書感とランダム・トーク

人間の本質を根本原理から追求研究する内容さらに遡っては生物・植物その他をサイエンス的原理から考察する。どうぞ御寄稿を!

人が学ぶ昆虫の知恵   書感:藤田 昇

2008年07月30日 | Weblog
 普後一著 東京農工大学出版会発行 2008年5月 ¥1400
昆虫のもっている機能がよくわかり、今、自分が気になっていた蚕の生態やいかにうまく利用してきたこともよくわかり、今後の研究内容にも感心しました。
それは、性フェロモンを利用したガスセンサロボット、宇宙ステーションでの食材として、抗菌物質の開発や、膠着物質を接着剤への利用などの安心な材料として注目されていることを知り今後に期待できそうです。

説明とイラストが見開きになっていて、どのページからも読めるように非常に読みやすい編集になっています。
また、本書は昆虫を題材とした理科教育プログラムのホームページとも連動しており、幅広い世代・小中学生から大人まで楽しめると思いました。

参考までに大分類のみ記載します。
昆虫の体の構造の知恵
昆虫の生理機能の知恵
不思議な昆虫たちの知恵
昆虫の知恵とヒトの生活
昆虫の知恵とヒトの文化
昆虫の知恵を利用した先端技術
藤田 昇

世界地図101の謎 書感:藤田

2008年07月25日 | Weblog
 澤近十九一著 河出書房新社 ¥952 2008年6月発行
見るだけで楽しくなる珍しい地図をこれだけ集めたものと感心しました。昔にタイムスリップした気分になりました。そして、その当時の様子が浮かび上がる不思議さがあります。

特にプトレマイオスの復元世界地図を見て、東のはずれにシナムル(シナ=中国)の北側に「セリカ」という国名を発見し感激しました。
もちろん日本などの島や太平洋の存在な未だ認知されていないときです。
本書にも記載されていますが「セリカ」とは「絹の国」を意味しています。
シルクロードの「シルク」の語源にもなったと思われる地名(国名)が地図上に、中国とは別に存在していたことがわかったからです。
楽しみが一つ増えました。藤田 昇

図解雑学-飛行機のしくみ 書感:狸吉

2008年07月16日 | Weblog
 水木新平・櫻井一郎監修 ナツメ社 2003年 \1,350

 今回はたまたま小学生向け理科教育の資料として本書を読んだ。内容は飛行の歴史から始まり、揚力、推力源、安定性、操縦性、離着陸、機体構造と重要な項目をすべて網羅している。一般向けに書かれた啓蒙書であるが、「旋回操作を妨げるアドバースヨーとスパイラルダイブ」など高度な内容が盛り込まれている。飛行機を上昇させる揚力の説明は、ベルヌーイの定理を使った間違い説明が横行していたが、本書は多くのページ数を費やして丁寧に正しい説明を行っている。難しい内容を読者に理解させるのに威力を発揮するのが豊富な図解だ。解説文を起草する専門家と、言葉を絵にするイラストレーターの緊密な共同作業が感じ取られる。これ一冊を読めばかなりの飛行機通になることは間違いない。

 図解雑学シリーズは理系に限らず、文系も含め多彩なテーマを取り上げている。インターネットの口コミによると、「はずれ」の本もあるらしいが、これまで読んだ工学系、自然科学系のテーマはどれも内容が分かりやすく勉強になった。このシリーズを長年刊行しているナツメ社に敬意を表する。 

インカとスペイン帝国の交錯 書感:藤田 昇

2008年07月15日 | Weblog
インカとスペイン帝国の交錯 網野徹哉著 講談社 ¥2,300 2008年5月発行

あとがきにインカは昔、盗まない、嘘をつかない、怠けないという三つの法律があって、泥棒はしていなかった。
外出時に鍵などかける必要がなかっという記述をみて、昔の日本もそうだった思い、読み始めるきっかけになりました。

アンデスの社会は垂直統御という生態系で3つの気候帯、コスタ(海岸部)・シェラ(山間部)・セルバ(アマゾン熱帯雨林)からなる共同体で、日常の労力はお互いに助け合っていたとのこと。
インカの帝国の拡大と統合は軍事征服で抵抗すれば殺戮するといったやりかたで、地方社会は経済的負担に追い詰められていた。
スペイン人を海の向こうへ消えた神の再来と見た部族もいて、スペインに立ち向かうインカ族、従うインカ族と単純なものではなかったようである。

