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第91話 「ボケる」


歳をとって、よく聞くキーワードは“ボケる”で、何かにつけ「ボケ防止に…。ボケないように。ボケたなー」だ。

となりに住む90歳ちかい母親もそうで、一時期はどうしたらいいのか本当に悩んだこともあったが、いまはすっかり戻ったようだ。

 「また金がなくなった」と、騒ぎ立てたあげく窓に鉄格子を付け、家の鍵はすべて取り換え、合いかぎは断固渡さない。
やがて毎日のように電話が…はたまたわたしの兄弟にもかけまくり
「家から金が無くなった。金は良いから○○の形見の財布は返せ」
電話での家族の応対が気のないものになってくると、こんどは手紙攻勢がつづく。
筆ペンで書かれた長々と切れ目のない文章が、つじつまが合う合わないにかかわらずこれまでのことあれこれと、何枚ものチラシの裏紙にびっしりと書き綴られ、そしてそれは、我が家はもちろんのこと、隣家の長男家族のポストにも投函する。
両方のこめかみに、1センチ四方に切ったサロンパスを張り、目じりを吊り上げてわめく姿はまさに狂気の沙汰だ。
その標的の大体が、女房である。
やがて、日夜を問わず攻撃される、更年期まっさかりのわが妻もおかしくなってくる。
「母親を何とかしろ。病院でみてもらえ云々」
しかし不思議なもので、そんな日々が当たりまえになってきて、“それがふつうなんだ”と思えてくるとだんだん心が落ち着き、なんとも感じなくなってくる。
まあもっとも、仕事が一番忙しくなっていて、「心はうわの空」だったのだが―。
いまだ現役で仕事をしている母親は、「90歳にしてなお、まだ現えき―」とテレビで紹介されると来客がいっ気に増え、途端にそれまでのことが嘘のように狂気は治まる。

おおむかしからボケは老いの象徴のように云われてきたが、「死ぬまで働きづめ」の多かったむかし、おおくはボケるひまなどなかったのだろう。

団塊の世代の我われ、ここ数年なにかにつけて“定年とボケ”の話題が多い。
死ぬまで必死になって仕事を作りだし「とにかく借金を―」と孤軍奮闘するわたしの心中は、幸せなのか不幸なのか難しい選択位置にある。

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