この地とともに。
しんくうかん
第477話「私的とかちの植物嗜考・エノコログサ」
―最期の章はどうする―
<第4章か・・・4という数字は気になるが、最終章というのも、何かナ。>
今年は創業して30周年になる。
あっという間であった。親の財布を元手に生きてきた時代を第一章とすると、云われたことだけをしていればそれで済む勤め人時代が第二章。そして第三章が終わろうとする。
親元で、好き勝手に生きたときも楽しいことの方が多かったが、社会人になって会社勤めでも、結構好き勝手にやってこられたな―。と、いまにして思えるということは、たまたまそうなったのだけれども、幸せ者だった。
理不尽と思えることでも、受け流すことが出来るのであれば、波風もたたないから当然葛藤もない。で、一時ではあるものの安穏である。
「面倒をみてやっている。みてもらっている。」の位置が変わると視座もおのずと違ってくる。正しい悪いにかかわらず、分かり合うことが難しいのは仕方がない。だが、その分別はもしかして、それぞれの根っこにある性分が作用させるのかもしれない。
社会人になった時、中古でボロではあったが車を持つことができた。入社祝いに親が買ってくれたのだが、小一時間ほど離れた農家の母方の実家へはよく行った。
別に用があるわけではないが、突然行っても、来た理由何かは問わない。祖父母、叔父叔母、従弟たち皆が、「飯食ったか!泊ってけ」。とにかく温かくてホッとした。
石炭ストーブの上にジンギスカン鍋を置く、一斗缶から取り出した羊肉をどかっと鍋の上に置く。程なくしてジュウ、香ばしい匂いと一緒にモクモクと立ち上る煙。祖父、叔父はすぐ一升瓶を持ち出してコップ酒をあおる。そして “飲めない!”という私に勧めるのがいつもの繰り返し。時々、顔は知っているけれど名前は思い出せない親戚の誰々かも一緒にいて、ワーワー、ワッハッハ。笑い声がいつまでも絶えることはない。
社会がどうの、会社の人間関係が…そんなことはすぐにどこかへ消えてしまう。
実家を出て、ほとんど坂道らしきもののないだだっ広い、ぽつりぽつりと遠くに家の明かりが見える暗闇の砂利道をゴー、ゴトゴトガガーと走る。
街の明かりが見え始める水田地帯に入ると、東の防風林から満月が昇ってきた。すると道に沿って、ゆらゆら揺れるねこの尾のような草が、月明かりで縁どられて暗闇に浮かぶ。
車を停めて屈みこんで、ブレないように両ひざに腕を添えシャッターを切った。
翌日の紙面に大きく「中秋の名月…」と題して掲載された写真は、モノクロならではの効果のほうがおおきかった気がする。
たぶん最期の章となる鍵は、どんな環境であっても“笑い飛ばせる処の提供”かもしれない。
具体的にどんなものになるのか・・・少し時間をかけて練ってみよう。
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