スペイン統治によりインカ帝国の歴史を明文化するとき、権力再編の機会を利用したインディオ側の情報操作もあったようだ。
ときの権力者の都合の歴史に置き換えられた箇所があると指摘されていることに、歴史というものについて面白さ複雑さを知りました。

内容はおもしろく読み応えがありますが、当時の時代背景をよく認識していない小生にとってはもう2~3度読み返さなければ、正しく頭の中で整理できないのが残念でした。
藤田 昇

恥ずかしいネー ランダム・トーク:山崎義雄

2008年07月15日 | Weblog
最近、別々の知人の口から「恥ずかしい」という言葉を立て続けに聞いた。一人
は、あの痛ましい秋葉原の殺人事件現場に設けられた献花台の、お供えものの缶ビールや飲料、煙草などを盗む不心得者を慨嘆して「恥ずかしいネー」と漏らした一言。もう一人は、あの大分県の県教育委員会幹部や学校長、教頭、代議士秘書などまでからんで行われていた教員採用を巡る汚職事件について、「大分県民も恥ずかしいだろうナー」と漏らした感想である。

しかし、「恥ずかしい」という言葉は、気後れがする、きまりが悪い、体裁が悪といった意味だから、彼らの所業を慨嘆するにしても手ぬるすぎる。
なによりも「恥ずかしい」と思う前提に、自分は劣っているとか、出来が悪いと思ているか、そこまでいかなくても「自分はさほどのものではない」いう謙虚な認識がある。おそらく彼ら、とりわけ大分県の汚職連中にはそういう自己認識がないだろうから、少なくとも行為の段階で「恥ずかしい」という思いはなかったろうし、事がばれてからは、「ばれたことが恥ずかしい」「しくじった」という思いが強いだろう。
これが「恥」となると、恥じること。面目を失うこと。名誉のけがされること。恥ずべきことを知ること。名誉を重んじること。と辞典にある。
こうなると凛とした気配が漂ってくるが、このレベルの「恥」になるとお供え物のこそ泥には関係なくなる。しかしいちおう面目も名誉もあるつもりだったろう大分県教育界の偉いさん達に、この凛とした「恥」の意識が欠落していたのは情けない限りだ。
ところで最初の、知人の「恥ずかしいネー」「恥ずかしいだろうナー」という感想を聞いてふと思ったのは、知人や自分がこういう情けない不祥事を見聞きしたときに、不心得者と同じように恥ずかしい気分になる(不心得者が恥ずかしいと思っているとしてだが)、時には不心得者以上に恥ずかしい気分になるというのはなぜだろうということだ。
西洋は罪の文化、東洋は恥の文化といわれるが、日本人の「恥」の意識には、西洋のように自他を峻別しない自他の同化、連帯のような一体化意識があり、連帯による意識や行為の抑制も効いているのではないか。その「恥」の連帯意識が壊れつつあるのが現代で、人間が孤立し、さらには傷つけ合う時代になってきたのではないだろう
か。

色の新しい捉え方 書感:山崎義雄

2008年07月11日 | Weblog
南雲治嘉 著 光文社新書 820円+税
色とは何か。色の本質から捉え直して従来の常識を覆した“色彩世界”の入門書
だ。著者は著名なデザイナーで、日本カラーイメージ協会理事長の肩書きを持つ。
色には、自然界の色「色光」と絵の具の色「色材」があるとする。「色光」は虹の
ように自ら光として色を発するもので、「色光」の三原色は、赤(Red)、緑G
reen)、青(Blue)、頭文字でRGBだ。「色材」は、絵の具や印刷インクなど自ら発光しないもので、「色材」の三原色は、青系のシアン(Cyan)、赤系のマゼンタ(Magenta)、黄系のイエロー(Yellow)、頭文字でCMYだ。
この「色材」を「色光」で説明すると、シアンは緑と青の光の組み合わせ、マゼン
タは青と赤の光の組み合わせ、イエローは赤と緑の光の組み合わせでできる。言い換えればシアンは色光の三原色から赤を引いたもの、マゼンタは緑を引いたもの、イエローは青を引いたものである。
ちなみに「色光」の赤緑青をすべて組み合わせると白(白色光)になる。白から逆
算すると、たとえばシアンの絵の具に白色光を当てると、シアンの絵の具は赤の色を吸収して(引き算して)緑と青を反射してシアンという色を人間の目に映し出すことになる。
また、「色材」のシアン、マゼンタ、イエローを混合すると赤緑青の色を吸収し引
き算し合うので黒になる。つまり光のない闇の色である。
つまり色は光であり、さらにいえば電磁波であるという。直射光(白色光)をプリ
ズムを通して屈折させれば色のスペクトルが出現する。波長の一番長い赤(780nm・ナノメーター)から一番短い紫(380nm)までのスペクトルである。この範囲が可視光線であり、赤の外が赤外線であり紫の外が紫外線だとは「目から鱗」だ。
難しい話ばかり引用したが、第1章は、あの「色相環」には根拠がない-色の根
拠、第2章は、色の力は適材適所-色の見え方と感じ方、第3章は、オンナはなぜ赤なのか-色はメッセージ、第4章は、好きな色は一色ではない-色と心理、第5章は、色は調和させなくてもいい-色彩センス、と現場主義で独特の色彩論が展開される。
どうも色を色眼鏡で見ていたような気分にさせる一書である。

