの使い分け トークランダム 六甲颪
1日本語の歴史とその変遷
 日本語は話し言葉として紀元前からあったことは確かであるが、西暦5世紀頃中国(当時の漢国)から漢字や佛教が直接または間接に伝えられた。そして大和朝廷が成立する頃は立派な書籍や仏寺が外部から指導を受けながら造られるようになった。例えば万葉集は漢字を当て字にして記されていたが漢字を草書や行書風に書き付ける内、ひらかな、カタカナが発明された。これは共に発音記号であって、カタカナは漢文の解読のための送りがなとして用いられ、男子が使ったのに対し、ひらがなは主として女性専用の文書を書きとどめるために使われた。
このような使い分けは飛鳥時代から徳川時代末期まで続いたが、その頃から西欧の文化が伝わり始めるとその対応に漢字をどう使うかの検討が必要になった。初期には中国と同じように国名、地名には発音の近い漢字を当てはめた。例えばイギリスを英吉利、フランスを仏蘭西、イタリーを伊太利と書き地名ではロンドンは倫敦、ベルリンは伯林、パリは巴里等と記した。しかし新しい国名、地名が次々に出てくるので遂に漢字を当てることを諦め外来地名国名はすべて「カタカナ」で記すことになった。
2 カタカナの発展
これは何でもないことのように思われるが大きなカナ文字の応用の開拓であって日本語は西欧文化にもスムースに対応出来るようになった。これに対し中国、韓国にはカナ文字がないため新しい外国名に一々漢字やハングル文字を当てはめるのに苦労している。中国ではCoca Colaを可香可楽、Beerを呻酒等は成る程漢字の母国らしい字を当てているが、その他の場合は理解できない当て字が多い。
 今やカタカナはローマ字と同等に扱われどんどんと使われている。一寸行き過ぎの例として私の手許にある説明書は「データファイルをドラッグ&ドロップするだけでDVD.CDメデイアにファイルを書き込めるバケットライテイングソフトです。・・・」で余りに多い外来語に驚かされることがある。こうして日本語は外来語との交流に成功しつつある。
[2008/11/27]

物理学者、ゴミと闘う 書感:狸吉

2008年11月21日 | Weblog
広瀬立成著 講談社現代新書 2007年 720
 腰帯に「燃やして埋める」は大間違いだ!地球環境の「基本的しくみ」とは?地球の「つながり」の活かし方とは? とあるが、これが本書のポイントを簡潔に表している。
  著者は物理学を専門とする大学教授で、ごみ問題の本質を熱力学や質量保存の法則などを使って解説し、その対策も提案している。著者は動物も植物もすべての生物をエンジンとみなす。生物エンジンは栄養分を取り入れ、エネルギーを得て活動し、廃棄物を系外に捨てる。機械的なエンジンは燃料と空気を取り入れ、仕事をして排気ガスを放出する。生物の廃棄物は他の生物の食料となり、循環サイクルを形成するが、人工的なエンジンは循環の輪が閉じない。プラスチックのリサイクルにはまた別のエネルギーが必要となるし、一見ごみが消えたように見えても、質量保存の法則が成り立つ限り、どこかに形を変えて存在しつづける。

 著者はまた地上のあらゆる活動は「環境エンジン」であると説く。活動で発生した熱エネルギーは、水蒸気に乗って上空6000mで宇宙空間に放出される。この循環を妨げるのはエントロピーを下げるのを妨げることであり、最後は増大したエントロピーを捨てられない「熱死」に至る。カルノーの熱機関に例えた解説は、物理をかじった読者にはきわめて分かりやすい。世界の焼却炉の2/3は日本にあるそうだが、ごみは燃やして埋めても、ゴミの形が変わるだけで、何ら解決にならない。抜本的な解決策は「もったいない精神」に徹し、ごみを出さないことである。

