書感とランダム・トーク

人間の本質を根本原理から追求研究する内容さらに遡っては生物・植物その他をサイエンス的原理から考察する。どうぞ御寄稿を!

論語の一つ:有朋自遠方来、不亦楽乎  寄稿者:散歩道

2007年05月31日 | Weblog
これはかなり良く知られている論語の学而第一の最初に出てくる格言である。中国から文献を挿入したときに、日本人はなるべく多くの人にわかり易くと考えて、日本式に読む方法として、言葉の順序を入れ替えて読む工夫をしたがーー。
朋遠方より来る有り、 亦楽しからずや
その工夫はいいような悪いような工夫だったと思う。私が旧制中学在学中は、それを丸暗記させられた。原文を白文帳と証する全くの白紙に筆で、原文をそっくり書かされ、翌週の授業では、白文帳を見ながら、逆順の日本式読みをやらされた。この例では、次のように読むのだが、たいていの人は、原文ではなく、この読み方で、論語を知っている。

漢語は動詞の後に目的語がくる。配置は殆ど英語と同じである。
I love you. I=我 love=愛す you=汝 となるから、単語だけを変換すればよいから、どちらの国の人も、他の言葉を覚えやすい。訳も「我汝を愛す」ではなく、「我愛す、汝を」とすれば、英語式理解の順序が頭に入るようになる。

日本語は順序が違うので、関係代名詞とかいった、which---なども、その後の言葉の順序を変えて、前に持ってきて訳そうとするから、ややこしい。言語そのままで理解しないから、早く読めないし、勿論しゃべれない。
漢語も書かれた通りの順序で理解してゆくようにすべきだと思う。つまり、

次のことが有る。朋が、「から、遠方」来る  このように読むほうがずっと早く理解できよう。論語そのものが良い、悪いではなく、読むからには、その国の考え方をそのまま取り入れて、まず理解することが必要と思う。我田引水で読むのであれば、本当の知識は増えない。

なお、この日本式読みの解説書などで、朋あり、遠方より来るーーーと言う表示を見かけるが、それだったら、原文は朋有でなければならない。有が先に書いてあるから、その先の事柄が有ると言う意味になる。安直な解説者が原文も読まず、孫引きで論語の解説書を出すのは嘆かわしい。 2007.5.31.散歩道

そろそろと桜咲き華やかに桜散る ランダムトーク寄稿 六甲颪

2007年05月25日 | Weblog
 
そろそろと桜咲き、華やかに桜散る
長い冬が終わりその蕾が膨らみ始める頃
その地域で打ち合わせたかのように同じ時期に桜が開き始める。


1分2分咲きの頃は貧弱で「桜も大したことないな」と思わせるが
8分9分咲きとなると絢爛豪華な花色を示し始める。
満開、それはオーケストラのクライマックスのように桜全体がどよめいている。

ソメイヨシノの花色は純白ではない。上品で気位が高い桃色がうっすらとかかっている。
しかしその美しさは長続きしない。うっとりと眺める中に散り始めるのだ。

桜は散る。華やかに全盛の美しさを保ちながら散ってゆく。
西洋のバラも美しさでは桜に引けを取らないが、
やがてバラは花色が衰え、萎れ惨めな姿になる。

しかし桜は断固全盛のまま花びらとなって散ってゆく。
日本人の心を揺って散ってゆく。

[2007/4/11]            
モーリス・ラヴェルのボレロを聴きながら本文を読むと惜春の叙情が更に湧いてくる様に思える。

伊勢発見 立松和平著 書感 六甲颪

2007年05月18日 | Weblog
「伊勢発見」 立松和平著 新潮新書 2006年11月30日
 私の小学生時代に習った国史の中には理解し難いことが多かったが、表題の「伊勢神宮」の由来もその一つであった。それは何故辺鄙な伊勢を選んで神社を造ったのか、その
社屋はなぜ20年ごとに建て替えるのか等であったが、この度本書を読んでその一部を理解することが出来た。本書によれば
1 伊勢を選んだ理由: 第十代崇神天皇は有能な天皇であって色々善政を実施したが天災が起き、疫病が流行し民が苦しんだ。それは天照大神を宮中で祭っているため、他の神々が近づけないというお告げを受けた。そこで天照大神を宮中の外に移す決心をされた。
本格的な移転は次代の垂仁天皇の時実施され倭姫命を齋宮として場所探しに出た。大和から米原まで来たが、鈴鹿峠を越えきれず南下して苦労の末伊勢に入った。そこは光まばゆいばかりの美しい場所であったので、天照大神をお祭りする場所に相応しい場所として定めた。これが内宮の決まった由来とされている。また内宮の祭神に仕えたのは全て皇女で
齋王と呼ばれ未婚のまま一生を伊勢で過ごした。齋王の制度は660年64代まで続いた。
内宮が定まってから200年程経って外宮が丹波から移ってきた。外宮は豊受大神を祭神とし全ての産業の神とされていた。これから伊勢神宮は皇室だけでなく一般庶民からも尊ばれる様になった。
2 伊勢神宮のもう一つの特徴は20年に一度立て替えをする式年遷宮という制度である。
これは社屋を地面に直接柱を建てて作る古い方式で、腐食のため長持ちしないが天武天皇以来の方式を守り続けている。これは植物世界と同じく傷めば再生して作り直そうという発想である。20年という年月は個人の技能が次世代に伝承しやすい長さで選ばれており戦国時代皇室が疲弊し120年間立て替えられなかったがその後再興し、現在に至っている。
本著はそのほか熊野三社と伊勢神宮との関係や江戸時代の伊勢参りの大流行、町の栄枯盛衰等読みやすく記述している。      [2006/11/30]

