書感とランダム・トーク

人間の本質を根本原理から追求研究する内容さらに遡っては生物・植物その他をサイエンス的原理から考察する。どうぞ御寄稿を!

茶道・日本の芸術の行方    ランダムトーク:散歩道

2007年10月31日 | Weblog
1.はしがき
サイエンスの世界で生きてきた私が、茶道という芸術の世界の事を語る資格はありませんが、通常と違う観点から茶道の世界を観察して見たいと思う。

始めてお茶の味に興味を持ったのは中学生のときの事。理屈を追求する癖のある私は、お茶の生産に関する本を探しまくり、玉露というお茶は直射日光を避けて栽培すること等などを知った。
2.緑茶とコーヒー
昭和のはじめ頃は、人と会うと “ま、お茶を一杯どうぞ” が最初の挨拶であった。
日常使われるお茶はそれ程高価なのものではなかったが、玉露となると、すごく高価でめったに飲む事はできなかった。一方、コーヒーは高価な特別な飲み物で、渋谷にはクラシック音楽を聴きながらコーヒーを提供する喫茶店があり、そのことだけで全国的に有名になったくらいであった。

何十年も経た今日はどうだろう。喫茶店と言っても日本茶を提供する店は殆どない。一方コーヒーは、スターバックスを始め、提供する店も、コーヒーの種類も多数ある。特徴のある一定の味を安定的に提供するための機械も何種類もあり、その機構はかなり良く出来ている。ボタンを押すと、コーヒーの豆引きから始まる装置まで見かけるようになった。一方日常飲むお茶はポットボトルがやたらに増えて、電車の中でも行儀作法などお構いなく飲む若者が増えてしまった。
以上は味の世界でのお茶に関しての考察ですが、“茶道”という芸術の世界となると、もっと考えさせられることがたくさんある。

3.静かな日本の芸術
茶道は勿論、音楽も絵も、日本の芸術は何となく静かな印象がある。外国の油絵などは賑やかな感じがしてならない。日本の庭園と外国の大掛かりなガーデンは全く違う美しさだ。印象的、感情的に表現すると、日本の芸術は、ひっそりとそこに全てが一体となって存在している。一方、外国の芸術の裏側には科学的な裏づけがある。建築などはピタゴラスの定理をはじめ、遠近法などの理屈がしっかり裏方を務めている。

個人個人の才能で考えると日本人の繊細な感覚は世界で最高レベルだと思う。その様な感覚が、組織的に動く産業では大きな力を発揮し、自動車産業、テレビなどの分野で世界一の地位を獲得したのだと思う。

4.茶道の将来
誠におこがましい素人の発言ではあるが、私は、伝統ある日本の”茶道“を世界に広めるには、その背景にサイエンスを持つ事が必要だと思っている。そのような試みを関心のある茶道の先生方と一緒にやってみたいと思っている。
2007.11.1. 散歩道

火事                 ランダムトーク寄稿者:散歩道

2007年10月27日 | Weblog
 1:ロスアンジェルス近郊で大きな火事が起きた。赤い炎が数十キロメートルの早さで山間の細い溝を走り、刻々とロスアンジェルス市外にまで近づく様子がテレビに映しだされた。
7人が亡くなり数十人が怪我、そして数百件の家が全焼し呆然とした市民の姿が連日放映された。
この火事はアメリカでよく起きる山火事ではなく、どうやら付け火らしく、5人の容疑者が既に逮捕された。不幸に会った人は誠にお気の毒で、亡くなった方々のご冥福を祈り、また、確実に直接届くものなら、家が焼けた人たちに何らかの手助けが出来ないものかと思う。