この本の著者のユニークな点は単にごみ問題を論じるだけではなく、自ら地域の「ごみゼロ」運動に乗り出したことだ。東京・町田市では「ごみになるものを作らない、燃やさない、埋め立てない」の基本方針に基づき、2006年に「ごみゼロ市民会議」をスタートさせた。2007年3月以来、著者はこの会議の代表として活動している。その成果に注目したい。

マスコミの堕落 ランダム・トーク:山崎義雄

2008年11月21日 | Weblog
昨今のマスコミ、とりわけテレビの堕落が著しい。堕落したテレビはますます考えない人間をつくる。
最近では、朝日新聞の記者が、取材相手に録音しないといっておきながら密かに録音し、しかもその録音テープを第3者に渡したり、NHKの芸能プロデューサーが下請け業者から多額のバックリベートを取っていたり、大マスコミとはいえないが「選択」の系列会社の選択エージェンシーがリベート作戦で役人や政治家秘書とつながり(裏に大マスコミ記者の関与もうわさされた)厚労省から大口の年金冊子の制作を受注している。

とはいえ、テレビに比べれば新聞はまだましだ。活字を読むことはものを考えさせる。去る10月中旬の「新聞週間」にちなんで募集した標語の代表は、東京の女子大生による「1面から読むようになった15の夏」だ。まともに新聞を読まない大学生が多い中で、この女子大生は偉い。

このように、新聞の場合は読める力がついてから読み始めるが、テレビは字が読めない子供にも無差別に、しかも繰り返して見せる。
人間の大脳皮質は、感覚器官から情報を受ける「感覚野」、体に指令する「運動野」、思考など高次の機能を受け持つ「連合野」に分かれているという。主としてテレビは「感覚野」に訴えるが、その時思考はほとんど休止状態にあり、新聞は「連合野」に訴えて活発な思考を促す。テレビやゲームで育った若者が根気や勤勉性や就業意欲に欠けるのは容易に考えられる。

現代は混合メディア、メディア・ミックスの時代である。新聞、テレビ、パソコン、携帯電話などによって重層的に情報が伝達される。ただしメディアの2大要素は文字と映像だ。テレビは速報性と映像に強みがあるが、文字を中心とする新聞は、分析や考察に耐える質の高い報道に強みがある。それぞれの特徴を活かすと共に、それぞれの特徴に順じた自己規制の新しい基準を考えるべきではないか。

父が子に語る日本史 書感:山崎義雄

2008年11月21日 | Weblog
小嶋 毅 著 ㈱トランスビュー 1,600円
父として高校生の息子に語る著者は東京大学準教授。専門は中国思想史。「とうさんやかあさんが大学で歴史の勉強をするようになったのは、教科書が面白かったからではなくて、歴史に興味を持たせてくれるような本や先生に出会ったからです」といい、「君が教科書だけで歴史という学問を嫌いになってしまうとしたら、それはとても残念なことです。そこで、この本を書くことを思い立ちました」と父は子に語りかける。

 執筆の動機は理解できるし、おおよそのところで共感もするが、教職にある父の言い分に教科書に対する不信感が臭っていて、いささか抵抗を感じないでもない。
 内容はおもしろい。たとえば「アテルイは『反乱者』か」として、今からおおよそ千年前、現在の岩手県奥州市あたりを自主独立国家のごとくに治めていたアテルイという王を天皇の軍隊が征服したことについて、現在のある教科書が「アテルイの反乱」として取り上げていることに疑問を呈しているのは当然であろう。

 また頼山陽の「日本外史」を取り上げる。これには源氏(鎌倉幕府)、足利氏(室町幕府)、徳川氏(江戸幕府)など武家政権の時代が描かれている。ここで山陽は、わが国が唐の律令を模倣して律令制度をつくり、文官と武官が分離し、将軍をはじめとする軍隊組織が恒常化し、やがて源氏と平氏(平家)が力を持つようになって行ったことを嘆く。