地名の世界地図   21世紀研究会編 文春新書 780円 書感 六甲颪

2008年07月08日 | Weblog
「地名の世界地図」  21世紀研究会編  書感  六甲颪
            文春新書 780円 2000年12月発行

 この本の話題は世紀前10世紀頃、フェニキア人が地中海を次第に西に進んで新天地を開拓して行く様子から始まり、西洋史の年代的な進み方とその発見された土地の命名との関連が興味深い。例えばエジプトにあるアレキサンドリアという地名はアレキサンドロス大王から取った名である。彼はペルシャ領土を征服しつつその占領地との融和を図るため全てにアレキサンドリアと言う地名を与えた。その数は70カ所もあったようだが、その一つがエジプトに残ったと言う逸話等も含まれている。
 地名の話題はローマ帝国時代からゲルマン民族の大移動に移ると、地域も中部ヨーロッパから英国に移りパリやロンドンの地名由来が明らかにされて行く。また北ゲルマン民族は主として北欧を探訪し多くの良港を開拓していった(第1,2章)。第3章ではスラブ人の故郷である東ヨーロッパとシベリアの地名の起こりを述べている。
 第4章では世界地理解明に最も大きく貢献した大航海時代に話題が移る。このきっかけはマルコポーロの東方見聞録に刺激され、多くの探検家がインド中国とジパングに如何に到達できるかを競った。その結果南北アメリカ大陸の発見、太平洋の発見という偉業が達成された。アメリカという地名の由来も明らかにされている。
第5章は13世紀頃のモンゴル帝国のヨーロッパまで及ぶ騎馬民族による拡大で、如何にアジア大陸に大きな影響を与えたかが述べられている。
この本の内容は非常に豊富であるが最後に索引があるのでこれを活用すれば地名辞典として長く使える貴重な文献となるだろう。
[2008/7/8]

七夕(たなばた) らんんだむトーク:藤田

2008年07月06日 | Weblog
7月7日の七夕は旧暦では、8月7日ごろであり、そのころ夜9時ごろはおりひめ星がちょうど夜空の真上にくるそうです。
七夕は、年に一回、天の河を渡って織姫とひこ星が会える日と習ったことを覚えています。

なぜ「七夕」とかいて「たなばた」と言うのか不思議でしたが、中国の昔からの伝説と日本古来の「たなばた」が、同じ日のお祭りであったため、漢字文化の渡来のとき、日本古来の「たなばた」という言葉(音節文字・表音?)に「七夕」という漢字を当てはめたからと一人合点しました。

ホツマツタヱの1綾の最初に五つの節句についての簡単な記述があります。
はつひもち あわのうやまい
もゝにひな あやめにちまき
たなはたや きくくりいわひ
・・・・・
つまり
元旦には餅を供え 天地の神を敬い
3月3日の桃の節句には雛祭り 5月5日は菖蒲を飾りちまき食べ
7月7日は七夕祭りで 9月9日は菊の花と栗を供えるお祭り
と解釈できるようです。

また、年中行事記載の項(みかさふみなめことのあや)では
あふみまつ ふめにやわして
かぜとなす ゆみはりにうむ
いうとあさ おとたなはたの
ほしまつり ・・・・・

「たなはた」は「かいこだな」と「はたおり」のことを意味していると、ホツマツタヱ研究の高畠氏から伺ったことがあります。
繭から、糸を紡いで、染色し、機織で織り上げることは、当時から大変な事業であったと推測できます。
錦織という言葉も見受けられ特別の扱いを受けていたようです。