2:戦時中の空襲の模様を思い出した。 その時、私は下宿していた家から三百メートル位のところにあった東北大学医学部主任教授の家のお留守番をして泊まっていた。毎晩アメリカの偵察機が夜中に襲来し、空襲警報が鳴った。しかし、この日は何か様子が違うと直感して飛び起きた。この頃は毎晩服を着て靴も履いて寝ていたから、直ぐに外に出てみると、もう隣には燃夷爆弾が落ちて燃え始めていた。防火用水と称する小さな水貯めからバケツで水を汲み先生の家の壁に精一杯の水をかけたが、もはやこれまでと自分の下宿に駆けつけた。
下宿は環状線状の仙台市のはしから200メートルくらい離れた所にあった。東京の我が家は燃夷爆弾でやられたから、そのときの経験で、東京の環状線と同じような環状市電が走っていた仙台市も、きっと環状線に沿って燃夷爆弾を落とされ、この中の市民は逃げ道を失い全員焼け殺されると直感した。 
そこで、下宿の家主さん一家と、隣の人達を説得し、隣のお婆さんを背負って200メートルくらいの川まで避難した。川の淵には“防空壕”が掘ってあることを知っていた。対岸は仙台市の真ん中から数百メートル離れていてそこは飛行場であった。空は既に燃夷爆弾で真っ赤に燃えていた。波状的にそこに爆撃機からの爆弾が落ちて、一気に炎が200メートルくらい、目の前で広がる。炎の色は赤から黄色へと,変わり、次いでもっと白いきつい色になる。温度が高いと光の波長が紫外線に近づくのだと、物理学を勉強していた私は、その現実の凄い色をみて驚いた。

その炎の奔りの凄さはロサンジェルス炎の移動の速さと大きさの百倍はあったと思う。2時間位して下宿に戻って見ると、幸いにして下宿は、ぎりぎりで燃えないで残っていた。隣の方々に余計な事をしたかと思ったが、そこのご家族からは何時までも、何度も感謝の言葉を頂いた。
 翌日朝、仙台市を歩くと殆ど何も見えない。全くの瓦礫の山。辛うじて焼けて縮んだ丸焦げの馬の姿が今でもはっきりと瞼に浮かんでくる。亡くなった市民は多分数万人か、数十万であろう。
この方達は後世の人たちに何も言うことが出来ないのだ。火事の話しを聞くと、どうしても、この時の事を思い出してしまう。

戦後日本の若者から消えたもの ランダムトーク 寄稿者 六甲颪

2007年10月18日 | Weblog
             戦後日本の若者から消えたもの

戦争中から戦後まで日本の少年達が持っていた奇妙な習慣や体質が現在ほとんどなくなっているものを取り上げたい

1 習慣の変化
1-1 「頭をかくこと」 何か失敗したり、恥ずかしい思いをした時、手を頭にやって「すみません」とか言うと大抵のことは許されたが、今の子供は頭をかく習慣がない。当時は男の子供だけの習慣で大人や女性はこの仕草をしなかった。(日本人の発明か?)
1-2「顔を赤らめること」恥ずかしがりの子供は何か失敗したり、急に褒められたりすると、顔を赤らめたものだが、今の子供には余り見られない。大人もポーカーフェイスが多く殆ど赤面しなくなった。
1-3 「独り言を言う」のは遊びに夢中の子供によく見られたが、今はテレビ、ゲーム機の普及の為か余り見られなくなった。子供の空想の世界はゲームに取られたのか?

2 体質の変化
2-1「シモヤケ」が子供の手から消えた。冬遊びに夢中になり手を腫らし風呂でしみて辛かった。春になってやっと良くなった。冬手袋なしで遊ばなくなった為かも知れない。
2-2 「ニキビ顔」いわゆる思春期のシンボルとしてニキビ顔の少年少女が多かったが、今は殆ど見られなくなった。これは体質と食生活の変化が原因であろう。

3 医学の進歩による病気の変化
3-1伝染病 若者の多くの命を奪った結核、ハシカ、天然痘等は病原菌の発見とワクチンの力でほとんど感染しなくなった。又抗生物質の発見で肺炎も激減した。医学は若い人々を救ったが年配者の疾患(ガン、糖尿病、心臓疾患、脳出血)にはまだ充分な対策が確立していない。
3-2 盲腸炎(虫垂炎)と扁桃腺炎  昔の若い人を悩ませた病気であったが殆どこの病名を聞かなくなった。抗生物質で押さえ込まれたとも言えるが、余り聞かない病気になった。
この他本文を基にして話題が展開することを期待している。
                      杉山 卓 [2007/8/31]

