8月31日(日)
→![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
弁天島海浜公園(べんてんじまかいひんこうえん)を充分満喫し終えた頃、
ふと私はお腹が空いていることに気付きました。
そこで「海の家」でひと休みすることに。
早速、海水浴場のある砂浜から、
前回紹介した監視塔の方に向かい歩いて行きます。
しばらく歩くと前方に石碑(せきひ)があるのを見付けました。
近くに寄って確認してみると。。。
種田山頭火の句碑
それは種田山頭火(たねだ さんとうか)の句碑(くひ)でした。
種田山頭火(1882-1940)は山口県出身で、
酒をこよなく愛し、全国を放浪した俳人です。
私が種田山頭火を初めて知ったのは
今から数十年前にNHKで放送されたドラマ
「種田山頭火」を見た時だったと思います。
種田山頭火を演じられたのは今は亡きフランキー堺さん。
私の記憶に今でも残る印象的なドラマでした。
このドラマがきっかけで種田山頭火の俳句集を
本屋さんに買いに行ったのを覚えています。
種田山頭火は大正14年(1925)に出家(しゅっけ)をし、
放浪生活の様子を淡々と句にして行きます。
私の頭に真っ先に浮かんで来る山頭火の句は、
「分け入っても分け入っても青い山」かな。
さて、この句碑には一体どんな句が詠(よ)まれているのでしょう。
興味津々(きょうみしんしん)です。
それでは句碑を見てみましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/fb/0767a0ef7431ac8c79637a4c2de135bf.jpg)
「春の海の どこからともなく 漕(こ)いでくる」
と記されています。
この句は昭和11年(1936)4月に山頭火が弁天島に投宿した際に
詠んだ句の一つだそうです。
山頭火はどんな気持ちでこの句を詠んだのだろう。
句碑にもたれ掛かりながら弁天島沖を眺め、
山頭火に思いを馳(は)せる私。
その地でその人物になりきってみるのです。
これも私の旅の楽しみ方の一つ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
でも、気をつけないと「変な人」になるのでご用心を!(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/9a/8a01cce96edd2504c515587bc779178b.jpg)
句碑の裏側には、この句碑が平成3年(1991)3月に
建立(こんりゅう)されたことが記されていました。
思いがけずこの場所で種田山頭火の句碑に出会い、
「春の海の どこからともなく 漕いでくる」の句を
何度も小さな声で繰り返し詠んでみる私。
すると、私の目にはさっきまでとは違った
弁天島の風景が広がって見えるようでした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_yoka.gif)
山頭火の句碑と出会ったおかげで、
旅がひと味もふた味も違うものになりました。
ひと味、ふた味、味。。。
そうだ、山頭火に夢中になり過ぎて
大事な「海の家」のこと忘れてた!(笑)
これから上の写真の句碑の向こう側に見える「海の家」、
「遊船家」さんに行って、ひと味味わって来ることにします。
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弁天島海浜公園(べんてんじまかいひんこうえん)を充分満喫し終えた頃、
ふと私はお腹が空いていることに気付きました。
そこで「海の家」でひと休みすることに。
早速、海水浴場のある砂浜から、
前回紹介した監視塔の方に向かい歩いて行きます。
しばらく歩くと前方に石碑(せきひ)があるのを見付けました。
近くに寄って確認してみると。。。
種田山頭火の句碑
それは種田山頭火(たねだ さんとうか)の句碑(くひ)でした。
種田山頭火(1882-1940)は山口県出身で、
酒をこよなく愛し、全国を放浪した俳人です。
私が種田山頭火を初めて知ったのは
今から数十年前にNHKで放送されたドラマ
「種田山頭火」を見た時だったと思います。
種田山頭火を演じられたのは今は亡きフランキー堺さん。
私の記憶に今でも残る印象的なドラマでした。
このドラマがきっかけで種田山頭火の俳句集を
本屋さんに買いに行ったのを覚えています。
種田山頭火は大正14年(1925)に出家(しゅっけ)をし、
放浪生活の様子を淡々と句にして行きます。
私の頭に真っ先に浮かんで来る山頭火の句は、
「分け入っても分け入っても青い山」かな。
さて、この句碑には一体どんな句が詠(よ)まれているのでしょう。
興味津々(きょうみしんしん)です。
それでは句碑を見てみましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/fb/0767a0ef7431ac8c79637a4c2de135bf.jpg)
「春の海の どこからともなく 漕(こ)いでくる」
と記されています。
この句は昭和11年(1936)4月に山頭火が弁天島に投宿した際に
詠んだ句の一つだそうです。
山頭火はどんな気持ちでこの句を詠んだのだろう。
句碑にもたれ掛かりながら弁天島沖を眺め、
山頭火に思いを馳(は)せる私。
その地でその人物になりきってみるのです。
これも私の旅の楽しみ方の一つ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
でも、気をつけないと「変な人」になるのでご用心を!(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/9a/8a01cce96edd2504c515587bc779178b.jpg)
句碑の裏側には、この句碑が平成3年(1991)3月に
建立(こんりゅう)されたことが記されていました。
思いがけずこの場所で種田山頭火の句碑に出会い、
「春の海の どこからともなく 漕いでくる」の句を
何度も小さな声で繰り返し詠んでみる私。
すると、私の目にはさっきまでとは違った
弁天島の風景が広がって見えるようでした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_yoka.gif)
山頭火の句碑と出会ったおかげで、
旅がひと味もふた味も違うものになりました。
ひと味、ふた味、味。。。
そうだ、山頭火に夢中になり過ぎて
大事な「海の家」のこと忘れてた!(笑)
これから上の写真の句碑の向こう側に見える「海の家」、
「遊船家」さんに行って、ひと味味わって来ることにします。
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