書感とランダム・トーク

人間の本質を根本原理から追求研究する内容さらに遡っては生物・植物その他をサイエンス的原理から考察する。どうぞ御寄稿を!

「埼玉、大宮」の地名の語源 ランダムトーク:藤田

2008年08月28日 | Weblog
「埼玉、大宮」の地名の語源がホツマツタヱ(39-90)から出ていると読み取れますので紹介します。

はなひこは わがさきみたま
しろしめし かわあいののに
おおみやを たててまつらす
ひかわかみ いくさうつわは
ちちぶやま きさらぎやかに
くにめぐり まつらうしるし
・ ・・・・
はなひこ(ヤマトタケ:日本武尊の別名)は 今回の東征の成功により、自分の(我が)先祖の御霊が「スサノウ」であると固く信じたので、川と川の合流地点の野に、先祖「スサノウ」を奉るため、大きな宮(すなわち氷川神社)を建てました。

「さき(先祖)みたま(御霊)」→「さきたま」→「さいたま」→「埼玉」に変わって行った。「み」は謙譲語。
「おおみや(大きな宮)」→「大宮」の語源となった。

「ひかわかみ」→「氷川神社」について、大宮にある氷川神社は武蔵一ノ宮といわれています。

「ヤマトタケ」は「スサノウ」の生まれ変わりと固く信じたので、「スサノウ」つまり「氷川の神」を奉った。
昔、「スサノウ」が「ヤマタノオロチ」を退治した場所が「ヒカワ」であったため「スサノウ」は「ヒカワ神」の名を天照大神より賜わったことによります。
関東地方のあちこちに氷川神社があるのは「ヤマトタケ」が訪れた場所の名残と考えられます。

(当時は東京湾の海面が5mほど高かった推定され、大宮付近は海に近かったと考えられます。この川は荒川と利根川?と思われる)

以下、用済みになった「いくさうつわ(武器、甲冑)」は「ちちぶやま(武甲山)」に収めた(埋めた)
そして、2月8日にこの近辺の国(武蔵の国など)に、未だ反乱分子がいないかどうか巡回してまわった。と続きます。

以上、 高畠氏の解釈を基に紹介させていただきました。藤田昇

川柳の一つ上行く1001流  ランダム・トーク:散歩道

2008年08月23日 | Weblog
川柳にいまひとつ足sし1001柳 一人でも山に籠れば仙人だ 
仙人に弟子が加わり1001人 千いち柳、山にこもって道極めん

遥けくも創り続けし駄洒落みち  ミンミンと一年分を今に生き
岩もなくまだらな木々に蝉の声  ミンミンと身の凡てをば喉にして

朝まだきそよ風頬に秋をしり ... そよ風が暑かりし日に別れ告げ
花火消え静かに仰ぐ秋の空 ....ゴロゴロと喜び悲しみ噛みしめて

夏秋と激しく変わり世の中も、せめては人の心変わらず
暗い雲 世の行く末のお告げかな、流れに任せ明日をば待たん

散歩道

八王子と都心の夜間温度差について

2008年08月15日 | Weblog
   「八王子と都心の温度勾配に付いての俗説と実測比較」 ランダム 六甲颪

 私は勤務の関係上中央線をよく利用していた頃、仲間の間では俗説として
“八王子と都心では夜間になると40Cの温度差がある”
と言われていた。これを更に詳しくいうと「都心を出発し高円寺まで来ると10C下がり、
吉祥寺に来ると20C下がり、国分寺に来ると30C下がり、最後の八王子まで来ると
合計40C下がっている。その場所は不思議にお寺さんの駅名になっている。八王子も
八王寺となれば完璧だが発音でいうと同じ「じ」だから勘弁してくれ」となっている。
これは本当であろうかと調べてみた。Googleの中に杉並区自然環境調査報告書のなかに
都心と杉並区、八王子の3地区の気温観測地が発表されているが、この中に各月の最低温度のデータが記されている。(2001年から2005年)
この表によれば八王子と都心の温度差は各月により多少の高低はあるが、1.50 から60Cの範囲にあり、平均すると3.80Cとなっていて、俗説で言う40Cに極めて近いのに驚いた。
俗説も時には実証してみると役立つことが判った。

日本の食卓からマグロが消える日-世界の魚争奪戦 書感:辻

2008年08月13日 | Weblog
星野真澄・著 NHK出版 本体1,500円 2007年
日本の食糧自給率が50%を割って久しい。たとえば、食糧と家畜飼料を合わせた穀物の自給率は、1960年の83%から2000年には28%にまで落ち込んだ。とくに小麦は、日米安保条約という大きな枠組みのなかで強制的に輸入にシフトし、農業政策として国産は事実上放棄された。小麦を使った食品が値上がりしているのは、そこに遠因がある。食の安全保障を意識しなかったツケが回った結果かもしれない。

