京都新聞の読書の声『窓』欄に我が投稿文が掲載され、そのプレゼントが郵送されてきた。窓欄を毎日さら~っと目を通すが、投稿は高齢者が多く若者が少なく、同じ人物の意見がよく掲載され、政治経済社会文化スポーツなど全般的な分野にわたっているものの掲載された理由が不明なものもある。
声だから、老若男女、いろいろな意見が自由に出るのは良かろうが、出来事における専門的に分析した見解や声が少ないのは、ややもの足りなく思っている。
声だから、老若男女、いろいろな意見が自由に出るのは良かろうが、出来事における専門的に分析した見解や声が少ないのは、ややもの足りなく思っている。
「芸術だから!」って?
「マナ-違反や思いやり違反は、法に触れるのか?」って?
しかし、公衆浴場や温泉地などで、ナゼ、「入れ墨もの」をご法度するのでしょうか?
「入れ墨もの」とは、昔日本人が事件を起こした者や、弘法サンや北野の天神サンでの「出店」に「ヤクザ排除」を行っても、近畿放送で「ヤクザ映画」を推奨して見られるように「反社会勢力構成員の象徴」を現わすからです。
例えば「日本の伝統食、鯨食文化」がシ-シェパ-ドなどの海外から拒否されれば、「日本の伝統」であろうと「海外向け」に拒否するのと同様に、「入れ墨」も「海外で芸術」なら「日本の伝統」であろうと、拒否できるのでしょうか?
もし、「入れ墨が芸術」と認めるなら、海外で「児童の頭をなでる」という行為は、「違法行為」とまでされる行為であり、日本国内で日本人が「幼児の頭をなでる行為」も違法行為とすべきでは?
ナゼ、近頃の「日本人」は、和製英語の様に「日本伝統を捨て、舶来称賛」に極端に変貌したのでしょうか