書感とランダム・トーク

人間の本質を根本原理から追求研究する内容さらに遡っては生物・植物その他をサイエンス的原理から考察する。どうぞ御寄稿を!

騒音と静寂・人間の感性その二 ランダム・トーク:散歩道

2009年07月29日 | Weblog
古池や蛙飛び込む 水の音、岩に沁み入る水の音 などという有名は俳句は、人間の感性の凄さを再確認させてくれる。それにたいして、次から次と 「何番線車が参ります。下がってーーー、下がって下さい。ドアがしまります。発車します。ドアがしまります。「何番線、車が参ります。黄色の線より下がってーーー」などなど
酷いのになると、変な訛りとアクセントで目立つ、いや耳立つようにアナウンスする特定の人物が新宿にいる。どこかの新聞の無邪気、いや、無神経な記者が、目立っていいと褒めたものだから、得意になって変なアクセントでやるから、それが気になって、他のアナウンスが聞こえない、非常に危険な騒音だ。

人間の感性は、音が何デシベルだから、うるさいとか、それが半分だからという物理的な量では、簡単に割り切れないことを、もう少し認識してほしい。人間の感性は、関心と興味があったり、危険を感じたりすると、同じ音量で何万倍にも感度が鋭くなるのである。

一見乱暴で、ザックバランの本田宗一郎さんは、実はものすごい繊細な神経を持って居られたことを知る人は少ない。そうでなければあれだけ大きな会社は出来なかった。接した人は、本田さんのきめ細かい配慮に感動して頑張ったからこそ、今日の本田があるのだ。散歩みち。

騒音と静寂・人間の感性・その一 ランダム・トーク:散歩道

2009年07月29日 | Weblog
本当の本』会で澤田さんが提起したハイブリッド車のエンジン ”音の静か過ぎ” に関する問題。スタート時とか、歩行者と車の共存の場合にの音が静か過ぎて、危険だという議論。何か音を出す仕組みをつけようという
運輸省も含めての議論は根本的におかしいという趣旨の議論である。
 
私は昔、スカイライン、グローリアでドイツのベンツ並みに車内で時計の音が聞こえるというベンツ並みに騒音を減らす研究に従事した事を思い出した。この時も、車の騒音が小さくなり過ぎた時に、車にスピーカーをつけて、もしもし、車ですよ!とやるか、等と半ば笑い話で議論した事があるl。結局、結論は静か過ぎて悪いことはない、音を出して、歩行者に注意するのは本末転倒の議論。”人を音で脅かしてよけさせる発想がもってのほか”という結論になった。

自動車の騒音と、危険がどれほど人間の感性を痛めているかを、改めて考える必要がある。歩行者天国の安心感。ぎすぎすする人間関係も自動車の騒音と、危険運転が大いに関係している。
技術が発達した事を誇る前に、人間の心に恐怖感を与えない仕組みを研究・開発すべきだと思う。
音の問題と人間の感性との関係をシリーズで論じて見たいと思う。2009.7.29.散歩道

「世界がわかる宗教学入門」 書感:狸吉

2009年07月18日 | Weblog
橋爪大三郎著 ちくま文庫 2006年 ¥780
 著者は東京工業大学世界文明センター副センター長を務める社会学者。本書はその大学での講義「宗教社会学」の教科書として書かれ、2001年にハードカバーとして出版された本の文庫版である。著者があとがきで述べているように、90分×10回の講義で世界中の宗教を網羅するのは至難の業であり、その講義のための教科書として書かれただけあって、各宗教および宗教類似のシステムを要領よく解説している。また、宗教自体に留まらず、宗教と社会との関連も解説している。本書を読んで、キリスト教が韓国で広まりなぜ日本では広まらぬか、中国でなぜ共産党の官僚政治が成立したか理解できた。「宗教はアヘンなり」と決め付けたマルクス・レーニン主義は、実はロシア正教の伝統を受け継ぎ、教会そっくりの組織を作った由。

 日本語の神と英語のGodの違い、神との契約の概念、意味の異なる三種類の愛など、これまで知らなかったことを数多く教わった。本書が指摘する通り、私自身も含め日本人はおしなべて宗教音痴であると感じた。宗教に無知であると、それの上に成り立つ社会も文化も理解しがたい。分かったつもりが実は誤解や表面的理解である可能性が高い。

