書感とランダム・トーク

人間の本質を根本原理から追求研究する内容さらに遡っては生物・植物その他をサイエンス的原理から考察する。どうぞ御寄稿を!

「カラオケ化する世界」 書感:六甲颪

2008年01月31日 | Weblog
   ジョウ・シュン フランチェスカ・タラッコ 松田和也訳
                   青土社 2008年1月  書感     
パチンコ、カラオケ等は大衆文化として最近の日本に定着しているが、カラオケについては海外で意外な形で発展していることが二人の英国人によって紹介されている。
まずカラオケは1971年、井上大佑という神戸のバーでの音楽伴奏者が発明した機器でこれを機械化出来ないかと歌唱なしのジュークボックスを作ったのが始めである。しかし謙虚な彼は特許も申請せず売り出したところ大人気となりいつの間にか「カラオケ」と呼ばれ日本中に広まった。日本では専らカラオケボックスで楽しむ形で全国に展開している。
地域としてまず韓国での状況は「カラオケは韓国の国技」と呼ばれ、歌好きの韓国人にぴったりで1980年台になって歌房(日本のカラオケボックス)にこもりあらゆる歌曲を絶唱するようになった。韓国人の多くはカラオケを韓国人の発明と信じている。
東南アジアでも広くカラオケが愛されているが、韓国や日本と違いカラオケの歌う場所が売春の場となっているところが多く、とくにタイとインドネシアではその傾向が強いのでこの地の文化人から顰蹙をかっている。しかしプラス面ではタイ、カンボジア等の仏教国では説教の始まる前に宗教的カラオケを歌い善男善女を集める有力な手段となった。
ヨーロッパ、アメリカでの特徴的カラオケの用途はキリスト教によるカラオケの活用である。伝統的な教会での賛美歌の斉唱は雰囲気を高める必須の行事であるが、イギリスの小さな教会でオルガン伴奏者が辞職したため急遽ギターでの伴奏にしたが評判悪く、教会はピンチになった。この時信者達がカラオケの採用を薦めたので賛美歌の伴奏を100曲ほど吹き込んだ機器を使い大成功を収めた。これから教会を中心とし大きなカラオケの用途が開けた。カラオケが賛美歌からサンバ、演歌にいたるまで広く使われ大衆の心を癒した効果は大きい。  [2008/1/31]

もう一度読みたい宮沢賢治 書感:山崎

2008年01月17日 | Weblog
選・協力 宮沢賢治記念館 宝島社 800円

本書のオビに「いまこそ読み返したい賢治-人間も、動物・植物も、虫も石も、土
や水、風や光まで、みんな同じ生命現象なのだ」とあり、賢治の言葉で「わたくしの
おはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたの
です」とある。
巻頭に、よそで発表された吉本隆明の論考「『銀河鉄道の夜』について」が転載さ
れている。そこで吉本は、物語の主人公ジョバンニや副主人公カムパネルラの相手を
気づかう敏感な気づき方の描写に注目し、高く評価している。
そうした賢治物語の「モチーフがどこからくるのかは、たいへん明瞭で、仏教的な倫
理観からだといえます。法華経という教典の根本的な倫理は菩薩行ということです。
つまり超人的な意志で自分を粉にして人に与えてしまうというのが菩薩行です」とし
て、有名な詩「雨ニモマケズ」などを引きながら、賢治の作品に低通する、賢治が信
仰した法華経と日蓮の教えに基づく仏教理念を指摘している。
また、「解説 宮沢賢治-人と作品と時代」で郷原宏(文芸評論家)は、賢治と父と
の相剋や信仰生活、妹トシとの死別を含めて37年の短い賢治の生涯を概観したうえ
で、「私たちは賢治作品を読んで、そこから何かを学ぼうとしたり、隠された意味を
見つけようとしたりする必要はない。幼児が花や虫や石とたわむれるように、「石こ
賢さん」が集めてくれた美しい言葉や面白いお話を、ただ無心に楽しめばいいのであ
る」と言っている。
本書には、「注文の多い料理店」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」など22作品と、
「雨ニモマケズ」「春と修羅」「永訣の朝」「無声慟哭」など詩12篇が納められて
いる。ここに上げた四篇の詩はいずれも30数行から50数行におよぶ長い詩篇であ
る。
「春と修羅」は仏教理念を織り込んだ難解な詩だが、「永訣の朝」は、最後の時を迎
えながら「あめゆじゅとてちてけんじゃ」(雨雪を取ってきてちょうだい)と賢治に
頼む妹トシに、「ありがとうわたくしのけなげないもうとよ」と惜しみ、「無
声慟哭」では、「おら おかないふうしてらべ」(わたし 恐ろしい様子をしている
でしょう)と聞く妹の、「何というあきらめたような悲痛なわらいよう」に文字どお
り無声慟哭する賢治がいる。