ホツマツタヱの文章は膨大なため、外にも「たなはた」についての記述があるとは思いますが今の私の手には負えません。

なお、美智子皇后の写真集の中で、蚕を飼育されている写真を見たとき、今でも天皇家で養蚕が引き継がれている歴史の重厚さを感じました。藤田 昇

アハハ笑いの種類   ランダムトーク:散歩道

2008年07月05日 | Weblog
アハハは比較的標準的な笑いだ。標準というのも、変だが。アッハッハと言うのと大分感じが違う。昔、気の置けない友人に、手紙のあとに、”イヒヒ”と書いた。そしたら返事で "イッヒッヒ” 、と来た。それだけの違いで、負けた、と思った。
犬も笑う表情をすることがあるようだが、笑いは人間のかなり高度の感情だと思う。
イヒヒ:イッヒッヒ エヘヘ:エヘヘヘヘ ウフ:ウフフフフ:ウッフッフ
オホ ホホホ:イヒヒヒ ウフフフ:フッフッフ ハハハハハ などなど。

ちょっと違うだけで、感じはかなり違って聞こえる。さらに考えると、笑いは、使うときの前後左右の状況によって、気持ちの良い笑いにもなれば、後味が悪いものにもなり、時には喧嘩にもなってしまう。人間の感情とは不思議なものだ。
着物の袖で口を押さえながら、”オホホ”と遠慮気味に笑う昔のご婦人。箸が転げてもあっけらかんに笑いこげる乙女。今は見られなくなってしまった。散歩道

地球温暖化に騙されるな!   書感:散歩道

2008年07月03日 | Weblog
著者:丸山茂徳 発行所:講談社 2008年5月第一版発行
全体的に見ると、地球の気温が先に上がって、そのピークの後に二酸化炭素が増え続けています。その逆も同じ。二酸化炭素の増加は温暖化の結果である。観測データがそのことを示しています。世界の潮流は地球温暖化の原因が「二酸化炭素犯人説」で決まりついつある。まるで宗教のようだ。
以上の書き出しで始まる、この本は、わが意を得たりといってよい『本当の本』であると思います。是非多くの人に読んだ頂きたい本です。

ここで、私の地球の温度に関する大局的な物理原理的な見解を述べさせてください。地球に降り注ぐエネルギーのほとんどは太陽。夜になって宇宙が暗黒になると「黒体複写」の法則で地球から熱エネルギーはが宇宙に放射される。その緩衝役を雲が受け持っている。何万年もその様なやり取りが行われて今日の地球上の温度バランスが出来上がったきた。これから先もそのままと言えるわけではないが、少なくとも数千年くらいはそのようなバランスの中で、”多少”の温暖化と、冷却化の時代が循環するのではないかと思う。
この本の中で具体的に解明されているが、現在の温暖化の議論は間違った仮定から始まって、延々とコンピューターで計算した結論が根拠である。この本の著者のように世に阿でない学者に拍手を送りたい。散歩道


雑草のつぶやき  ランダム・トーク:六甲颪

2008年07月03日 | Weblog
雑草のつぶやき(散文詩)    
俺はアスファルト車道と歩道の境目のすき間に根を張る雑草だ。ここには車のタイヤや、靴の裏に付いていた泥があるだけだが、時折の雨と太陽に恵まれ何とかしっかり生き残っている。人間様は俺のことを雑草と呼ぶ。俺の正式名称は植物辞典に出ているが、誰もその名で呼んでくれない。
辛い日々がある。大雨、かんかん照り、更には犬の小便、子供の草蹴りには耐えられるが、雑草取りや除草剤を撒くおじさんが一番恐ろしい。しかし葉はちぎられても、薬剤を掛けられても根だけは残し何とか凌いできた。
 俺に比べ人間様は何と恵まれていることか。地球上を自分の都合の良いように改造し冷暖房付きの頑丈な建物、豊かな食事だけでも羨ましい限りであるのに、いらいらしてやれ格差がひどい、ガソリンが高すぎる、あいつが気に入らない等の不平不満ばかりが聞こえてくる。俺から見ると何という贅沢とあきれかえるばかりだ。
 人間様はどうであろうと俺は雨と太陽に恵まれ僅かの土にはしっかりと根を張って結構楽しく生きている。やがて小さな花を咲かせ実を実らせ、その分身は何処かで生き延びることが出来るだろう。
 人間様よ、どうしたのだ。俺たちのように逞しく生きる術を忘れたのか。早く目を覚まして俺たちと共存しようではないか。[2008/7/3]