世界有数の漁業国として、大型漁船の建造技術を始め遠洋漁業や航海技術など世界に冠たる実力を誇ってきた日本の漁業も、今や同じ命運を辿りつつある。遠洋マグロ漁船は次々と廃棄され、水産会社は外国企業や投資家に買収され始めた。本書のタイトルはいささか刺激的だが、水産物自給率が1964年の113%から2003年は57%に半減している現状を見るにつけ、私たち消費者の姿勢も問い直されている。国も国民も、本当に日本の漁業を残そうと考えているのか。

BSEや鳥インフルエンザ問題などから食肉離れが進む世界の食卓事情は、長寿や健康志向もあって魚介類への傾斜が急という。とくに中国は、新鮮な海産物の巨大市場として広がりを見せ、高級魚指向の日本では養殖魚の餌になる形の崩れた魚や小型魚が、盛んに中国に輸出されている。中国人は、海鮮食材のおいしさを知り始めたのである。

日本の食卓では調理が面倒な魚は敬遠され、ノルウェーやチリの生け簀で養殖した脂の乗ったサーモンやマグロがスーパーや寿司屋に並ぶ。一方で、国産魚の価格は下落傾向を見せ、日本の水産物消費も横這いという。これまで世界のマグロ消費をほぼ独占してきた日本は、高品質という高いハードルゆえに、中国を始め新興の魚消費国に優先的に買い付けられ、もはや簡単に入手できない事態を迎えつつある。

中国は最近、マグロなどの超低温冷凍倉庫を完成し、来るべき大量消費時代に備えつつあるという。日本のある水産商社は、中国市場を睨みつつ売込みと同時に日本への還流分も確保するという生き残りビジネスを展開しながら、日本の食の安全保障を模索している。

日本の食卓には、世界中から輸入された食材が溢れている。外国の労働者が加工した魚が、日本の学校給食に提供されている。しかし、魚を他の工業製品と同じように扱い、便利さや手軽さ、経済性だけを追求し続けていくことを見直す必要がある、と本書は結んでいる。

石油と同じように現実味を帯びてきた魚介資源の枯渇に直面したとき、それこそ世界中が鯨を追う姿が現実になるかもしれない。

「武蔵の国」の地名の語源をホツマツタヱ(39-84)から ランダム・トーク:藤田

2008年08月11日 | Weblog
・・・・・・・・・・・・・・ さかむのたちに
いりませば のにかたあぶみ
とらがしわ ひろいかんがえ
あぶみさし いまたてまつる
たまかざり ほめてたまわる
むらのなも たまがわあぶみ
みさしくに さがむのくにと
もとひこに なつけたまわる
くにつかみ ・・・・・・・・・・・・

紀元2世紀、えみしの勢力を鎮圧し、諭すため、景行天皇の命をヤマトタケが受けました。そのため、ヤマトタケは80人の兵を引き連れて、駿河、相模、上総、勿来までと(仙台へは部下の大友武日が勅使として交渉に行き説得)行き、説き伏せることが出来た帰り道のことです。

ヤマトへ帰る途中、相模の館(厚木神社と考えられる)に帰ってきたとき、虎柏なる武将が現れ、戦場で失った鐙(あぶみ)を榊にさして、たま飾りとして、ヤマトタケに献上した。このとき、鐙をさして献上したことにより「あぶみさし」→「あぶみ みさしくに」という国の名前が付けられた。「み」は謙譲語。

このホツマツタエ記述のこの部分を知らなければ、ヤマトタケの東征で唯一激しい戦いであった場所なので、「みさし」が「むさし」になまり、「武蔵」という漢字に置き換えられたのは的を得ているようにも思えます。
深大寺の近くにある、虎柏神社はこの「トラカシワ」という武将の名残と考えられます。
この虎柏神社付近の町名になっている佐須町や佐須街道はこの「みさし」の「さす」という語源から来ているものと考えられます。
また、この「あぶみを拾った」という記述部分から、当時既に馬に乗っていたことも分かります。
以上、 高畠氏の解釈を基に紹介させていただきました。藤田昇