日本でいちばん小さな出版社 書感:辻

2008年01月16日 | Weblog
佃由美子・著 晶文社 本体1600円 2007年
出版は机と電話があればできる、とはよくいわれた<WBR>。パソコンやインターネットが当たり前の今日では<WBR>、もっと手軽にしかも本格的な出版事業ができる。本書の著者も本業<WBR>を持ちながら、ひょんなことから数年前に出版社を立ち上げ<WBR>、大手取次の口座も取り、今では出版に専念して立派にビジネスをし<WBR>ている。もちろん一人なので、企画し、原稿を執筆し、編集<WBR>、レイアウト、表紙デザインをして印刷データに仕上げ<WBR>、印刷所に渡して校正、完成した本を取次に搬入し、営業<WBR>、注文の発送、返品整理、経理までやる。
本書の場合、なんと挿絵のイラストまで本人が描いた。よくある<WBR>“涙と笑いの奮闘記”だが、生来の本好きのせいか<WBR>、出版を心から楽しんでいる風情である。かくいう私も<WBR>、分野は違うが本書のタイトルに負けない超零細出版社を一人で営ん<WBR>でいるので、ここに書いてある一言一言がリアルに響くのである。

初版をどれだけ刷るか、配本部数をどう決めるか、増刷のタイミング<WBR>は…など、ベテラン出版人にも悩ましい、出版戦略の大前提といえる<WBR>問題がある。本書にもその答はないが、この著者は幸か不幸か<WBR>、それまでは出版界とまったく無縁の世界にいた。だからなのか性格<WBR>なのか、まさに“なんとか蛇に怖じず”で、編集制作<WBR>、流通宣伝まで既成のルールを見事に無視した素人ぶりを発揮し<WBR>、自己流を貫く。そこがまた、この世界で何十年も生きてきた私でさ<WBR>え、えっ、そんな方法があったのかと妙に新鮮に感じてしまう。=2>出版業界では、新刊本の発行日は数週間先の日付を印刷するのが一般<WBR>的で、返本はサンドペーパーで天地と小口をこすり<WBR>、新しいカバーと帯を付け替えて再び出荷する。本書でも著者が消し<WBR>ゴムを使って手直しするくだりがあるが、これをこの世界では<WBR>“化粧裁ち”ともいう。なんとも優雅な響きの良い言葉だが、どの出版社もやっているとはいえ軽い偽装といえなくもない<WBR>。もっとも、本には賞味期限も消費期限もなく、返品とはいえ中味は<WBR>まったく新品なので、捨てるにはもったいないからである。

楽しい納品の旅」、「苦手な営業」、「出版で食べていく」など<WBR>、本書で共感する部分も多い。納品日の天気予報は気になるし<WBR>、書店営業は今でも緊張する…。でも、取次とのホットな情報交換や<WBR>書店員との会話がどれだけ重要かを考えたら、電話やファクスはどう<WBR>しても気が引ける。同じ境遇にある個人出版社の苦労が<WBR>、この本からひしひしと伝わってくるのである。
著者は出版の日常をユーモラスに描いているが、実はこの業界は深刻<WBR>な不況下にある。最近も自費出版の大手や名の売れた書籍専門出版社<WBR>の倒産が取り沙汰されたばかりで、社員を抱える出版社の多くはそれ<WBR>を他人事とは思っていない。配本返品流通、再版価格<WBR>、書店委託販売…、今、日本の出版を取り巻くすべてのシステムがあ<WBR>まりにも巨大かつ複雑になりすぎ、どうやら構造疲労を起こしている
出版は他と同様に高い志と使命感を持つ事業であり<WBR>、さらにいえば人間の精神や文化活動を動機付け、支え<WBR>、心の糧を得るための終わることのない収穫である<WBR>。現在の出版不況が単なる読者離れで片付けられる問題でないとした<WBR>ら、出版人一人一人がもう一度原点に立ち返り、自らが出版社を立ち<WBR>上げる気持になって、本の客とはいったい誰なのか<WBR>、現在の出版のベクトルが本当に読者を向いているのかを<WBR>、改めて問い直す時期に来ている。

