書感とランダム・トーク

人間の本質を根本原理から追求研究する内容さらに遡っては生物・植物その他をサイエンス的原理から考察する。どうぞ御寄稿を!

自動車の速度計の謎  ランダムトーク 六甲颪

2008年06月24日 | Weblog
自動車の速度計の謎  ランダムトーク  六甲颪
ずっと以前から不思議に思っていたことであるが、自動車の速度計(又はエンジン回転数計)のフルスケール値が全く実現出来ない大きな値となっていることで、例えば私の乗っている車の場合は280km/hという値となっている。
この車で実際役に立つ数字は高速道路での100km/h位まででこの値でも未だフルスケールの半分以下しか振れていない。ましてや一般道路では40km/hから60km/h位であるから、大きな計器盤フルスケールの1/7から1/5位しか使っていない事になっている。
これは電気計器を扱ってきた技術者からみれば振れの少ない所の指示値は0点誤差も加算され正確さを欠くので、せいぜい150km/h位をフルスケールにし、正確で読みやすくすべきと考えるのが普通である。
このことを何人かの人に質問してみたが、はっきりした理由は分からないままとなっている。一部の若い人は地方の広くて真っ直ぐな道を走ると「メーターを思い切り振らしてみたいな」という誘惑に駆られることがあるらしい。
車の設計者としては「自動車自体を台車に乗せテストするときは280km/hでもあるいはエンジン回転数6000回転でも車体は全く異常が起きないし、規格を満足している」と性能を誇っている。道路さえよければ性能は保証すると言うのであろうが、実際の一般運転手としては不必要な性能であるので自動車業界でこの点改革の議論をして貰いたいと思う。[2008/6/24]

フルシチョフとアイゼンハワー会話の通訳で大失敗  ランダムトーク:散歩道

2008年06月23日 | Weblog
これも「米原真理」さんの著書からの紹介。
1959年時のソ連邦首相フシチョフがアイゼンハウアー大統領との会談で訪米したとこのこと。ロスアンジェルス市長主催の歓迎晩さん会で主賓挨拶を行ったフルシチョフが、『お前らを土に埋めてやる』と言ったため歓迎会の宴は修羅場と化した。主催者側は勿論無礼きわまると抗議、一方ソ連側は旅程を繰り上げるという騒ぎになった。

実は、フルシチョフがロシア語で言ったのは「資本主義は滅びゆくが社会主義には生命力がある。だから、我々のほうが、あなた方のお葬式をしてあげることになる」という皮肉ではあるがやんわりとした丁寧な表現だった。

「葬式をする」というロシアごには埋葬するという意味もある。それが土葬、土に埋めると英語で表現してしまったのであった。

”お疲れ様”で大失敗  ランダムトーク:散歩道

2008年06月23日 | Weblog
 何気なく日常よく使われている”お疲れ様”という言葉は、私は大嫌いである。仕事に興味を持って働いて、誰かに”お疲れさま”と言われたらガッカリしてしまう。さて、これは通訳の言葉の使い方で大失敗した話。
国際的に有名なロシア語の通訳者、そしてエッセイストとしても一流の米原万理さんの著書「不実な美女か貞淑な醜女か」からの紹介する。

米原さんの先輩C嬢がソ連の大音楽家の通訳を引き受けた時の話。演奏は大好評で、カーテンコールを終わり幕が降りた。彼女はこの大音楽家に何かねぎらいの言葉を言おうとして、ロシア語で ”お疲れ様”(英語でいえば Are you tired?)
とやった。とたんにその演奏家はあからさまにいやな顔をして、金時の火事見舞いとはこの事と思わせるくらいの真赤。C嬢はどうしても訳がわからなかった。

やっと気がついたことは、”お疲れ様”を正確に訳してしまうと、あなたはお疲れになりましたか?つまり、「今日の演奏は不出来なようでしたが、お疲れになったでしょうね」と聞こえてしまうのだ。 
言葉の背景を間違えて、単純に1対1対応で訳すことの恐ろしい笑い話。
散歩道
                                           

熟年革命  書感:狸吉

2008年06月16日 | Weblog
渡辺淳一著 講談社 2008年 \1155
 この著者は流行語「鈍感力」の元祖で、不倫小説などが得意と理解し少々敬遠していたが、本書を読んで自分の間違いに気付いた。
 著者は高齢者を、「ゴールドほど派手ではなくシルバーほど地味ではない、底光りするプラチナ世代」と名付け、人生を楽しめと呼びかけている。熟年健康法として入浴中の飲酒や、頭の廃用性萎縮を避けるための恋愛を勧めたり、世間一般の常識から外れた主張も、医学博士の肩書きを持つ著者だけになるほどと受け入れられる。