 すなわち、「未だかつて王家のみずからその権を失えるを嘆かずんばあらず」。つまりこれは、「やむをえない時勢の移りゆきで、天皇は兵権を喪失してしまったが、それは決して望ましいことではなかった、という(山陽の)歴史認識です」と著者は言い、「そうなのです。山陽が理想としていたのは、天皇みずからが軍服を身にまとい、大元帥として国軍を統帥するすがたでした。それを実現したのが明治維新です」という。

 ここで父なる筆者は子に向かって、「一見まともそうな主張の裏側にある虚偽を、君はきちんと見抜ける大人になってください」とむずかしい注文を出す。本書のレベルは高校生の理解を超えるのではないか。とりわけ本書の半分を超える天皇の系譜や歴史書を多用した事跡の話がややこしい。筆者の歴史観も臭ってマニアック?な感がある。

筆者自身、本書の半分を超えた辺りで、「僕は『天皇中心の日本史』ではなく、『東アジアのなかの日本の歴史』を君に語りたいと宣言しながら、ここまでかなりの分量、『天皇家の物語』のなかでうろうろしてきた」と言っている。後半は、「ここからは(桓武天皇によって始まった平安時代)、これまでと少し違う描き方をしていきましょう」と言い、天皇の歴史を抜きにはできないものの、桜花、無常、怨霊、仁義道徳、鎌倉新仏教、戦国大名などと枠を広げて話が展開する。大人の読み物として推奨したい。

「みちのくえみし」についてホツマツタヱより ランダムトーク:藤田

2008年11月19日 | Weblog
ホツマツタヱ記述の中から、ヤマトタケの東征時、みちのくえみしを実戦ではなく、大伴武日という武将がヤマトタケの勅使として論渉の末、ヤマトタケが服(まつら)わせることが出来た後の経過の一部を紹介します。

このときに みちのくおよび
みなふして まつろいくれば
やまとだけ みちのくゆるし(39綾-55~56)

このとき、日高見陸奥(みちのく)はじめ全員がひれ伏して服(まつら)い来たので、ヤマトダケは日高見陸奥の罪を許しました。

なこそより きたはみちのく
くにのかみ おがたのはつほ
さゝけしむ つかるゑみしは
みちひこに なそがたはつほ

さゝけしむ みなみはひたち
かつさあわ みかさかしまに
たまわりて(39綾-56~58)

勿来(なこそ)より北は陸奥(みちのく)と名付け賜り、国神(クニツカミ)に新たに任命して県(あがた)から初穂(はつほ:年貢)を捧げさせました。
津軽蝦夷(えみし)は島津道彦に与えて、七十県から初穂(はつほ:年貢)を捧げさせました。
南は常陸(ひたち)、上総(かずさ)、安房(あわ)をミカサカシマ(大鹿島)に賜わりました。

ゑみしから かぞにしきとは
わしのはの とがりやもゝて
たてまつる(39綾-59)

エミシ(津軽蝦夷 島津道彦)からの献上品は数峯錦(かぞみねにしき)十反と鷲の羽根の尖り矢(石のやじり)を百手(ももて)奉りました。

みちのくよりは
きかねとを くまそやもゝて
たてまつる(39綾-59~60) 

ミチノク(日高見陸奥)からは、黄金を十斤(約6kgf)と熊龍矢(クマソヤ:クマゲラ(鷲)の毛)を百手(ももて)奉りました。

数峯錦(かぞみねにしき)とは、沢山の山を織りこんだ錦織のことであり、当時の大陸からの交易品と考えられます。既に、北方の交易が頻繁に行われていたことの証拠でもあります。

プトレマイオスの復元地図にも記載されていますが、中国(シナムル)の北側にセレスという絹の国が存在していており、シルクロードの出発点であったことよりもうなづけます。何か関連があるように思えます。

