一昨日、大石順教尼記念館が九度山の旧萱野家にオープンしました。
私は、招待を戴いたのではありませんでしたが、式典にお邪魔させていただきました。
順教尼は、17才で両腕を失くしたのですが、口で筆を使い、古典をはじめ和歌、絵画の道を究めるなど修行に全霊をささげられました。また、仏道と身体障がい者の自立教育の推進を志し、福祉相談も行っておられました。
作品は本当に多様です。
皆さん全て口に筆をくわえて書かれたって信じられますか?
どうしても、縦の筆はかけても横の線を書くのは困難だそうです。
一方、順教尼と親交の深い萱野家は後継者の問題から維持に悩まれていたところ、町に寄贈され九度山町の有形文化財として保存を行うこととなりました。
そこで、大石順教尼記念館としてオープンし、付近の真田庵、松山常次郎記念館、まちなか休憩所とともに面的な観光拠点として整備されました。
とても素晴らしい観光開発モデルとして、橋本でも掘り起こせばたくさん資源はあるはず。
観光とともに、文化、そして人権教育にと学ばせていただきました。
最後に、順教尼の息子さんに奥様の大石孝子さん、お孫さんの大石雅美さんと写真を撮っていただきました。
皆さんもお立ち寄りになってください。
私は、招待を戴いたのではありませんでしたが、式典にお邪魔させていただきました。
順教尼は、17才で両腕を失くしたのですが、口で筆を使い、古典をはじめ和歌、絵画の道を究めるなど修行に全霊をささげられました。また、仏道と身体障がい者の自立教育の推進を志し、福祉相談も行っておられました。
作品は本当に多様です。
皆さん全て口に筆をくわえて書かれたって信じられますか?
どうしても、縦の筆はかけても横の線を書くのは困難だそうです。
一方、順教尼と親交の深い萱野家は後継者の問題から維持に悩まれていたところ、町に寄贈され九度山町の有形文化財として保存を行うこととなりました。
そこで、大石順教尼記念館としてオープンし、付近の真田庵、松山常次郎記念館、まちなか休憩所とともに面的な観光拠点として整備されました。
とても素晴らしい観光開発モデルとして、橋本でも掘り起こせばたくさん資源はあるはず。
観光とともに、文化、そして人権教育にと学ばせていただきました。
最後に、順教尼の息子さんに奥様の大石孝子さん、お孫さんの大石雅美さんと写真を撮っていただきました。
皆さんもお立ち寄りになってください。
コメントありがとうございます。
おっしゃるように宿泊施設の問題が大きいと思います。
ルートインの建設も休止となっている状況です。
観光だけではなく、まちづくりにか欠かせない宿泊施設確保に向け努力ます。
もちろん、観光も橋本単独ではなく広域で考えないといけませんね。
カキえもんさんや皆さんのアイデアも是非お寄せいただき、この問題に取り組んでいければと思います。
両腕を失って、我が子の世話もまともに出来ない辛さ、悲しさから仏道に入られた経緯、彼女を心から愛した夫の存在…
九度山…九度山…いつもどこかで前にも聞いたことがあるような気がしていました。そう、この方は九度山の方であったのですね。
しばらく九度山で暮らしたことはあったのですが、よく知りませんでした。
ところで、「九度山」という町名の由来はどこからくるのでしょう?地元の人に聞いたことがあります。
九度山、いい響きですが、九度、山を越えるっていう意味なんかな?とか…
いつも本当にありがとうございます。
九度山の由来ですが、九度山の議員さんにお聞きしましたところ、慈尊院さんの話では、
弘法大師が、月に九度、慈尊院におられるお母様に会いにいかれた事からとお聞きしました。
高野山は女人禁制だったのでということのようです。