 各章の見出しを拾うと、「廃用性萎縮を避けよ」、「恋愛で自己革命」、「スキンシップの効用」、「照れずに口説きを」、「男はシャケ・女はマス」、「加齢の性的メリット」、「釣った魚への贈り物」など本書の狙いが浮かび上がってくる。従来の老人像に自分をはめ込み「年相応に老いる」のはつまらない。反対に「年甲斐も無い人」になって自由に羽ばたけと提唱している。この本を再読し、時代の変化に合わせ、自己の構造改革を進める意欲がわいた。

スポーツの多様性と判定基準の分類 ランダムトーク  寄稿者 六甲颪

2008年06月16日 | Weblog
  「スポーツの勝敗と判定基準の多様性」 ランダムトーク 寄稿者 六甲颪

スポーツは次第に種目も多く多彩になってきたが、観点を変えてその勝敗決定の基準とルールの分類を試みた
1 個人競技
1―1 個人の力量を物理計測で決める競技(純個人競技)
 (a)速さを競う競技;陸上トラック競走、100mから長距離までのタイムレース
   水泳、100mから1500mまでの各種泳法によるタイムレース(氷上も同じ)
 (b)跳躍力を競う競技:高跳び、棒高跳び、幅跳び 三段跳び(長さcm)
 (c)腕力を競う競技;砲丸投げ、やり投げ、ハンマー投げ、重量挙げ(kg)
  判定:所要時間、飛距離、重量等の物理計測による絶対測定
1-2 個人対個人の力量や技を直接争う競技(個人対抗競技)
(a)柔道、剣道、相撲、レスリング、フェンシング、拳闘、腕相撲、テニス、バト ミントン、羽子板等(但しシングルプレーの時)
  判定:相手を倒す、押し出す、標準技で決める、ポイントを突く等相対的力量    差で勝負を決める。
1-3 個人の力量だけでなくその正確さや芸術性を含んで勝敗を判定する競技
    フギュアスケート、シンクロスイミング、スキージャンプ、等々
2 団体競技
2-1 団体の総合力の強さで勝敗を決める競技(純団体競技)
  綱引き、ボートレースのペア、フォア等、
  判定:団体の力量の総和だけを評価する。個人の力量は評価しない。
2-2 個人の力量を評価する団体競技(個人賞を含む団体競技)
  (a)個人の力量の総和で勝敗を決める競技:
   野球、サッカー、ラクビー。ホッケー、アメリカンフットボール、ハンドボ   ール、陸上水上リレー、テニス、バドミントンのダブルス等
  勝負は団体の力量で決まるが、個人の力量も評価される。例えばホームラン   数、打率、打点、防御率、奪三振、ゴール数、サービスエース等
3その他;多数ある競技でゴルフはストローク数からハンデイを引いた打数勝負が決まるが、その数は自己申告による。審判が不在でプレーできる唯一のスポーツである。
[2008/6/11]

知っておきたい単位の知識200  書感:散歩道

2008年06月12日 | Weblog
 著者:伊藤幸夫・寒川陽美 発行所:ソフトバンククリエイティブ㈱ 定価952円
ソフトハウス、編集プロダクション等を経て、フリーライター。単位の本という題名からは、堅苦しい単位表の一覧表とか、単位の説明と思ったら、単位が人間社会で必要になって、種々の単位が成り立ち始める話など、物語風な説明本である。/font>

ちょっと残念なのは、時折、説明が正確でないてんであるが、それは通常の固い本で読むことにして、楽しんで単位物語を呼んで頂きたい。日常よく使う単位についての説明の一部を紹介して、書簡とします。

1.お酒の単位 2.畳の面積 3.服の大きさ 4.カロリー 5.音 6.明るさ 7.絶対温度とは 8.ダース 9.魚の数 10.mol という単位
など、なかなか面白く説明されている。    散歩道

日本海はどう出来たか 書感:藤田

2008年06月11日 | Weblog
著者:能田 成 出版社:ナカシヤ出版 2008年5月 ¥1900
著者は同位体地球化学の専攻された方である。
著者の岩石採集の道中記やその分析結果、考察をまじえ、得た結果からさらに採集調査を繰り返してきた軌跡を記録にした内容になっているため、何処で結論が出てくるかと思いながら読みました。

