土手猫の手

《Plala Broach からお引っ越し》

実践してみて…

2008-06-05 21:46:24 | 随筆
あと一週間で、ブログを開始してから半年が経つ事になる。
「歌日記」なる(する)ものも、始めてから二ヶ月が過ぎた。
「毎日書く」続ける、もそうだが。「毎日創る」を目標に、修練(習練)の為始めた。
訳なのだが、やってみると、これが中々大変である事に気付く。

気持ちや景色をそのまま定型に乗せれば(写生。本来の定義はそれが大切らしい)
それなりの形にはなるので、たいした取るに足らない話題・題材でも全く書けない、という事にはならないのだが。出来はまた別の話ですが。(心身が伏せってなければの話。一般的に。)


六月の声を聞きそうな時分から、考えている。
「何を書こうか…(書きたいものは…)」
初心に還ると言えば聞こえがいいが、とどのつまり堂々巡。

日記という性質から考えれば、公共の場所ではあるが、ごく個人的な記録・書き物なのだから、取り立てて規律・制約にこだわる、自ら作る必要も無い訳なのだけど。
なのに、(対象に)意味を探してしまうというのは、もう性分で。
別に悪い事では無い、悪影響(自分に)を及ぼしてもいないのでは、と思うが。考えてしまう事自体が、とも思ったり。と、考え過ぎてしまう。


初期衝動、目的(吐露)は達せられた(伝わってる。充分に過ぎる程にしてしまった観が有るが)と思うので。
衝き動かされたものを、ひとまず下ろして。今後は発露?にシフトしたいと思う。だからまた「何を…」。
発露を見つける為の作業になるのかも、しれないが。


実践(体験)してみて解る、というか、しなければ解らないものも有って。
半年やってみて(ブログとは直接関係の無い事。様?であっても)
「ああ、こういう気持ちだったんだね…。」と解った様な事、気がした。(数人の事)

解り切ってる事と切り捨てないで、少しはゆるく(実態はそんな…キツク?無い)構える事が出来たら良いな、と思った今日この頃。(思う、だけでは駄目だけど。やっぱキツイか)


そんな事をこれからの「何を…」に活かせていけたら良いな、と思う。(同上)

実践が大切。なんだろう。
前に(人に)言った事を実践して行きたい。


「正直に。」