大きい事はいい事か? ランダムトーク:散歩道 

2007年10月17日 | Weblog
随分前の事になるが、日産自動車が新車の宣伝に “隣の車が小さく見えまーす” と言うキャッチフレーズを使って大いに享けた事があった。同じコストで少しでも大きく見せる事が必要だった時代のことだ。今は事情が変わって、こじんまりした車のほうが使いやすい状況となり、見栄で大きな車を買おう人はいなくなった。
動物の世界も、人間を含めて、大きいと力が強く有利に見えた。 

しかし、権勢を誇ったマンモスの蔭で小さくなって生きてきた人間は、今や地球を独占しているように見える。しかし、再びしかしである。現在、地球上で見ることが出来る大きな動物として、鯨とか,ゾウ等が存在する。一方小さい動物は、“虫眼鏡”等をはじめ、技術の発達に伴い、小さい動物、昆虫その他、今まで知らなかったような小さい小さい動物の存在と、その巧妙な生き様が次々に紹介されている。人間は生物の中ではかなり大きい方だといえる。先行きどうなるのであろうか?
 以上は、動物の大きさに関しての考察であるが、次に、人間が作っている社会組織、つまり、国家、会社を始め諸種の集団組織の大きさに関しての考察をして見たい。
目に付くわかり易い例として、流通機構の肥大化がある。ヤマダ電機の派遣社員の利用など、大きな組織になるとやりたい方だという現象が起こる。社会的に糾弾される現象は氷山の一角だから、実際は、もっと大きなやりたい放題が続いていると考えてよい。食品に関しても同じ現象が起きている。伊勢の有名な赤福なども有名になって何をやっても大量販売が可能になったので、やりたい放題のインチキをやって反省もしない。
以上身近な例として、組織が大きくなると、大きな権力を持つ事が出来ると言う事を観察した。もっと、わかりやすい例は国家と言う大きな組織だ。卑近な例では、日本と言う国家が、 漸く一人前になる頃の、徳川、明治の時代における国家組織の責任者には、世界に恥じない国家を民衆とともに作りたいと言う大きな責任感を持つ人物が、国家の責任者になった。ところが、そこそこに大きくなって経済的にもいい線まで大きくなると、その権力の上に立って、国民から税金を矢鱈に取るだけでなく、それを横領して知らん顔と言うやりたい放題の現象がまかり通ってしまう。
大きい事はいいことではない。どうしたら、小さい、そして、独自の特徴を持った多数の平和な集団という仕組みが出来ないものかと思う。散歩道071017

寅彦と冬彦 池内了編 岩波書店 書感 寄稿者 六甲颪

2007年10月17日 | Weblog
寺田寅彦ほど大正から昭和に亘って日本の科学者だけでなく文学者からも注目され尊敬された人物は稀である。この寅彦の多方面にわたる活動について著名な俳人、文学者、科学者等の11人が各分野について論評したのが本著である。
寺田寅彦は1878年(明治11年)に高知で生まれ,1935年(昭和10年)病を得て亡くなるまで多くの注目すべき200を超える科学論文とを発表しながら、次第に関心は随筆の執筆に移りペンネーム吉村冬彦の名で多数の名文を残して来た。
 科学者としての研究も多方面に亘るが注目すべき業績としてはX線による結晶解析で学士院恩賜賞を受ける最先端の研究であったが、彼は次第に欧米の後を追う日本物理学を疎ましく思い、関心は独自の観察による新しい物理学の開拓に向かっていった。これは今日でいう複雑系の科学に相当するもので有益な観察結果を残している。しかし当時の物理学者は寅彦の態度に批判的で「専門外の分野に乗り出す余裕はない筈」ともいわれた。
 まず本著の中で寅彦の才能を俳句の分野で見出された。熊本第五高等学校の教師に夏目漱石がいて俳句を教わる機会に恵まれ、多くの俳句を残しているが、その中で
  石垣の鼬の穴に野菊かな  とか  ぬかるみのほのかに白し星月夜
等はいかにも科学的観察力の鋭い優れた句と思われる。
寅彦が俳諧を大切にしたのは「日本人の独特な自然観が俳句と言う特異な詩を発達させた」
とし、科学中心の世界になっても俳諧の雰囲気を残したかったのであろう。
 しかし彼は科学的観点に立つ随筆に才能を発揮する。科学的に見ると新しい現象が次々と見出され、同時に次々に新しい疑問が起きてくる。これこそ必要な科学的精神との考えを貫いた。寅彦の発想は21世紀になって新しい科学思想となり蘇ってきた。
杉山 卓       [2007/10/16」

