市民の方から『伊藤若冲』について知りたいと電話があった。インターネットで調べていたら、五年前に当方が掲載した普賢寺にある若冲屋敷跡の記事がヒットしたという。はっきり言って、付近村人の言い伝えであり、真実性に乏しいとお伝えした、天明の大火で、自宅が焼け、その後二年間行方不明で、南に下ったという。地元ではひげがぼうぼうの老人が鶏の絵をかき、コメと交換していたとする話が伝わっている。その真相を確認するために、当時隣接する屋敷や由緒ある地域のお宅を訪ねたが、明確なものは得られなかった。若冲が画いた鶏の絵が当時米と交換したものかが手掛かりになると思うのだが・・・。
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