採集した797地点の火山や日本海の試料で、Sr(ストロンチウム)とNd(ネオジム)の同位体分析という手法により、同位体が場所ごとにどのように変化したかを調べることにより、火山岩をつくったマグマがマントルからどうできたか推定されていった。 
一方で、岩石に含まれている磁気成分の分析。
その岩石が生まれたときの地球磁場の方向を記憶していることにより、東日本と西日本の岩石には磁気方向に多くの違いが見つかり、新生代のある時期に日本列島は折れ曲がったと推定された。
そして、折れ曲がって生じた空間が日本海になったというのが現在の結論であると推定されている。
日本列島の東北、北海道は北アメリカプレートという地殻に乗っており、西南日本はユーラシアプレートに乗っている複雑な地殻に位置している。
1500万年前に日本列島は大陸から回転運動によって切り離されるまえは現在のアンデスのような陸弧であったと考えられるとのこと。
本書の結論と、北アメリカとヨーロッパ、南アメリカとアフリカは古生代にはくっ付いていたという説から、能登半島の出っ張り部分とウラジオストック付近の凹み部分は、かって隣りあわせだったのではないかなという気になりました。 藤田昇

進化と人間行動 書感:山崎義雄

2008年06月06日 | Weblog
長谷川寿一 長谷川理子 東京大学出版会 2,500円+税
本書は、東京大学教養学部1、2年生向けの総合科目「適応行動論」のテキストと
して書かれたものだという。ダーウィンの「種の起源」に始まる進化学説と最新の進化生物学の知識をもとに、人間の心理や行動の原理を分かり易く説明している。
第1章から第4章で、進化の意味や遺伝子の役割など、基礎的な素養として知って
いてもらいたいと筆者がいう生物学の基礎概念を解説する。たとえば、分かったようで分からない「進化」の意味について、「進化とは、集団中の遺伝子頻度が時間とともに変化すること」だとして、ダーウィンの自然淘汰などのメカニズムによって環境条件などに適応できる遺伝子が主導して進む進化のすがたを、生物界におけるいろいろな事例で説明する。

第5章で、ヒトの祖先とチンパンジーの祖先が枝分かれしてから500~600万年の間の人類の進化史を説明する。大型類人猿からヒトへの進化、現代人への始まりとなるホモ・サピエンスの誕生と進化などの歴史を説明する。
第6章以下では、いろいろな進化理論を挙げその理論を応用して人間の行動や心理
を説明する。たとえば血縁淘汰、互恵的利他行動、性淘汰など、中核となる進化理論を具体的な事例で解説する。家族の絆、血縁者の葛藤、雄と雌の性差、両者の葛藤、ヒトの配偶と繁殖の仕組みなどを動物的に、ヒト的に分析し、解説する。
本書の大きな狙いについて筆者は、希望でもあり野望でもあるがと、ことわった上
で、自然科学と人文科学の橋渡しをすることだといっている。人対動物という単純な
二分法にとどまらず、人も動物であり、しかし人はどのように特殊な動物であるかということを考えたい。今や文系だ、理系だといっている時代ではない。これらの学問を統合し、人間理解のために共通の基盤を築けるものがあるとしたら、それは進化理論をおいて他にない、といっている。

「まぐれ」 ナシーム・タレブ著 望月訳 書感 寄稿者 六甲颪

2008年06月03日 | Weblog
   「まぐれ」ナーシム・ニコラス・タレブ著 望月衛訳 ダイヤモンド社       書感 寄稿者 六甲颪

「まぐれ」という状態を多くの事例から詳細に観察し,解明しようとした努力は高く評価される。2001年に初判が発売された時、アメリカでは大きな反響と賞賛の声が起きた。この本はその改訂版であって解説書というよりは自分の思う所を記したエッセイの形式を取っている。著者は数理系のトレーダーであり同時にMITの教授でもある。この本の強みは自分がトレーダーであり、実際の株取引を経験しながら、色々な実例を鋭く観察している。
ここで著者はトレーダーという仕事は確率とか傾向とかの概念を正確につかむことが出来る数理系の出身者が向いているにも拘わらず、現実には文系の出身者が多く、相変わらず勘と不確実な情報による推論で判断し、取引を実行している状況であるという。結果は一時的に大もうけするが、最終的には勘が裏目に出て没落してゆく実例が挙げられている。
著者が特に関心の高い手法はモンテカルロシミュレーションで色々の分野での応用を解説している。最も強烈な例はロシアンルーレットで1000万ドルを貰えるのが5/6で1/6は銃弾が頭を貫く恐ろしい賭が実際行われ、しかも応募者が多数いたという。さて色んな可能性の実例を示してくれるのがモンテカルロ手法の特徴であるが、この他ランダムという状態の実現、ノイズと信号の見分け等現実にこの手法をこなすには、現象の深い洞察必要とされる。
しかしこの著者は数理系の心得のある者は正しい判断が出来るというが、現実に数理系の者といえどもたまたま(それこそまぐれに)宝くじの一等に当たったりすると、理性では「こんな事は二度あり得ない。これ以上買わない」と思いつつも「しかし買わなければ当たらない」という誘惑に駆られまた買うことがある。これほど「まぐれ」は魅力あるいたずら者である。とにかくこの本は色んなエピソードが詰め込まれている膨大なエッセイである。
[2008/06/02]