聴く鏡  書感:智致望

2008年08月07日 | Weblog
  菅原正二著 (株)ステレオサウンド 定価2667円
本書は、菅原正二氏が雑誌ステレオサウンド誌に連載していたエッセイ集である。
菅原氏は、早稲田大学在学中、ハイソサエティー・オーケストラでバンドリーダー兼ドラマーとして活躍し、卒業後は「チャーリー石黒と東京バンチョス」のドラマーを勤めていた。その後、郷里の一関に戻りジャズ喫茶「ベイシー」を開店し現在にいたっている。
ジャズ喫茶「ベイシー」は、ジャズ発生の地米国のバンドリーダー「カウントベイシー」に模して命名され、親交の深かったカウントベイシー本人もわざわざ尋ねて来た程の店である。最近は、JRの車内誌「トランベール」にも紹介され名所見物のルートとなってしまい、ジャズに関係無い観光客が訪れるようになっているとの事で、これこそ今、ハヤリの町おこしと言うものだろう。
菅原氏の視点は、なかなかユニークなもので読んでいて楽しいし「ハッ!」と思わせるものを感じさせられる。
例えば、「カンチガイの教訓」の文章を紹介してみると。
「災害は忘れた頃にやって来るとは限らない。それは往々にして立て続けにやってきたりするし、二度ある事は三度あるとは限らない。二度ある事はむしろ何度でもある可能性のほうが強い。
あとで生まれた人間が先に生まれた人間より進化しているとは限らないように、年代の新しいものが古いものより必ずしも新しいとし限らない。
はじけてこそバブル。去ってこそブーム。バレてこそ嘘。失ってこそ大切。珍しいから貴重。ありふれているから下らないとは、全く持って限らない」
極め付けは「趣味は面倒なものに限る。面倒は愉しみを持続させ、楽はアクビをさそうだけ」と言う具合。
この様な、色々な視点での発言はその感性の豊かさが伝わって来て、面白さと考えさせられるものが本書には有る

負の数学 マルテイネス著 青土社 書感 六甲颪

2008年08月05日 | Weblog
   「負の数学」 アルベルト・A・マルテイネス著 小屋良祐訳 青土社 2600円
                               書感 六甲颪
この本の副題に“マイナスXマイナスはマイナスになれるか”とあるように数学の基本に突っ込んだ特異の雰囲気の本である。最近ある集会でメンバーの一人が「マイナスとマイナスを掛けると何故プラスになるのですか」という質問があって、家に帰ってから気になり1週間程思い悩んだ頃、偶然にも本屋で表題の本を見つけ出した。この本から判ったことはこの疑問は既に1800年頃から問題になりその後数十年も論争が続いてやっと現行のマイナスXマイナスはプラスという基本ルールを決めることが出来た。
ここで負の数が奇妙な性質を持っていることの例として正の数を1/2乗すると 
41/2=2となり正であるが、負の数を1/2乗すると(-4)1/2=2√iとなって負の領域でなく虚数という次元の違う分野に入ってしまう。虚数という概念もつかみにくいが負の数字が関連から出てきたので多くの数学者を苦しめた
そこで1800年当時の数学者ハミルトンは今までの負の取り扱いについて疑問を持ち、新しい概念による4元数論を定義し問題の解決を図ろうとした。しかしこの概念は複雑すぎ物理学者からは敬遠され従来の代数方式を更に推し進めていった。その内、学会では幾何学と微積分学が大いに伸張し、更に積極的に虚数を使いこなすようになった。その中でもヘビサイトは先駆者でd/dyと言うような微分記号を代数として取り扱い物理現象の動的解析に役立つ分野を築いた。後になってワグナーはヘビサイドの演算子法は数学的に正しい事を証明した。
原点に帰ってマイナスXマイナス=プラスであるべきか、マイナスであるべきか調べると
何れでもそれぞれの数学分野が成り立ちうることを著者は解説している。マイナスにした場合の代数的規則を作ればそれなりの公式が出来上がるが、やはりどちらも物理現象の説明には十分でない。改めてマイナスXマイナスの物理的意味を掘り下げて調べたい。
[2008/8/5]


孫に接待される爺婆 ランダムトーク:智致望

2008年08月04日 | Weblog
 近頃、歳をとったこともあって、我が家に来宅されるお客にはお茶とお菓子で接待し、食事は近くのレストランにお連れするようにしている。しかし、私の近辺には良い店が少なく、選択に苦慮するのであるが、それでもお客をご案内し喜んで頂けるような数軒の店がある。

最近、物価上昇でレストランも客が減っていると言われているが、それらの店は決して安い店ではないのに、何故かこのごろ特に繁盛している。最近の客の動向を観察すると、比較的裕福そうな爺さん婆さんが孫を連れてくる客が増えている、その場合の財布は往々にしてルーズになっているようだが、大人の空間にガキが入ると我々の会話は台無しになってしまう。

そもそも、孫の世代のガキに大人の食事と会話の雰囲気など必要無いし、彼らもその価値などわかる筈も無いのに、孫に目がくらんだ爺さん婆さんが連れてくると言うことは、日本の生活レベルもやっとそこまで来たと言うことであろうし、逆に文化のレベルもその程度だと言う事になる。

だから、後期高齢者などと呼ばれて役人からふんだくられると考えて良いのではなかろうか。後期高齢者と呼ばれて怒る前に、お互い身の回りを確りし合おうではないか、孫に目じりを下げるのも良いが、育てることを考え残り少ない人生を大人の世界に浸りたいものである、これからは消費税を上げられて更にふんだくられそうですぞ。