世界中を飛び回る「カネ」 ランダムトーク:智致望

2008年01月16日 | Weblog
世界中を飛び回る「カネ」は、世界のGDP総額の3倍あると言われておりその額は6000兆円にも及ぶそうだ。この膨大な資金が世界中を徘徊していと言うのであるから理不尽な現象が起るのも当然、その冴えたる物がオイル高であり、穀物高である。

その原因は、サブプライムローンの証券化などが原因として目立つのであるが、日本の低金利も一翼を担っている事を忘れてはならない。この余った「カネ」、行き所の無い「カネ」が厄介な現象を起こしつつある、ひょっとすると、世界経済の仕組み崩壊と言う事になるやも知れない。

さて、資源を持たない吾が日本国は如何すれば良いのか、特に食料の自給率の低さを補うべく農業への補助金などが話題にのぼっているが、これとて、低金利政策の無策同様に役人の姑息な発想が透けて見える。

ヨーロッパや東ヨーロッパを旅してみると解るが、その広大な農地はとても日本の規模とは桁違いに大きい。オイルに代わる資源としてバイオ燃料が話題になっているが、それを目当てにしたこの地への投資などは、既にしかるべきマネーによって抑えられていると言う。

役人の姑息な発想が世界経済に悪影響を及ぼすばかりか、我々の食の確保にも危険が訪れようとしている、日本民族はこれ程までに無能力であるとは思えない、この遅れを取り戻す事は、次世代に残すべくものの確保、そして、後世に「ろくな事をしなかった世代」として評価されないようにすべきである。

イーハトーブと満州国  書感:山崎義雄

2008年01月15日 | Weblog
イーハトーブと満州国 宮下隆二 著 PHP研究所 1,500円
サブタイトルに「宮沢賢治と石原莞爾が描いた理想郷」とあり、オビに「あの戦争が何であったかを斬新な切り口で検証する画期的な論考」とある。そして「これまで誰もがとりあげようとしなかった主題である。正面から論ずることを回避してきたテーマである。それを広い視野から、柔軟な筆遣いで明らかにしようとしている」という山折哲雄氏の推薦の言葉がある。

一見、奇異な感じは否めない。賢治は自由人、莞爾は軍人である。イーハトーブは賢治が描いたユートピアであり、満州国は石原が画策した現実の偽装国家である。
しかし本書は、この二人の共通点として、共に法華経の信者であり、当時の有力な
法華経教団として田中智学が率いた国柱会の会員だったことに注目している。ほぼ同時期の入会ではあるが、二人の間に接点はないものの、いずれも宗教的な理想を根底にして社会変革を夢見たユートピア思想家だとして、宮沢賢治と石原莞爾の生き方を検証しているのが本書である。
ユートピアは現実にあり得ない理想郷だから、立ち上がったように見えても幻のご
とく消えていく。賢治のイーハトーブは現実にありえない、しいて言えば岩手県花巻当たりに仮託する森も木も動物も話し合える理想郷であり、現実に花巻農学校の教員を止めて農業と文化を両立させる新しい農村建設を目指して活動した羅須地人協会も三年足らずで挫折した。

