これはかなり良く知られている論語の学而第一の最初に出てくる格言である。中国から文献を挿入したときに、日本人はなるべく多くの人にわかり易くと考えて、日本式に読む方法として、言葉の順序を入れ替えて読む工夫をしたがーー。
朋遠方より来る有り、 亦楽しからずや
その工夫はいいような悪いような工夫だったと思う。私が旧制中学在学中は、それを丸暗記させられた。原文を白文帳と証する全くの白紙に筆で、原文をそっくり書かされ、翌週の授業では、白文帳を見ながら、逆順の日本式読みをやらされた。この例では、次のように読むのだが、たいていの人は、原文ではなく、この読み方で、論語を知っている。
漢語は動詞の後に目的語がくる。配置は殆ど英語と同じである。
I love you. I=我 love=愛す you=汝 となるから、単語だけを変換すればよいから、どちらの国の人も、他の言葉を覚えやすい。訳も「我汝を愛す」ではなく、「我愛す、汝を」とすれば、英語式理解の順序が頭に入るようになる。
日本語は順序が違うので、関係代名詞とかいった、which---なども、その後の言葉の順序を変えて、前に持ってきて訳そうとするから、ややこしい。言語そのままで理解しないから、早く読めないし、勿論しゃべれない。
漢語も書かれた通りの順序で理解してゆくようにすべきだと思う。つまり、
次のことが有る。朋が、「から、遠方」来る このように読むほうがずっと早く理解できよう。論語そのものが良い、悪いではなく、読むからには、その国の考え方をそのまま取り入れて、まず理解することが必要と思う。我田引水で読むのであれば、本当の知識は増えない。
なお、この日本式読みの解説書などで、朋あり、遠方より来るーーーと言う表示を見かけるが、それだったら、原文は朋有でなければならない。有が先に書いてあるから、その先の事柄が有ると言う意味になる。安直な解説者が原文も読まず、孫引きで論語の解説書を出すのは嘆かわしい。 2007.5.31.散歩道
朋遠方より来る有り、 亦楽しからずや
その工夫はいいような悪いような工夫だったと思う。私が旧制中学在学中は、それを丸暗記させられた。原文を白文帳と証する全くの白紙に筆で、原文をそっくり書かされ、翌週の授業では、白文帳を見ながら、逆順の日本式読みをやらされた。この例では、次のように読むのだが、たいていの人は、原文ではなく、この読み方で、論語を知っている。
漢語は動詞の後に目的語がくる。配置は殆ど英語と同じである。
I love you. I=我 love=愛す you=汝 となるから、単語だけを変換すればよいから、どちらの国の人も、他の言葉を覚えやすい。訳も「我汝を愛す」ではなく、「我愛す、汝を」とすれば、英語式理解の順序が頭に入るようになる。
日本語は順序が違うので、関係代名詞とかいった、which---なども、その後の言葉の順序を変えて、前に持ってきて訳そうとするから、ややこしい。言語そのままで理解しないから、早く読めないし、勿論しゃべれない。
漢語も書かれた通りの順序で理解してゆくようにすべきだと思う。つまり、
次のことが有る。朋が、「から、遠方」来る このように読むほうがずっと早く理解できよう。論語そのものが良い、悪いではなく、読むからには、その国の考え方をそのまま取り入れて、まず理解することが必要と思う。我田引水で読むのであれば、本当の知識は増えない。
なお、この日本式読みの解説書などで、朋あり、遠方より来るーーーと言う表示を見かけるが、それだったら、原文は朋有でなければならない。有が先に書いてあるから、その先の事柄が有ると言う意味になる。安直な解説者が原文も読まず、孫引きで論語の解説書を出すのは嘆かわしい。 2007.5.31.散歩道