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第165話 「不可思議」



これまでいろいろな“不可思議”に出会った。それほど多く体験しいるわけではないが、どう考えても「その正体や原因について考えも及ばない」ことのこと、である。

人ひとりいないはずの山奥で仲間と釣りキャンプをしていた。日はとっぷり暮れ闇夜、たき火を囲み談笑していると一人が「しーっ、なにか聞こえる」。と、すぐ近くで何人かの声がする。「なっなっな。●×▽÷※なっなっな―」何を言っているのか聞き取れない。が、2分ほど続いたそれは、ひとの話し声に間違いがないと皆が思った。来た道は一本で周囲は山林に囲まれ道はない。そして寝るころになると突然、山の中腹あたりから、ギャァァァー…ワォー。おーいと叫び声が10分ほど続く。そこには廃線になったトンネルがある。

冷たい木枯らしが吹く夜、人気のない校庭で立ちションをしていると突然風がぴたっと止んだそのとき、すぐ後ろで、木立にもたれ両腕に顔を伏せしくしくと泣く女の人がいた。

まあ、人間は目から入る情報を脳が修正してかたちにするというから、これら不可思議なできごとは目で見たものなのか心に映る (感じた) ものなのか分からない。ただ自分ひとりのときの出来事は、「風の音などの自然現象に惑わされたのか…!?」とも思えるが、一緒にいる仲間が同じく聞いたり見たりすると、えっ!!と思ってしまう。

森林の繁栄に、「秋鮭の遡上が関係している」の雑誌記事を読んだときは驚いた。学術的なことはさておき、河川の上流部に産卵のため群れて遡上する鮭を頂点に立つ羆が食い散らす。でも、どういうわけか一部食べるだけで大方は残すので食べ残した鮭が累々と河原から森へとつづきその死骸を狐が食べ鳥はついばみ、小動物の食べ残しに蝿などの虫が群がり微生物が分解、やがて森の肥やしとなる。その豊かな森からの養分を、河川が海へ運びそこで育った鮭また―と循環しているとのことだ。気の遠くなる遥か昔から少しずつ生き物も環境もそうして変化してきたのだろう。

そうすると近年頻発する自然災害は、巨木を皆伐しあらゆる河川に構築したダムなどその循環を断ち切った人間の仕業!?と、じゃあこれらを育む地球は、そしてすべてを包む宇宙は―。あ~ぁぁぁ、考えていると老化が進む頭の中はどんどんこんがらがる。ぼーとし、頭も少し痛くなってきたので椅子の背もたれを倒し目を瞑る、気が付くと窓の外は薄暗くいかにも冷たそうな雨が窓ガラスを叩いていた。またたくまに寝込んでしまったようだ。

そうか、私たちはこの大自然に包まれているわけでそれが本質なのか?不可思議でもなんでもなく普通なのだ??すると“人間と謂う生き物”自体が不可思議なのか。
雨が降って冷え込むと不思議とぼこぼこときのこが出る。明日の休みはいらぬことを考えず、またきのこ採りに行くゾ。

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164話 「乾く」



とにかく痒かった。はじめ背中が痒くて痒くて、いつも孫の手を手元に置いていた。2年ほど続きやがて腰に移る。そして下腹、腕と赤黒いマダラ模様の痕を残して数か月かけて移動していく。

温泉は、気味悪がられるの―と長い間行っていない。同年代の仲間にも、程度の差こそあれ同じような症状の者がいて「乾燥肌だ!」とか「鼻炎アレルギーだ!!」と自己診断はいろいろだ。
皮膚科を訪ねると医師は、「あー単なる湿疹ですね。まあ~風邪みたいなもんです」と、受け流す。かゆみ止めの飲み薬と軟膏を処方してもらう。だが、効くのは2~3日くらいでまた痒い日がつづく。やがて湿疹は両足の股付け根に移動、間もなく太もも一帯に広がりひざ裏、すねへと拡散していく。湿疹に効くといわれる温泉水を取り寄せたりするもほとんど変わらなかった。

そして間もなく胃に癌が見つかる。

検査が終りいよいよ入院、手術となったとき主治医は「他に何か気になるところはないですか!?」と。早速私はズボンのすそをまくり上げこれまでの状況を話す。
「う~んこれはアトピーだね」。「アトピィー。こんな齢になっても出るんすかね」。
どうやら年齢に関係なく突然現れそしてある時消える―らしい。ところが無事手術も終わり、痛みもなくなって暇を持て余しているとき“痒くない”ことに気付く。湿疹のあとはむごたらしく濃いアザになって残ってはいるものの、どこも痒くないのだ。退院して数ヶ月が経つと、醜いアザも日増しに薄くなってきた。

あれはいったいなんだったのか…。

朝、そんなことを思い出しながら髭を整えようと鏡をのぞくと、皺だらけの顔の額、頬の辺りの皮膚が小魚のうろこ状になってポロポロ剥がれてくる。わぁーなんだコリャー。女房は「年取ってくるとネ、脂っ気が無くなって肌が乾燥負けするのサ。これ塗っときな」と保湿クリームをよこした。そういえば新聞や本のページをめくるのに無意識のうちに指を舐め舐めめくっている。脂っ気がなくなったのだ。

ちかごろ野山では水のない枯れ沢が目立ち、一昔前とは違い山菜、キノコの発生も暦を当てにしても裏切られる。そもそも大地に潤いというものが感じられなくなった気もする。
地球が老いたのか?それとも人間の欲に耐えられなくなったのか!?

いずれにしてもわたしは、気になるな―。

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