満州事変の首謀者である石原が、東条英機と激しく対立しながら本気で五族協和の
王道楽土の建設を夢見た満州国も、十数年で消滅した。
国家権力と戦いながら法華経の理想を掲げた日蓮と国柱会田中智学の教えの、光の
部分を多く受け継いだのが賢治で、闘争心の影の部分をより多く受け継いだのが石原だったようだ。著者は、「激しく抱いた理想に対し切ないまでに狂おしく突き進んでいくという、現代人が失ったしまった情念を色濃く有している」二人の生き方に哀悼の思いを寄せながら、新しい時代の新しい夢が必要だと説く。  

古代の発明 Ancient Inventions 文化 生活 技術  書感:藤田

2008年01月11日 | Weblog
著者:ピーター・ジェームズ/ニック・ソープ 監訳:矢島文夫 東洋書林 2005年12月発行
題名に発明とあるとついつい技術的なことを連想してしまいがちですが、本書では当時生活していく上で、要求を満たすためのあらゆる項目を網羅しているようです。膨大な量なので全てを読みきったわけではないのですが、私の今までの常識では取り上げるのはタブーと考えられていたことまで、同じ土俵で解説しているのに驚きました本書が取り上げているテーマは、

医学/輸送/ハイテク/軍事技術/コミュニケーション/生産活動/ファッション/食物・嗜好品・薬/住居と家庭/セックス・ライフ/都市生活/エンターテイメントと、多岐に亘っています。広く浅く博学になるにはもってこいの本である。というよりも自分が疎通だった分野にも新たな興味を引き起こしてくれる一冊である。興味のあるところだけ拾い読みするのにもお勧めである。
なお、本書での古代とは15世紀(1492)コロンブスが西インド諸島に到達する以前までとしている。

個々の内容についての感想を書くと膨大になり、全体が見えなくなるので、ハイテクとコミュニケーションについてだけ、表題見出しを紹介するにとどめておきます。
ハイテク:科学は実践なり/計算機/時計/自動販売機/自動ドア/蒸気機関/自動機械/地震探知機/電池/天を操る~避雷針/磁石と磁気/拡大鏡/手の中の太陽~点火用レンズと鏡コミュニケーション:文字より始まる/暦/曜日には神々が潜む/アルファベット/符号と暗号/学問の徒が生んだ妙技~速記法/本と印刷/最初の活字~ファイストスの円盤/百科事典/郵便/伝書鳩/遠距離通信

最後に本書は翻訳が非常にこなれているため読みやすかったことを付け加えておきます。藤田 昇


「地球外生物は音楽をどう受けとめるか」    ランダムトーク:六甲颪

2008年01月10日 | Weblog
1945年第2次世界大戦が終わってから1970年頃まで、アメリカとソ連を中心に人工衛星の打ち上げ競争が始まり宇宙への関心が非常に高まった時期があった。その間多種多様な実験の結果、1969年アメリカのアポロ11号は有人人工衛星による月面着陸に成功し、初めて人類が地球以外の天体に降り立つことができた。これ以外にも天体から飛来してきたというUFO説等があったが、1960年にはオズマ計画が発表され多くの人々の関心を呼んだ。それはアメリカの天文学者ドレイクの提案によるもので「宇宙には何千億という大小の天体があり、そのうちに地球と同等またはそれ以上の知的生物が全く存在しないとは思えない。よって高性能の電波望遠鏡を駆使し地球外生物からの情報をキャッチし、情報交換したい」というのであった。それから50年間あまり電波望遠鏡以外の方法により有意信号の把握に努力は続けられたが今日まで信頼できる情報は得られていない。
 私はこのオズマ計画に大変興味を持ち、このような夢のある壮大な計画を推進したアメリカは科学技術面で遙かに日本より先を進んでいるなと羨ましく思った。

 ここからは私の空想である。それは地球以外の天体に人間と同等またはそれ以上の能力のある生物がいて、既に地球からの信号の解読に成功しているグループがいるかも知れない。そして彼等は「地球からの色んな情報をつかんだがどう解釈しても有意な信号が見いだせないものがある。その暗号解析のためにあらゆる手段を講じたが不規則に周波数の高低と長短が長々と続くだけである」とぼやいているかも知れない。それは人類が見つけた音楽ではないだろうか。これは信号に意味があるというのではなくその情緒を理解できない生物には何の意味も見いだせないであろう。いやもっと進んだ芸術を持っているのかも知れないとも思う。正月に免じてささやかな空想を記した次第である。

