この地とともに。
しんくうかん
第255話 「憧れの人たち」
小学生のころ、三棟が隣り合わせの大きな一戸建てに住んでいた。みんな仲がよく、家族ぐるみの付き合いをしていた。
隣とその隣に同年代のお兄ちゃんがいた。小学生だった私ともよく一緒に遊んでくれた。
二人とも地元では倍率の高い優秀な公立高校へ進学。二人をとおして、取り巻く周囲の青年、大人たちとのかかわりから社会の成り立ちを、私は自然と学んだ。すぐ隣の威勢もよくケンカ早かったお兄ちゃんは高校入学すると山岳部に入部、何日も日高山脈を縦走した話などにワクワクしながら聞き入った。ある時山行から戻ってきたので話を聞きに行くと、先輩の言いつけは絶対だった時代命令されたのだろう、天井からつるしたずぶ濡れのテントを家の中いっぱいに広げ、ガンガンストーブを炊いて干している。小母さんは―明日には学校へもっていかなきゃならんからな―と姉や妹たちにも手伝わせてぽたぽた落ちるしずくを雑巾で拭っていた。
理性的でいつも落ち着いた様子のその隣のお兄ちゃんは、古本屋に行くときは一緒に連れて行ってくれ、生き物や歴史の話がとても面白かった。あるとき、私が「哲学って何…」と聞くと即座に、「人間はどう生きていくのか…みたいなことを教えるのサ」と。
よく理解できていないのに〈すっ…すごいなー〉と、おもったものだ。
二人ともがっしりしていて運動神経は抜群で、そしてとにかく優しかった。
大人は、三家族の両親と、どこの家だったか忘れたが祖父が一人いた。
多分飲み会で決まるのだろう。冬が近くなると「明日は屋根の雪止めをかける」「三軒の物置を作る」「ゴミ捨て場を作る」などなど号令がかかる。と、お兄ちゃんも加わって総出の作業がはじまる。
当時風呂がなく4丁ほど先の銭湯へ通っていた。あるとき、「一つの物置の中に風呂を作る」と命令が下されたときはすごかった。カラマツの丸太でやぐらを組み何本も鉄パイプをつないで打ち込み一週間ほどで手漕ぎポンプが完成。水が出ると大きな樽を風呂桶にして立派な風呂が完成した。お湯が沸くとみそ臭かったのでみそ樽を利用したのだろう。
夕暮れどきお兄ちゃんたちと入る風呂はとても楽しかった。
みんなが協力し話し合って役割を決めて、できないことはなかった。
時々おじいちゃんの前に座って神妙な顔つきをしていたこともあったが、逆らっているお兄ちゃんたちを見たことはない。きっと大人や年寄りを尊っていたのだ。
そんな雰囲気はわたしたち子供にも肌で感じる環境で、早く大きくなりたい。大人やお年寄りに憧れた。
今を知らない時代だから不自由なんて感じるはずもない。
満たされた今日常では、そんな心・意識は探さないと見えない。よもや失ってはいないでしょう…。
第254話 「近ごろの話題は…」
ここ最近の話題は「雪が少なくあったかいワー。助かるワー」
確かに雪かきがない。夏のようにどこでも走られる―というのはありがたい。こと雪かきは、年々体力的にきつくなる年寄りにとってはこの上ない。
でも困っている人も沢山いる。
冬のレジャーを生業にしている人、シバレの深度を心配する農家。除雪作業を当てにしている人、暖房の燃料や冬物商品を扱っている人は当てが外れて大変だ。北国では冬らしくない気候は、喜ぶ人よりも困る人のほうが多いのかもしれない。
農家だった母方の実家へは、帯広からビート(砂糖ダイコン)輸送のために敷かれた十勝鉄道で行った。5、60キロほどの距離を半日近くもかかったと思う。
駅に着くと叔父が迎えに来ていて、馬橇でさらに小一時間ほどのところにあった。
馬橇は分厚い板で囲った箱が取つけてあって、大人5,6人も座れる。何枚もの毛布を重ねた中に湯たんぽが何個も入っていた。叔母や祖母が朝早くから用意してくれたものだ。ツァッツァッと叔父が舌を鳴らし、びしっ手綱を上下に振るとがくん、橇が動き出す。
乾いた雪が、キュキュ、ギュウルルルと鳴る。速度が増すと冷気が頬を刺す。空はどんよりと雲が覆う。
遠く左右に連なる日高の山脈で地上との境目がわかる。道なのか畑なのか、馬は果てなく広い雪原の一本のわだちをぐいぐいと引っ張っていく。橇が左右に何度も大きく揺れる。
雪原にぽつんと見えた黒い塊は屋敷を取り巻くトドマツの防風林で、ずんずん近づくと家が見えた。
馬も気がはやるのだろう。足が速くなる。
橇が家の前に着く。と、「お~よう来た。寒かったろ…さぁ早く入れ!!」
躍り出るように玄関まで出迎えた祖父母、いとこたちみんながニコニコと招き入れる。
楽しい夕餉が終わり夜も更けて、祖母は布団に入った子供たちを見回り、肩や首周りに綿入れや掻巻を“寒いからな”と優しく巻いていく。
断熱材もない板張りの住居は震え上がるほど寒かったはずなのに、思い出は温かくほのぼのといつまでもこころにのこる。
時々いとこたちと会うとその時代の寒さが話題になる。「住んでいた私たちは本当に寒かった。でも楽しかったね」。
祖父母の歳になった今、あの酷寒も雪鳴りもなくなった。