また、金について、当時から金が取れていたことを示す重要な記述に感心しました。
読み方についても、「きかね」といっていた訓読みの黄色と金の漢字をあてはめていたのが、いつの間にか音読みで読まれるようになった例です。大変面白いと思いました。

なお、本文中の解釈は高畠精二氏の解釈を基にしています。藤田昇

偶然を生きる思想 野内良三 NHKブックス 所感 六甲颪

2008年11月12日 | Weblog
   「偶然を生きる思想」 野内良三 NHKブックス 所感 六甲颪
             2008年8月発行 970円

偶然という問題を中心にその周辺の事象を軽くとらえている本と思って読み始めたが、この本の著者は中々の勉強家で広範囲の知識があり偶然という問題を哲学的に取り込んで幅広く議論を展開している。著者は長らくフランスで暮らしていたが、最近になって日本人の考え方に惹かれるようになり、遂に日欧思想比較論にまで発展して本作品を書く気持ちになったようである。
確かに読み始めからヨーロッパと日本の比較で、日本人の桜への思い入れ、つまり桜に代表される無常の日本美と西欧の建築物に見られる恒常的美に感覚の比較から始まるが、日本文化の考え方が佛教の影響から来たものと入り交じり記述に未消化の部分が感じられものの、その記述に著者の意欲が感じられて面白く読めた。その結論として西欧の一神教的な絶対者に帰依しようとするのと、日本の無常つまり有限性を認めてその事実に従い、神は自然界に種々の形で現れる風土の中で生きているといえる。
次いで本著の主題となる偶然の問題を西欧的発想と日本的発想との比較で論じている。例によって内容は種々の文献が次々と現れ混乱しがちであるが、基本は「ある事象の発生」を西欧の自然科学を中心とした必然で何処まで押し通すか、これに対し日本ないしは東洋の全ての事象は因果的運命からくる偶然としてとらえるかは、事象の解釈がかなり異なってくる。例えば一枚の紙切れを高所から落とすと何処に落ちるかは、予測は困難であるが科学的には、その初期条件と途中の空気の揺れ方等が正確に分かれば予測可能とする考え方と、正確には予測できないがその落ち着く場所は運命によって決まっておりこれは因果という法則によっているとする東洋的発想とがある。
これらを総称し「西洋の理」「日本の情」と結論づけているが、私としては偶然というよりは必然と言う言葉を信じたいと思っている。
「2008/11/10

植物はなぜ5000年も生きるか    書感(その1):散歩道

2008年11月08日 | Weblog
著者:鈴木英治 発行所:講談社 2002年3月20日第1版2003年5月第3版
著者は大阪市立大学大学院の吉良竜夫教授から ”眼はいいかね?”と聞かれて、”いいです”と答え、それから数年間高知県のツガという針葉樹林を調べたのが、植物研究の始まりだという。実地の調査と必要な文献をかなり多数勉強した結果を記述していて、読み応えがある。植物というタイトルであるが、動物との比較がよく書かれている。前半のみを紹介する。

1.植物の誕生:すべての生物には自己複製のメカニズムがある。最の生物、原核生物は現在も世界中に存在しているバクテリアに似ているもので、千分の1から百ミリくらいの生物。それが、やがて何かのはずみに自己複製の機能を持ち始める。その複製が時に間違いを起こす。
やがて、バクテリアの中から光エネルギーを使って無機物から有機物を作る光合成の能力を獲得したものがあらわれ、植物の先祖が生まれる。しかし、ここの複製だけでは、死という概念は成り立たない。

2.死の紀元:死というものがなければ寿命という言葉も意味がない。
単細胞生物はれそれぞれの働きをする遺伝子のセットを一つだけ持っている。そのセットの中の重要な遺伝子が壊れるとその細胞は存続できなくなる。そこで、「二倍体」ができてくる。しかし、この段階では単細胞生物は次々に同じ遺伝子を複製していくから、どこまでも自分そのものと同じで、死という概念はない。