水無月語源考  ランダム・トーク寄稿:藤田

2008年06月03日 | Weblog
6月早々、梅雨入りしましたが、梅雨なのに水無月と言われている漢字の表しているギャップを気にしていました。旧暦の6月のことと知ってはいましたが、水無月の語源は決して一つではなく、いくつかが、いつの間にか重なり合って、出来たのではないかと思いました。
① 「みかさふみ」という「ホツマツタヱ」と同じころ編纂されたものの中に、一年の移り変わりを記した章の6月のことを表している項に、

みなつきは やゝはにみちて
たゝかえは かみなりあつく
すえはなお あつくかわけば
もゝまつり きそひやむれば
ひめひらく ほぞちぢのわに
ぬけつくる みなのはらひぞ
かたちけた あものておいの
なかにたつ くにたしなるゝ
かみかたち ほのかみきねに
なめうけて ・・・・・・

私が理解できる言葉に、「みなつき」、「かみなり」、「暑く乾けば」、「桃祭り」などが見つけられます。
これらの言葉から、今の梅雨時ではなく、7月から8月にかけて、「雷の季節」であり、「暑くて日照りする時期」を言っていることと理解できました。田植えで水が重要であったからではないかと考えられます。
「桃祭り」は現在のように花の咲く時期ではなく、実のなる時期をいっていることも分かりました。

② ホツマツタヱの第39綾の書き出しに
まきむきの ひしろのよそほ せみなつき ・・・・
わかりやすく漢字をあてはめると 
纏向の日代(年号)の四十年、蝉鳴く月・・・とあります。

ここで、「せみなつき」とあるのは「蝉(セミ)」が鳴く月、つまり旧暦の6月のことを示しているとのことです。
「せみなづき」の「せ」が省略されて「みなづき」になったということです。

③ もうひとつの水無月の語源考。
これについては、以前高畠精二氏から、子宮内の赤ちゃんの成長段階を月ごとに示しているものであるという説を聞いたことがあります。
つまり、受胎6ヶ月目は、子宮内の胞衣のなかの羊水が無くなる時期にあたるというところから来ている。
断片的ですが、7ヶ月目は「ふみづき」つまり、おなかの中で赤ちゃんが足をどんどんと踏み始める月、8ヶ月目は「はづき」つまり、おなかの中の赤ちゃんの歯が生え始める月が語源になっている。以上、藤田 昇

本人より似ている似顔絵   :ランダム・トーク:散歩道

2008年06月02日 | Weblog
新聞などで政治家の似顔絵が掲載される事がよくある。上手な画家の手にかかると、その似顔は写真よりは勿論、“本人より”よく“本人に似ている”と感じることがある。察するに、一流の画家は特徴の把握が敏感で、その部分を強調し、他の部分は省略するから、素人に特徴が分かりやすくなるからだと思う。

会議などで同時に何人かがワイワイ議論しているのを録音すると、後でその録音を聞くとさっぱり分からないことがある。現場では、重点的に必要な話に神経を張り巡らして聴いているからだ。立体的に録音すると方向が識別できるから、かなり一人の発言者の言葉を理解できるが、現場にいた時とは程遠い。

我が家の庭にちょっとお米を撒いておくと、小鳥がやって来てちょこんと小さな粒を摘まんでゆく。庭に面した部屋で、パソコンなどで書類を打っていても、小鳥がちょっと動くと、すぐに気がつくので、我ながら不思議だ。本当にパソコンに夢中の時は気がつかない。一方、小鳥も、こちらが可愛い動きをカメラに収めようとして、ちょっと席を立つと、窓のずっと外の小鳥が、あっという間に飛んで行ってしまう。

動物は生き延びてゆくために、自分に必要なことには何倍、いや、何万倍も神経をとがらせて感得するのだと思う。子供のちょっとした笑顔をみると人生がばら色に感じられたりするのもそれであろう。秀才的な現代人ほど、コンピューター並みに万遍なく膨大な情報を感得して、肝心の人間感覚を失ってしまって可哀そうだ。散歩道