でも、あのぬくもりと優しさは何としても次代へ継がなくちゃ―でも大丈夫だとおもう。母親の口癖が―お前が一番冷たいー。
第253話 「懸け(賭け)事」
無類の釣りキチだった。真っ暗になって何も見えなくなってようやくあきらめ家に帰ると父親は烈火のごとく怒り狂い、母親からは―釣り好きは親の死に目に会えない―と、しこたま叱られた。
連絡方法がなく、市街地を外れると原野。どこで何をしているものなのか探しようもなく、心配してのことだった。でも私なりにちゃんとした訳があった。
学友3人と近くの売買川へ釣りに行き、その日初めて釣りをした友達が竿を入れてすぐに隣で大きなヤマベを釣り上げた。売買川は頻繁に通うポイント、だがヤマベが上がったのを見たのは初めてでまたその大きいことに唖然。
しかしどういうわけかその日わたしの針にはウグイ一匹かからない。
夕闇近く“俺ら先に帰るワ・・・”とふたりは、バケツのなかからわしづかみした見事なヤマベを、柳の枝に刺しぶら下げて意気揚々と帰って行く。悔しくてたまらなく、大物が釣れるといわれる陽が沈んだ後に賭けたのだ。
父方の祖父は博労で一代を築いた。
私が「カメラマンになる!!」と上京、写真の学校へ通っていたころわたしの顔を見ると“写真で蔵建てた奴はいるのか!!!ワシのあとを継げ”。
休みの日は時々、牧場周りをする祖父の運転手に駆り出されたが駄賃はかけそば。でも、祖父の傍らで、牧場主や同業の博労と座布団の下にお互い片手を入れ何やら駆け引きをして―よーしいいべ―と商談、掴む指の本数が馬、牛の値段なのだ。そんなやり取りを見るのは面白かった。
そして儲けたお金で谷地や沼地など何の役にも立たない荒地を買いあさる。やがて市街化とともにその土地は高騰。さらに財を殖やした。
若干二十歳そこそこで大阪からひとりで渡道、いまを作った祖父。でもわたしには、祖父に先見があったとは思ってはいない。その一瞬にいつも命を懸け、その結果偶然に色いろと結びつき現在に繋がったのだろう―と思っている。
どちらかと云えばドケチな割には抜けているところもあってそこがわたしは好きだった。
やろうとする目的にかけるのか賭け事そのものを目的にするのでは大きく違う。が、人生は賭け事でもある―と思う。
途中竿を手にしない時期もあったが60年近く経ってみると、「釣れる、釣れないは」用意周到な準備と技術。しかし、魚の住む環境から気候全て生き物が相手。“当たるか否か”はいわば賭け事だがやはり“抜け目のないひと”は抜きん出る。
代々の血なのか、私もまた家族も欲がなくどこか抜けていてまた、集まる仲間もそんな傾向が強い。でも最期までそんな自分に“かけ”よう。
いまさら仕方のないことでもあるしネ。
第252話 「大地の泪」
暮れに仲間とあれこれ話していると「最近“あそこ”へいったかい!」
釣りポイントのことだ。かつてよく通ったところは“あそこ、あの場所”で大体は通じる。
新しい年の朝は、雪のないまるで春のきざし!?を感じさせる雰囲気だった。こんな正月は記憶にない。
運動不足解消にやや遠のいていた“あそこ”へ行ってみた。
ここ数年続いた洪水で、河岸はえぐり取られ上流から流れ着き集まって何ヵ所もうず高くなった流木の間に、厚く積もった泥から瞬く間に復活した草木が絡み合う藪が一帯を覆う。以前は川原の手前まで車で行くこともできたのが、いまでは4輪駆動車でも容易には入ることができない。
堤防下に車を停めて徒歩で入る。と、立ち枯れたエゾイラクサや風倒木が行く手を妨げる。枯草で見えない凸凹の地面を、上がったり下がったりで足の付け根や尻のあたりが痛だるい、明らかな運動不足。挙句、仲間から頂いた真冬の川もへっちゃらの重たいウエーダ―にどんどん体力を使い、上げたつもりの足が全然上がっていなくてつんのめって転ぶ、何とも情けない。
痛む太腿から尻をさすり休み休みようやく河原に立つ。すっかり様相は変わっているが野性っぽい雰囲気・・・なんか良いね。見とれていると突然、ガラガラガラ ドン ドボ~ンびっくりして顔を上げると、対岸の崖から次々と子供の頭ほどの石が崩れ落ちてくる。
崖の中腹は氷柱がカーテンのように横に連なっている。陽がさし気温が上がって少しずつ崩れ出してきているのだ。
崖から染み出た水は流れと一緒に十勝川と合流し太平洋へ注ぐ。
今ではほとんど目にしないが経済魚ではないものの、この辺りも一昔前は浅瀬でさざ波を立てるほどに小魚が群れ、崖の岩間から染み出た清水や氷柱を見つけると良く口にしたものだが今はおいそれと手は出せない。この崖の上の一体は耕作地と牧場が広がりその奥の山間には廃棄物処理施設もある。
何かと話題になる大衆魚だったサケ、シシャモ、サンマ、イカなどはかつてない原因不明の不漁が続く。私たちの、快適で豊かな生活を求めてきた現在の有様の一端だ。
地球温暖化なども含めて人為的なものなのか自然現象なのかはわたしにはわからないが、人間が別格でない限り、すべてが自然の現象なのだろう。
目の前の氷柱は大地が流す泪に想えてきた。