生物はやがて有性生殖を行うようになり、半分は別の遺伝子と交換をすることになります。これは前と別な個体になりますから、受精した瞬間にそれまでの自分自身は消えて別な生物が生まれることになります。これが寿命の始まり。このあたりの説明は大変に考えさせられ、面白い。

3.はたして長生きは生物の理想なのか?(第2章ー3)
考えさせられることが書いてあります。種族全体で考えると、その種族が全体として生存競争に勝ち抜き繁栄するためには、長生きは理想かという考察である。ある年代で死を迎えることが、全体の進化であるという考え。

取りあえず、(その1)では、この辺で。なるべく早く次を寄稿します。
散歩道/font>

間(ま)とは?素晴らしい日本語   ランダム・トーク:散歩道

2008年11月07日 | Weblog
間を置く、間が悪い、間合いを測る、間に合わせる、間に合う、間尺に合わない、間抜け、魔が差す、いや、失礼、これは間違い。などなど、日本語の”間”にはデリケートな意味合いが込められていて、私の知る限り英語にはこれに相当する言葉は見当たらない。allowance 等が思い浮かぶが、この言葉ではごく一部の概念しか伝えられない。しかし最近はテレビなどで、秒単位で時間を配分して放送する時代になって、次第に間の概念が失われつつあるような気がして残念だ。

”間”を失った社会の中では、ちょっとしたきっかけで”うつ病”のような心の状態になってしまう若者が増えた。その一方殺伐な事が、ちょっとしたきっかけで起ってしまう時代になってしまった。

名人クラスの落語家が、”えーー”と言ってしばらく間をおくと、聞いている人達は、固唾をのんで次の言葉を待ち構える。”というわけで、今日は何をしゃべろうかな!” などというだけで、どっと笑いが起こる。好男子、いや、講談師:神田紅さんの忠臣蔵の講談のなかで、47士の名前を一気に喋りまくるくだりがある。、それも、名前の頭になになに、なになにの大石内蔵助というように長い接頭語がつくので、息をつくのも大変だ。それを見事に一息でしゃべりまくるのだが、要所要所に実に微妙な間合いが入って、メリハリがきいている。終わると、聴衆はしばらく固唾をのみ、ちょっと間をおいてから一気に大拍手が起こる。これは、まさに”間”の芸術だ。

間”を心がけて、この時代をなんとか切り抜けて生きて行こうと思う。散歩道

散歩・そろそろ死語になったかも?  ランダム・トーク:散歩道

2008年11月04日 | Weblog
このブログには散歩道という名前で寄稿している。イメージが好きだからである。しかし、そろそろの言葉も死語になりつつある。
もう70年くらい前。このころは道路の舗装はほとんどなく、道の真中を踏みしめて歩いていた。道の端にはすぐに雑草、失礼!、種々の草が生えてくる。道草という言葉も、それから出来たのだ。

両手を振りながら時折、ちょと万歩計を覗きながら”あとーー歩だ”とか言いながら歩いているいる人を見る事がある。そんな時に散歩という言葉が浮かんでくる。

ボーッツト歩いていると、ひよっと何かを思いついたりする。また時には何かを集中的に考えながら、何となく足だけは散歩をしている事がある。

今、若い人にはうつ病のような現象が ”はやって”いる。そんな時には、むきなならずに散歩でもすることを勧めたい。散歩道

漢字廃止で韓国に何が起きたか   書感:藤田

2008年11月01日 | Weblog
呉善花著 PHP研究所  2008年10月発行 ¥950

ハングル(韓国語)に以前から何となく不思議に思っていたことが本書で氷解したので紹介します。
なぜ、日本語とほとんど文法は同じでありながら、漢字まじりのハングルの文章がなくなってしまったかの理由が分かったからです。

