今回は、「色絵 花鳥文 菱形小皿」の紹介です。
この小皿は、昭和54年に(今から45年前に)、地元の古美術店から買ってきたものです。
地元の古美術店といっても、実際は、そのお店は、刀剣を専門とするお店で、刀剣だけを展示していると店の雰囲気が堅くなるということで、刀剣類の他に、陶磁器なども多少展示し販売しているお店でした。
そんなお店で買ってきたものですから、売っている側も、この小皿の出自を、「古九谷なのかな~?」ということで売っていました。私も、「古九谷ではないだろうけれど、ひょっとして古九谷?」という思いもあって買ったものです。
当時は、「古九谷」は、正に、九谷で焼かれた古い九谷焼であり、極めて貴重な焼物であり、幻の焼物とされていましたから、「こんな田舎に転がっているはずがない」とされていましたので、「古九谷ではないだろうけれど、ひょっとして古九谷?」という思いはありましたが、今後の勉強のための教材にするつもりで買ったわけです。
その後、古伊万里の研究が進み、従来「古九谷」と言われてきたものは、江戸前期の伊万里焼の「古九谷様式」と区分されるようになり、多くが「古九谷」として登場するようになりました。
今では、従来「古九谷」と言われていたものは、珍しい存在ではなくなったわけですね。
では、この小皿も『「ひょっとして」・「やはり」古九谷!』と思いたいところですが、どうも、そうは思えないのです。なんか、腑に落ちないところがあるんです。思うに、この小皿は、大正時代頃の「古九谷写」なのではないかと思うようになったわけです。それで、これまで、この小皿を紹介してこなかったわけです。
しかし、どうして、今頃、急に紹介する気になったかと言いますと、今日、この小皿に良く似たものを、或る方がインスタグラムで紹介していたものですから、参考のためにと思って紹介する気になったわけです。
なお、或る方は、この小皿に似たものを、インスタグラムで次のように紹介しています。
『 古九谷 花鳥文 変形皿
今回の投稿は、1650年~1660年代頃に伊万里で作られた古九谷と呼ばれる作品群に入る端皿です。五色を使った五彩手タイプ独特の色使いが、言葉には言い表せない美しさと魅力を感じるように思います。MOA美術館発行の「古九谷 珠玉の小品」など、古九谷の書籍に同手は掲載されてます。』
私は、MOA美術館発行の「古九谷 珠玉の小品」などの、その変形皿が登載されている書籍を所持していないため、ここではその変形皿を紹介出来ないのですが、MOA美術館発行の「古九谷 珠玉の小品」などの書籍を所持されている方は、それをご参照ください。
なお、私が紹介する小皿の表面の外周部分の左右部分は、染付の四方襷文となっていますが、インスタグラムで紹介されている変形皿の表面の外周部分の左右部分は、染付の四方襷文ではなく、色絵となっています。
色絵 花鳥文 菱形小皿
表面
見込み面
表面の外周部分の左端部分
表面の外周部分の左上部分
表面の外周部分の中央部分
表面の外周部分の右上部分
表面の外周部分の右端部分
側面
裏側面
底面(上半分)
銘:二重角福
底面(下半分)
銘:二重角福
生 産 地 : 肥前・有田? or 九谷(大聖寺)?
製作年代: 大正時代?
サ イ ズ : 口径15.1×12.1cm 高さ3.3cm 底径9.4×6.2cm
追 記 (令和6年8月15日)
この記事は、或る方が一昨日にインスタグラムで紹介されていた「古九谷 花鳥文 変形皿」も「古九谷写」であるかのような印象を与えてしまったようです(~_~;)
この記事の内容をよく検討することもなく、お盆の時期でもあることから、慌ただしく安易に投稿してしまったこともあり、誤解を与えてしまったようです(><)
この記事の真意は、或る方が一昨日にインスタグラムで紹介されていた「古九谷 花鳥文 変形皿」こそ、いわゆる「古九谷」であって、この小皿はその写しであることを伝えたかったものです。
どうぞ、この小皿の本歌である、或る方が一昨日にインスタグラムで紹介されていた「古九谷 花鳥文 変形皿」の素晴らしさ鑑賞してやってください(^-^*)
そして、なぜこの小皿が或る方が一昨日にインスタグラムで紹介されていた「古九谷 花鳥文 変形皿」の写しとなるのかを自分なりに検討してください。
私個人としては、この小皿は、全体的に見ていわゆる古九谷にみられるようなシャープさに欠けること、鳥の描き方が下手なこと(酒田の人さんも言われていますように、怪獣映画に出てくるギャオスのようですよね)、黄色の色彩が濁っていて鮮やかな黄色でないことなどから、「古九谷写」と判断いたしました。
ただ、この小皿は、小皿の表面の外周部分の左右部分が染付の四方襷文となっていて、インスタグラムで紹介されている本歌の物とは異なっており、本歌をそっくり写していないところがあります。そんなところから、この小皿には、本歌をそっくりに写すというような悪意は無かった、つまり、この小皿は、偽物として作られたものではなかったと思っています。後世になって、本歌の素晴らしさに憧れ、その多くの部分を取り入れて作られたものなのだろうと思っております。