[2008/01/10]

いただきます   ランダムトーク:山崎義雄

2008年01月10日 | Weblog
最近知人から聞いた話である。小学校の父兄会である母親が、「うちの子は、ちゃんと給食費を払って食べているのに、なぜ『いただきます』と言わされるのか」というような発言をしたという。タダで給食をごちそうになったわけではないという理屈らしい。おそらくこの母親は「いただきます」も「ごちそうさま」も、タダで奢ってくれた人に言う挨拶だと思っているのだろう。こんな母親に育てられたのでは、まともに挨拶のできない子供になって、いずれ母親も扱いに手こずることになるのではないか。
こういう母親のいる家庭では、食事の前にいただきますと言ったり、ましてや箸を
持った手を合わせていただきますと感謝して食事をはじめるなどといった習慣はない
だろう。そうした言葉や行いが、自然の恵みに対して、食べ物の命に対して、食べ物
を作り、育て、調理してくれた人に対して感謝することだとは、チラとも思い及ばな
いだろう。
近頃は、食べる作法が情けないレベルに落ちてしまった。駅のホームで三十代の女性
が電車を待ちながらおにぎりを食べているのを見たことがある。二十代の青年が電車
の中でドアーに寄りかかりながら箸を使って弁当を食べていたのを見たこともある。
食事は、単に生きるためのエサを胃の腑に入れるだけの作業ではない。食物、調理、
食事の作法などを通じて、精神生活と密着している。どんな国でも食事と精神は密着
してその国や地域、地方の文化を形成している。
箸づかい一つとってみても、そちこちと忙しく動く移り箸、椀の底などを覗く探り
箸、香の物などを入れてかき回す回し箸、どれを食べようかと箸を移動させる迷い箸
などは不作法とされる。
作法となると流儀、流派などまで出てきて難しくなるが、作法にもまして食事の基本
である慎みがあって他人に不愉快な思いをさせない心遣いが大事だろう。意味は分か
らなくても、子供達に「いただきます」と口に出す習慣を身につけさせるだけで、大
事な文化と慎ましい精神が継承されることになるのではないか。

『何となく其の5』理想的なカップルとは ランダムj寄稿:散歩道

2008年01月06日 | Weblog
事業を進めて行くためには『何となく』気が合うカップルが重要だということを述べてきました。何の事はない、もっと分かりやすいのは、男女の組み合わせだ。

例えばの話として一緒になる前に、財産の持ち方、生活費の配分、死んだときの財産の分配などなどを決めてから一緒になったとして、そのカップルはうまく行くのだろうか?うまく共同生活できたとしても、それで楽しいだろうか? こんなわかりやすい話はない。
逆に、勝手なことを言い合っていても『何となく』仲の良いご夫婦を見ていると、こちらもほんわかとした楽しい気持ちになってしまうものだ。

しかし、ビジネス界では最近は何事も弁護士をいれて、しっかりした契約書を作ったりしないと、経営者としては思慮が足りないというような考えがまかり通りだしてきた。私は、どんなに不備で無防備でおおざっぱだと言われようと、人間を書類で縛ったりすることはしたくない。たとえ、無防備なために裏切られることがあっても、それは無防備なための失敗だとは思わない。それは、もともと信頼できる心がそこにないことに気がつかないことが失敗だったと思うことにしている。


『何となく其の4』ソニー創業者の井深さんが盛田さんを招いた時の事 ランダム寄稿:散歩道

2008年01月06日 | Weblog
戦時中に日本測定器という会社を経営していた井深さんは戦後に東京通信工業という会社を創立した。戦時中には軍需関係の会社には製品の品質、納期などの監督に軍から監督官が来ることになっていた。監督官としてやってきた盛田さんと井深さんは互いにその力量を認めあい、尊敬しあっていた。

東京通信工業を創立して間もなく、井深さんは盛田さんを会社に迎えた。しかし、十分に給料を払えず、盛田さんは東京工大で教鞭をとりながら、東通工に通った。後になっては考えられないことだが、この当時は日本全体も貧しく、ましてスタート間もないベンチャー企業はそれほど大変だったのだ。