テクノクラート小堀遠州―近江が生んだ才能― 書感:辻修二

2007年10月16日 | Weblog
テクノクラート小堀遠州  太田浩司 2002年 サンライズ出版 本体1200円
      
小堀遠州は一般的には武家茶道の創始者として、また造園の大家として名高いが、一方で徳川幕閣に連なる大名として、生地の近江を始め河内や備中などの国奉行、そして御所や城郭の普請、大庭園の造成などを総指揮する作事奉行まで務めた、いわば江戸初期を代表する行政官であり、同時に有能な技術官僚であったことはあまり知られてない。
 本書は、遠州に縁の深い滋賀県の市立長浜城歴史博物館学芸員である著者が、専門である中世文書研究から小堀家系図を始め周辺の手紙や公文書などさまざまな文献を駆使して、遠州が生きた時代と彼のもう一つの顔を生き生きと描いてみせた、地味ではあるがきわめて興味深い書である。
小堀正一(まさかず)は父の死によって26歳で遺領1万2000余石を継ぐが、すでに父の正次が備中奉行として行政手腕を見せていたことから、おそらく遠州は父とともに検地や徴税、さらには作事の実務を経験していたようである。また、10歳で千利休に会い、その後は古田織部に茶の手ほどきを受けたというから、上流階級の理想的な環境で情操教育を受け、教養を身に付け、その才能を存分に伸ばしたのだろう。父の死後、正一は駿府城普請の功で遠江守に任じられ、「遠州」の由来はここにある。
本書によれば、小堀遠州は伏見城、駿府城、名古屋城、大阪城、二条城、江戸城などの建造や修復を手がけ、同時に国奉行として検地や徴税、さらに漁場や農業用水争議などの裁定業務をこなし、また「仕置」と呼ぶ大名の国替え時に領地や城の引渡し管理までまかされていたという。江戸幕府のいわば重要政策の一環だった仕置を、外様の小大名である小堀遠州が行なっていたことは、土木建築など実務面の能力はもちろん、行政官としての彼の資質や人格教養までを評価されてのことかもしれない。
こうした職務の間も、遠州は徳川家光始め保科正之、尾張徳川家、そして堀田正盛や阿部忠秋、松平信綱といった当時の幕政を支えた人々と茶を通した交流があり、さらには前田家、井伊家など各大名の茶道師範として、茶の点前の指導から茶道具の鑑定、故実の教授、造園の指導まで、遠州は並ぶもののない第一級の数寄者、風流人としての姿を垣間見せた。
本書はまた、真偽は定かではないが遠州が公金流用事件を起こしたとき、それを聞いた酒井忠勝は「遠州は当代随一の数寄者である。そんな過失で天下の名物を失うことは忍びない。私は遠州を見限らない」といって金千両を送り、さらに遠州を慕う人々が続いて損失額以上が集まり、返済も遅滞なく進んだ、というエピソードを紹介している。遠州の人柄を語って余りある。
現代は経済性を重視するあまり、ともすれば人間性を失った閉塞状態にある。仕事に追われるなかでも花鳥風月を愛でることを忘れない心のゆとりや姿勢、それが芸術というものだ。遠州のような二面性を人生においても大事にしたい、と著者は結んでいる。
私も同感である。さらにいえば、本書のように地道で真摯な研究の成果を、厳しい出版状況のなかでも地元で積極的に出し続けている出版社に敬意を表したい。