著者は韓国の方で、日本で日本語を勉強するうち、日本語は漢字を音・訓の両方で表していることを絶賛しています。
一般文書の韓国語の70%は漢字語だそうです。韓国の漢字の読み方は一通りしかないから学習者にとって覚えるのは簡単だと言うことは知っていましたが、裏を返すと、韓国語には漢字の訓読みが存在しないという事実です。
信じられないようですが、訓読みの漢字表現が出来ないから日本語と同じようには漢字混じりのハングル表記は出来ないということを知りました。

日本語は一つの漢字に対して、どう読むか分からなくとも、音読み・訓読みを同時に頭に思い浮かべると著者は言っています。
我々の感覚では、訓読みすれば、大体どういった意味か瞬時に判断できるのが当たり前として見過ごしています。
ところが、韓国語には漢字の訓読みが存在しないから、音読みの漢字を一つずつ辞書(頭の中の)で引き出しながら意味を確認していく作業をしていくように、瞬時には意味がわからず、外国語と同じ感覚という認識のようです。

著者は、小説はハングルの方が速く読めるが、専門書になると、日本語の方が数倍速く読めると言っています。
全てハングル表記のなかから、どういう意味なのかを前後関係から確認しなければならず、読み手の語学力がなければ間違った解釈や分からないまま飛ばして読んでいるとのことでした。

以前の韓国では、感性や情緒、価値観や発想、論理の筋道などを豊かに表現できていたのが、漢字廃止後の今は簡潔、単純、直接的という傾向で言葉の奥行きが浅くなってしまったと憂いており、ましてや漢字導入を国民の70%が反対している現状にも憂いています。
日本語は表音文字と表意文字の組み合わせによる世界で一番優れた言葉だと改めて思いました。習得してしまえばの話しですが・・・・
と同時に、ホツマツタヱの記述にあった、大伴武日(オオトモノタケヒ)が日高見神陸奥(ヒタカミミチノク)に「これ汝、ゐなか(井中)にいて沢をみず。という言葉を知っているか」という問いかけを思い浮かべました。 藤田 昇

孤独・周りの人との距離無限大  ランダム・トーク:散歩道

2008年11月01日 | Weblog
  前回のランダム・トークで他人との距離と相互の感情を考察した。今回は、この距離が非常に大きくなった場合の人間の感情を考察して見たい。

最近はちょっと気が沈んだりすると、すぐに精神科医に相談行く若者が増えた。精神科医は不定愁訴、うつ病、ノイローゼとか、とにかく何らかの難しい病名をつけて患者にしてしまう。
孤独という言葉はあまり聞かれなくなった。孤独とは精神科医などにも会わず、周りとの距離が無限大になってしまう状態である。

人間は社会を作って生きている動物であって、社会との関連なくして生きてゆくことはできない。フィリッピンに長年一人で潜んで生き延びてきた小野田さんは、勿論孤独に耐えて生きてきたのであるが、生きてこられたのは、強い意志の力で、心の中にかつて所属していた組織との繋がりを持ち続けていたからだと思う。さらに突っ込んで考えると、小野田さんのその後の生き方も孤独の中に生きておられるように思う。

さて、今の若い人たちが陥り易いうつ病はどんな状態かを観察してみよう。
人類は長い期間食べることがやっとであったのだが、今は、食べるだけならコインをちょっと入れれば食べ物が出てくる様になった。その結果、他人との距離を広げても最低食べていくことができる。そこで、ちょっとしてきかけから社会から逃げだしてうつ病になってしまうのではないだろうか。

意志を強くして、積極的に社会との距離を一層広げ、本当の孤独を一度は味わうことが必要かとも思う。しかし、今の時代は小野田さんが生きて来た時代とは違うから無理だ。
むしろ、社会とのつながりを楽しい事柄に求めるべきかと思う。若い人が興味を持てるような事柄を提供するのは大人の責務ではなかろうか。『本当の本』の会の一員で理科の面白さを教える『出張実験』を実施している方がおられる。技術だけでなく、心の問題にも寄与している立派な活動だと思う。散歩道