カラスの暴力団?社会性の功罪   寄稿者:散歩道

2007年05月17日 | Weblog
カラスの暴力団?社会性の功罪  寄稿者:散歩道

 " カラス何故なくの、カラスは山に ” と言うのどかな童謡は昔のこと。今や細い道などで出くわすと、低空飛行をして人間を脅かしてくる。一対一では、人間が目などをつつかれてしまうだろう。

あるゴルフ場のキャディーさんにカラスの恐ろしい話を聞いた。そのキャディーさんがカラスがとんびにやられているのを見てから間もなく、数羽のカラスが集団でやってきて、あっという間にそのとんびをやつけ、一匹がぐったりしたとんびを加えて飛び去ったのを見たそうだ。

しかし、人間は今や殆どの動物を支配し、人間の敵は人間だけになった。その理由の最大のものは人間が社会を作って分業と協力の仕組みをつくったからだと思う
しかし、良い面と悪い面は常に裏腹に存在する。一人ずつ人を殺すと罪になるが、集団で殺しあうと国家の英雄になってしまう。巧妙に少しずつ詐欺的に盗みをしても証拠がなけば立派に無罪。ちょっと体力と運動神経が優れている人には、何百人の飢えた人が救われるような大金が手に入る。こんな事を言っても今や、皆な慣れっこになっているから、矛盾を感じているひとは少ない。

良い点は、勿論たくさんある。ちょっと栓をひねるだけで水が出るなど、もっともっと驚いて感謝してもいいような技術だ。畑を汗して耕さなくても、何かで働いて給料をもらい、千円札を機械に入れるとそこそこに美味しい弁当が出てる。 散歩道

えんぴつでなぞり書き・百人一首 寄稿者:散歩道

2007年05月17日 | Weblog
えんぴつでなぞり書き・百人一首
監修:古賀良彦
書:依田草栄 
デザイン:近江デザイン事務所
企画編集:木内ひとし 
校正:麦秋アートセンター 
発行者:松原真樹 
発行所:㈱角川SSコミュニケーションズ


余りにも有名は百人一首ですが、若い年代の人達には、そろそろ忘れら掛けています。しかしここには人間の赤裸々な姿が実に優雅な表現で語られています。特に男女の恋心に関しての間接表現の優雅さには頭が下がります。

一つ位は、ここに紹介したのですが、夫々捨てがたく、どれを選ぶか迷います。取り敢えず、これだけで、寄稿します。散歩道

お言葉ですが・・⑩ 書感寄稿者 狸吉

2007年05月17日 | Weblog
お言葉ですが・・⑩ ちょっとヘンだぞ四字熟語 高島俊男著 文藝春秋 2006年 1,905円 

文藝春秋に連載したエッセイを本に纏めたもの。これは10冊目で単行本としては最終回の由。連載記事への読者からの手紙に対し返事を書いたり、手紙に触発されて新たな考えを展開していく。

四字熟語とは四つの漢字が一体となることで、初めて特別な意味を持つ言語表現。
ところが世にある四字熟語辞典はでたらめな収録をしているものが多い。
発憤忘食は論語という出典があるが、質実剛健は四字熟語と言えない。九十九折は和語。
呉越同舟、孟母三遷は中国の人で使ったのを見たことがないそうだ。
高島先生は四字熟語から東北弁、日本語の構造、英語の翻訳、斎藤茂吉、森鴎外と次々に論を進めるがどれも面白い。合併で誕生する市に「南セントレア」と名付けようとした発想の馬鹿さ加減を叱るくだりは痛快だ。

このシリーズの6冊目「イチレツランパン破裂して」には、某大新聞が「特攻隊関係者が不戦と恒久平和を誓った」と報じた記事を見て、「何で心の中が分かるのか!軽薄な言葉を並べるな!」と怒っている。また「正しい歴史認識というものは存在する。それは中国共産党が決めた歴史認識だ」と皮肉っている。右顧左眄しない語り口は爽快である。