蘭学事始 杉田玄白著 片桐一男訳注 講談社   書感:狸吉

2007年10月11日 | Weblog
 蘭学事始 杉田玄白著 片桐一男訳注 講談社  2000年 820
江戸時代の蘭学者杉田玄白は83歳のときに回想録「蘭学事始」を書き上げた。その原本と現代語訳、それに詳細な注釈を加え文庫オリジナル版としてまとめたものが本書である。末尾には全体の1/3ものページを割いた写真入の解説が付属する。高校時代の教科書で垣間見たかの有名な蘭学事始を、この本によって現代語で読み下すことができた。体裁は小さいが内容は膨大な本である。これだけの労作を文庫版として出版された著者と出版社に感謝したい。

新規なものに対する禁制が厳しい江戸時代。幕府の意向を伺い、横文字の知識がほとんどない人々が集って、オランダの「ターヘル・アナトミア」を「解体新書」として翻訳した苦労はいかばかりであったか。この本を読むと、その時代に生きているような臨場感が感じられる。異国の言葉を習得しようとする執念が伝わってくる。たとえばオランダ通詞がオランダ人から辞書を借りて三度も筆写し、本の持ち主は努力に感じ入ってその辞書を与えたとのこと。杉田玄白が蘭書読解に志してから50年。その間にオランダ語の知識が普及した状況を見て、大いに満足した様子が読み取れる。大変ではあったが幸せな一生であったと言えよう。この時代の記録を残したことは後世に対する素晴らしい遺産である。



ヤモリの指 生きもののスゴい能力から生まれたテクノロジー 書感:藤田

2007年10月03日 | Weblog
ヤモリの指 生きもののスゴい能力から生まれたテクノロジー

ピーター・フォーブス著 吉田三知世訳 早川書房 2007年3月発行¥1,200

オリジナルは「THE GECKO’S FOOT Bio-inspiration-Engineered from Nature 」で、英国のサイエンス・ライターが新しい技術分野を紹介したユニークな内容です。ケラー・オータムという方が天井にいた大きな蜘蛛をヤモリが這っていってぺろりと食べてしまったのを見てヤモリの足の接着力を研究テーマにされたのがきっかけだそうです。ミクロの世界でも知らないことばかり、あらためて感心してしまいました。

ヤモリの足の裏には横方向に数本の「ひだ」があり、それが交互に張り付いては離れるということを繰り返し、足の裏全体として「ウェーブ」のような運動をしているそうです。

電子顕微鏡で観察すると、ヤモリの足のつま先部分にはたくさんの毛が密集して立っている。片足で50万本近い数の毛がある。

さらに、毛の先端は一本の毛が100~1000本の細い枝毛になっており、その枝毛の先端はスパチュラ構造(スプーンのようなもの)になっている。

ちょうど、先っちょにブロッコリのついた髪の毛みたいだと例えられています。

一匹のヤモリはこの面接触するスパチュラ(直系約200nm 1nm=1mmの100万分の1)を約10億個も持っている。

ヤモリが物の表面に接着するプロセスについて、ファンデルワールス力という聞きなれない力が働いているというのが結論としています。

ファンデルワールス力とは二つの物体の距離が2ナノメートル以内にあるときしか働かない、全てのものに作用する普遍的な凝集力で、重力でもなければ、電気でも磁気でもなく、化学的な結合力でもない力だそうです。つまり「分かれた毛先が分子のレベルで面と結合する」ということだそうです。

50グラムのヤモリが体を支えるのに手足の毛の面積のたった0.4%しか使っていないそうです。全部使うとなんと120kgもの力を支えられるという優れものだということが判ったようです。

このヤモリの足の構造を人間が作り出そうとしているそうで、ヤモリテープとして近い将来、実現されるだろうとのことです。

ヤモリの足の裏の構造を知り、非常に興味をもち、自然はすごいと実感しました。そして、それをナノレベルで人工的に再現しようとする人間の探求の流れを知ることになりました。

なお、本書にはヤモリだけでなく、そのほかにも、蜘蛛の糸の不思議さや、泥の中でも汚れ知らずのハスの葉の構造などのテーマについて、これらの構造も人工的に再現しようとする試みについて取り上げています。     藤田 昇