ご令息の話によると、二人は恋人の如く、年中電話で会社の問題点を話し合っていたとのことである。昔、初めて会ったときに『何となく』気が合ったのであろう。そこには何の打算もないから、経営上どんない苦しいこと、迷うことがあっても、お互いの絆は崩れないのだ。『何となく』の感覚から世界的な会社が誕生したのだ。

『何となく其の3』本田宗一郎さんと河嶋さん、この師にしてこの弟子あり  ランダム寄稿:散歩道

2008年01月06日 | Weblog
本田宗一郎さんは若くして第一線を退き、社長の座を河嶋さんにバトンタッチした。河嶋さんを採用したときには、本田さんは炬燵にあたりながら川嶋さんを面接し、“じゃ、俺の会社に来るかい!”と言って採用したというのは有名な話だ。給料がどうの、社則がどうのと契約して採用したのでもないし、採用される河嶋さんも採用条件を確かめて入社を決めてわけでもない。
『何となく』お互いに気が合ったからではなかろうか。お二人の息がぴったりの話を本田さんから直接に伺ったことがある。

ホンダ技研の最初のヒットであるスーパーカブは当時の常識を超える高回転数のエンジンを計画していた。エンジンの専門家達は例外なく「素人の本田は無茶な事をする、きっとピストンが熱で焼きつく」と批評していた。さて、苦労した最初の試作車が完成し,実地の試乗試験をする事になった。国産車がまだやっと走る時代。本田さんと藤沢さんは中古のフォードにのり、テストドライバーは河嶋好喜さんであった。富士山の途中までエンジンが焼きつかずに山を登れる事が目標だ。スーパーカブとフォードは前後しながら走った。

ところが、本田さんたちが気が付くとスーパーカブの姿が見えない。暫く待って見たが後ろから来る気配がない。仕方なく打ち合わせのところまで行って見ようと言う事になった。心配しながら車を走らせて行くと何と、本田さんに言わせると「河嶋のやつ、バイクから降りてヘルメットも脱いで、俺達をみてニタッ!と笑っていやがるんだ。あの時のあいつの嬉しそうな顔は忘れられないな」と言うことであった。河嶋さんに聞くと、その時はエンジンが思ったより快調で気持ちに余裕が出てきたので、ちょっとおやじ(本田技研の幹部の人達は本田さんのことを決して社長とは呼ばずおやじと呼んでいた。)を驚ろかしてやろうと思い、頃合を見計らって近道を見事に走り抜けて先回りに成功したそうだ。真剣に物事に打ちこんで成功した時に子供の様にイタズラを楽しむ心、天才本田の独創の底にある精神を学び取ったお弟子さんの姿だと思った。正に、この師にしてこの弟子ありだ。

何となくという感覚には打算がない。本能的な感覚だ。だから、何となく気が合ったコンビは苦しいことを楽しく切り抜けることができるのだ。

『何となく其の2』マーロンブランド主演のゴッドファーザーのカン ランダム寄稿:散歩道

2008年01月06日 | Weblog
マーロンブランド主演のゴッドファーザーの終わり頃の場面にマーロンブランドが、“何か変だ!何か変だ!”と言って悩んでいるシーンが出て来る。やがて、長男がライバルの暴力団に殺される。身内の一番忠実そうだった部下の裏切りがあったのだ。

その事をゴッドファーザーは何か分からないが感じ取って、匂いを嗅ぐような仕草をしながら、変だ?変だ?と頭をふりながら考え込む演技が今でも目に焼きついている。

学校の秀才とか、官僚は問題が決まると100点の答えをだす。漠然とした問題を出すと、問題がはっきりしないとけちをつける。会社の経営は未知のことばかりだ。人生もそうだ。新しい仕事を始めようとすれば未知の事ばかりだから、おおざっぱな方針しか決められない。そこに必ずけちをつける人がいる。そして行動を起こして結果が出ると、綿密に検討して、ああすべきだった、こうすればもっと良い結果が出たと批判する。

糸川先生が批判するより、批判される側に回りたい。と仰っておられたのを思い出します 。散歩道