この地とともに。
しんくうかん
第429話「私的とかちの植物嗜考・ヤマハハコ」
―「あそこ」の陽炎(カゲロウ)―
元気だったころ、兄弟4人で二泊三日の釣りキャンプを、毎年計画していた。
概は近場だったが、たまには何時間もかけて遠征もした「あそこ」。
もうすぐ鮮やかな新緑華やぐ渓流にモンカゲロウが一斉にふ化する、大好きな時季だ。
でも数えると10年も行っていない。
国道から折れて山道へ。ネマガリ竹が蔽いかぶすとんでもない悪路なのだけれど躊躇せずにグングン突き進むと、ワラビとササに覆われた高原に出る。その崖下が「あそこ」だ。
急遽仕事が空いたものだからどうにも気持ちが落ち着かず、一人で来てしまったのだ。
テント場を囲む、背丈を越す笹薮に薄らと道らしき跡が、こんなのあったかな…。
分け入る。と、すぐに笹薮は途切れ急斜面の下、剥きでた岩盤が棚状に張り出た淵の大瀞が見える。「あそこ」だ。
両掌を広げたような根をこっちに向けて、極太流木がごろんと岩の上に転がっている。大瀞のうえに、ほぼ真直ぐな幹の先端は突き出ている。
風もなく穏やかな春の日差し。
明るく照らされる岩棚は、陰に塗りつぶされた対岸が際立たせてライトを浴びる舞台だ。
また大瀞を見る。ライズはないか!?
流木に腰をおろし、川面をのぞく人の後姿が見えるではないか。
川面の眩しい光がキラキラと怪しく見え隠れさせている。
その人は、ゆっくりとこちらを振り返ったように思えた。
表情は、ほお被りで分からないが暗いなかでチカッと二つ、両目のようなものが光った気もした。
つい目をそらす。心を落ち着かせゆっくり元来た笹薮のなかを戻る。
ガサガサと音がするたびに振り返る。が、何事もない。
食べ頃のヤマハハコがツンツンと出ている。柔らかく美味いが茹ですぎに注意。こと山菜は茹で加減がすべてなのだ。
―何かつかれた―
タケノコとヤマハハコの天ぷらに卵とじ、明日のおかずに蕨の下処理をして、暗くなる前に寝袋にもぐった。
目が覚めたがまだ外は明るい。だけれども稜線は赤みを帯びている。もう翌朝だった。
朝食のワラビは絶品で汁の具にしたヤマハハコは旨かった。が、あの人の帰った気配はなかった。土台どうやって来たのか。年老いたようであったし。
10年前の釣りキャンプのとき、対岸で釣っていた私が目をやると、うん!?
突き出た岩の先端にちょこんと腰を下ろすお年寄り。ほお被りで表情は分からん。
岩棚でワーワーはしゃぐ3人の弟ども全く意に介してない様子。
何か見てはいけない気がして目をそらした先の斜面に、ヤマハハコがあった。
飛沫を浴び、羽毛をまとった若草色の葉が光っている。
恐る恐る対岸に目を戻すと、お年寄りの姿はもうなかった。
第429話「私的とかちの植物嗜考・カラフトイバラ」
―三つの顔を持つ湖の物語―
そっとしているつもりだけど、動くたびに音が響く図書館の郷土資料室。
テーブルでぺらぺらと重厚な町史を捲っていく。と、目がくぎ付けになった。
擬古文体というのか…それと小さな文字。見えにくく何度も読み返す。今ではなく半世紀以上前の、小学生程度の国語力しかないのだけれど、臨場感がしっかり伝わるのは実に不思議で、やっぱり“日本語なのか”と私は思うのだ。
以下は、音更町史「然別湖調査<沼見紀行>」より抜粋。
「頭を巡らして沼面を見れば、実に凄じとも恐ろしとも、真に胆を寒からしむる奇怪の黒雲、高山の谷間を吹き捲って来たり、恰もフイゴの口より吹き出すがごとき状をなす。さうかと思うとまた瞬間にして黒雲は沼面より吹き去って天地晴明、沼面は鏡のごとく全山悉く現る、一同安堵の間もなく、またまた前のごとく黒雲吹き来りて咫尺を弁ぜず、その度毎に閃電はげしく狂いてその惨状を反復すること益々急なり。
土人神崎、一行の前に来りて叫びて曰く、是れ此の沼は古来より雷鳴様の住む沼として、土人等は深く之を畏敬しつつあり、依って直ちに神酒を供し、山神及び雷様を拝謝せざるべからず、然らざれば如何なる怪状異変の発生するやもはかりがたしと、顔色蒼然として、全身戦慄しつつ神酒を乞う、一行は乞ひに任せて武蘭清酒一盞を与ふ、土人は木を削り幣を作り、酒を供し、異様な手つきをなし、赤誠込めて山神を祈る。
ああ、奇なるかな、異なるかな、忽然として猛雨晴れ、狂雷眠りて更に音なし、風は臥して草葉の露も動かず、四囲の山は青葉を現わして笑い、沼面は元の鏡の如し、一行は皆始めて顔色あり、土人の鼻高きこと将に大天狗の如し、皆種々の評をなし、或いは笑い、或いは喜ぶ、併して一同無事を祝しつつ夕食を終へたり、よってこの沼を名付けて「吐雲湖」と言う。」
しかも「午前六時三十分小屋はそのままに保留して出発」とあるではないか。
俄然「まだ半世紀僅か当時の痕跡が、湖畔に行ってみよう」
アイヌ民族は「オッチシトー(高き処の沼の意)」、今は駒止湖と云って当時は湖畔に下りる案内板と、狭い道幅を広げて1,2台ほど車が止められるようにもなっていた。
6月も中というのに残雪もあって大小の岩石だらけ。トド、エゾ松に灌木が行く手を遮る湖畔、ただ歩くことも容易ではなく、あったとしても痕跡を探すのは幾日もかかるであろう。
突如山肌を突風が吹き下ろし顔が痛い。バチバチバチ、雹である。
何か背筋がぞっとして帰り道を急いだ。
と、一凛のハマナスの花が、「まさか!!」カラフトイバラとの出会いであった。
近年盛んな樹木の伐採で、カラフトイバラなど精力的に繁茂しているようだけれども最近だが、「あれはどうも“オオタカネイバラ”だったのでは―」。
植物と会話ができたならば聞いてみたい。「彼らも君と出会っているのか!?」