 本書を読み終えて日本の宗教的基盤は何かと考えた。仏教も江戸幕府に取り込まれ形骸化してしまった。儒教も上面を取り入れただけで社会体制の基盤とは言えない。宗教が発生した厳しい自然環境に比べれば、緑豊かな日本列島はエデンの園にも似た楽園ではあるまいか?つまり、この地では宗教音痴でも安楽に暮らせるのであろう。しかし、信心不信人は別として、宗教に関する知識は教養の一環として不可欠と思う。本書はコンパクトでありながら豊富な知識を与えてくれる好著である。

「負のコマーシャル効果」  ランダムトーク:六甲颪

2009年07月18日 | Weblog
日本でも民間放送が出来て受信料を支払わずに民間の放送やテレビを受信できるようになったが、この民放の主な収入源であるコマーシャルも時代と共に内容も充実して、企業だけでなく公共機関もこれを利用するまでになっている。

今から10か20年位前まではコマーシャルが写されるのは、番組の終わりか初めで、途中に入れるときは話題が変わるときの合間に写される程度であった。しかし最近のテレビのコマーシャルの入れ方はひどい。例えば真剣になって物語を見て大事な告白しようとする時、あるいは手に汗を握るようなスポーツ番組の劇的なシーンが行われようとする時、突然「この続きはコマーシャルの後で・・」と場面が現実のかえることが多くなっている。多くの視聴者はがっくりでチャンネルを変えてり、スイッチオフにしてしまうであろう。「ひどい割り込みをするこの企業はどこだ!もうXX生命は絶対に使わないぞ!」と怒っているのは私だけではあるまい。

これこそ負のコマーシャルである。依頼した広告主はどのような番組にどんなタイミングで挿入されているかを知らずに居るのであろうか。テレビ鑑賞でも音楽会でも一つのムードに溶け込んでいるときに突然の中断は主催者の品格に関わる問題である。もし音楽界でムードある雰囲気に浸っているとき突如中断、コマーシャルをいれたら大ブーイングが起きるであろう。企業も売り上げの減るようなコマーシャルの入れ方は即刻中止すべきである。

「2009/07/15」

ここまでわかってきた日本人の起源 書感:藤田 昇

2009年07月18日 | Weblog
著者:生命ビッグバン取材班 発行:産経新聞 2009年5月 ¥1470

本書は、産経新聞に2年間連載された「試行日本人解剖」をもとにしております。
「日本人らしさとは何か」という問いに、現在の科学がどんな答えを出せるかを探ってみたいという書き出しで始まっています。内容については、実に驚くほど多方面から調べ上げたものと感心しました。

多種多様の事例を個々には取り上げられませんが、年代ごとに詳しく辿って今に至っている様子がわかります。 
例えば、興味をもったものでは
縄文以降の人口の推移 当時の気候・環境
糸魚川原産の翡翠の交流域や、神津島原産の黒曜石の分布
石器の分類調査、共通点による解析
頭蓋骨の形状分析パターンや各パーツの分析
風習や神話との整合性
等など。

でも、一番本書で私が気になったのが、第5章 身体編と第6章 機能編です。過去からの流れで現在があり、その現在の我々に現われている症状や状況から、未来を見据えて、今の我々に分かり易く警告を発している点である。

中でも、特に気になったのが、足と、顔と、歯についてです。

足: 人類は直立二足歩行でずーっと来ていたが、歩かずに済む生活環境が、いろいろな足のトラブルに出てきている。偏平足、O脚、外反母趾、内反小趾、ハンマートゥ、甲高、幅広などいろいろ足の問題で悩みがあることがわかります。歩く必要性を訴えているようです。

顔: 縄文・弥生時代からの数千年の変化と同じぐらいの変化が、ここ50~100年で起きている。これは、食生活の変化で軟らかい物を食べる習慣、よく噛む習慣が無くなり、顎を中心に顔全体が細くなってきている。これは、歯の健康を害することになってきている。

歯: 今の子供はよく噛まなくなって来ているため、永久歯の生える順番が変わってきたり、唾液が出にくくなってきている。

その他、人の老化のメカニズムが分かってきて、生活習慣病の因果関係など見直す必要がありますよ。と、一言も本書では具体的に述べてはいないが警告していると受け取った次第です。

なお、他にも興味ある項目があり、参考までに下記に目次を抜粋します。
1. ルーツを探る ポリネシア・最古の人
2. 縄文人とは 縄文人の祖先 DNAでみる縄文人 縄文人のかたち アイヌと縄文人 縄文語 稲作の始まり
3. 日本民族の形成 弥生人の出現 民族の形成 二重構造は語る 縄文人か弥生人か 神話を読み解く 沖縄の謎 
4. ルーツについて 座談会
5. 身体編 鼻 髪 足 顔 歯
6. 機能編 体質 エイズ 病気 酒酔い 老化寿命 脳

以上 藤田 昇

「叙情と闘争」 書感 六甲颪

2009年07月14日 | Weblog
{2009/07/14} 経営者として西武グループを率いた堤康次郎の長男である堤清二が、回顧録の形式で多くの財界人のリーダーと会合の機会があり、そのときの会話、議論から彼独自の人物像を描き出し感想を述べているのは面白い手法である。

しかし著者の堤清二は別の一面で詩人としての叙情的な文章表現が含まれ、一般人としてこの文章を理解するのは楽ではなかった。更に彼は一時期激しい社会主義者になっていて学園紛争に参加したが、その余りに教条主義的な制約に反対し党から除名された。それに彼の父は資本家として大成しており、そこに多くの矛盾を抱えながら父の補佐役として多くの政治家、資本家のトップと同席する機会に恵まれた。例えば石橋湛山、吉田茂等の戦中、戦後の有名人が多数登場する。多くの会話の中からこれら著名人の思想の変遷や激しいお互いの地位の争いを目の当たりにし、それを避けるかのように叙情的詩の世界にのめりこんだ。しかし彼はその中でも資本家として思想が確りしている小林一三についてその生き様に高い評価を与えた。また政治を離れ三島由紀夫にはその生き方に疑問を感じながらその独自の発想に引かれ三島の自決寸前までの様子を詳しく記している。

外人にも有名人の面接談があるが、特に目立ったのはアメリカに召還されたマッカーサーとの会話でよくその心情が表れていた。
このように堤清二という資本家が別の面での詩人としての才能もあり、更に若い一時期には社会主義にのめりこみながら大資本家の堤康次郎と共に経営の道を歩んできたためか、思想的にゆらゆらした表現が目立っていた。しかし酔っ払いがふらふらしながらも我が家に帰るように彼は道を踏み違えなかった点は評価したい。ただ彼の叙情的自由詩は充分理解できなかった。

静かすぎて危険な車? ランダムトーク

2009年07月03日 | Weblog
                                          090703
                                                                恵比(えべ)っさん
ハイブリッド車 静かすぎて危険?

ハイブリッド車や電気自動車は走行時に出す音が小さく視覚障害者らが接近に気がつかない危険があるので、音を出して接近を知らせる装置の導入などを検討する有識者委員会を国土交通省主催で開いたそうです(初回:090702)。
 今後、低速走行時などに自動的にメロディーや疑似エンジン音を鳴らす装置の導入などを検討するそうです(日経新聞 090703)。

この考え方って、何かおかしいのではないのでしょうか?

音は静が良いのに越したことはないでしょう。従来、車の開発者は静音化に努力を傾注して来ました。静かにならずに苦労をしてきたのです、いかに静かにするかと。

視覚障害者らが気付かなくて危険というのは、障害を持たない方の発想ではないでしょうか。
接近して危険な状況を想定してみましょう。高速でビュンビュン走っているような道路ではないことは明らかです。街なかの、歩車分離の無い道路を走っている場合だと思います。
 こういうところでは、歩行者すべてに対して、安全なように静かにゆっくり走れば危険はないですよ。安全注意は運転者の義務です。もしこんな装置をつけたら、街なかの人込みの中を少々飛ばして運転しても良いことを誘発するようにも思います。

私は5.5年間ほどハイブリッド車に乗っています。購入時からこのことは気付いていました。確かに街中を走る時には、歩行者は車に気がついてくれません。ですから、万が一に歩行者が車に触れても怪我のないように、静かにゆっくりと走るようにしています。これしか安全な方法はないのです。
ゆっくり走るのが安全の基本だと思います(*1)。
 助手席の人(誰でしょう?)は、歩行者があまりに気がつかないので、ときにイライラしていますが、安全性・静音性を確保するには、運転者が気をつけて走る以外に方法はないと思います。

道路交通法第70条には
車両等の運転者は、当該車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し、かつ、道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない。と規定されています。既にある法令をしっかり遵守すれば、危険は回避できるし町も静かになると思いますが、いかがなものでしょうか。

(*1):高速道路などでは、危険回避のためにスピードを出さねばならない場合も時にはあります。それで、巻き添えを食うことなく安全に走れた経験が何度かあります。ハイブリッド車購入時に、そのことも気付きましたので、アンケートに「パワーモードとエコモード」の切り替えが出来るようにすることを書きました。今回発売のハイブリッド車にはそれが実現されていました。私以外にも多くの方がそのように希望されたのではないか、と納得した次第です。安全確保の方法も時と次第で使い分ければ、町の交通安全と静かさが確保されると思います。
                                                              以上