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第192話 「手軽にはなったが…」



昆虫少年は、野原だけでは飽き足らず山の天辺にわずかな期間しか生息しない蝶を求め、山々を歩く。やがて、“厳しい環境でなければ生き残れない”という、一見矛盾した野生の生き物の世界をとおして山の魅力にグイグイ引き込まれていくのだ。

それで、高校生になったときまず一番に飛び込んだのが「山岳部」。ただもし「探検部」があったとしたら迷わずそっちにしただろうけどネ。
今や登山は立派なスポーツ、だが、当時は「所詮山登りだろ。遊びだ遊び」と。
まあそういわれても仕方がないのは、他のスポーツのように走ったり飛んだりボールを蹴ったりするわけではない。だいいちユニホームはなかった。いや、あることはあった、チェック柄ネルのオープンシャツにコールテンのチョッキをはおりニッカズボンに毛糸のハイソックスそして革製のゴツイ登山靴、頭にはチロリアンハットと、上から下までスイスアルプス山麓の世界でビシッと決めている学校もあった。でも50年前は、登山服用品類は一様に高額で余裕のある私立高校か金持ちの子息たちのモノだった。
反面、地下足袋に色褪せ擦り切れた着古しのズボン、継ぎ当てた上着に頭はタオルを結んで―と、いわゆる杣夫やマタギ様式をうやまう向きもまだ強く、高体連でたまに、上着の胸に大きな端切れを当て縫いつけただけのポケットに地図を入れている輩がいると、それを見た先生が「いいね!!みんな見ろ」なんて褒めたたえる風潮もあった。たぶんそいつは、たんなる目立ちたがり屋だったのだろうけど―。
もっとも、野宿を繰り返し道なき道を行く族にはそんなスタイルが適していて、そういうわたしも限りなくその恰好に近く、またそれに違和感はなかった。
平成(1989年)に入り、週休2日制の浸透で山ガールに象徴されるように全国的に登山がブームになり、北海道・十勝の山々も登山者が急増。結果、アカエゾマツやハイマツの根が尽くむき出しになるほど登山道の土は減り、登山口や山腹のキャンプ地の糞尿の処理そして高齢者遭難の頻発と、かつては思いも呼ばなかった問題が噴出する。
登山を扱うテレビ番組では、職業案内人が、ザックの果てから細身で色とりどりの、見るからに軽々しいスタイルの老若男女を引き連れ、列をなして山頂を目指す。
ドローンが旋回しながら、登頂者で溢れる僅かなスペースの頂から、連なる残雪を抱く山並み、そして山裾の霞む富士山と見事な映像を送ってくる。それを見た人たちは“いいねわたしも”と、まだまだ当分ブームは続くのだろう。

かつて、野生と戯れた“遊び”と云われたものの多くが身近で手頃な誰しもが楽しめるスポーツになり、観光と併せたビジネスとしても成り立っている。
“わたしにはちょっと”と、おもっていたことが簡単に実現できる時代なのだ。そしていま、宇宙にまで広がりつつある。
お金さえあればの話だが…。

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第191話 「イベント」

すったもんだしたけど、なんとか2回目のイベントが終った。
当初は「5年は続けよう」と始まったのに、―いろいろな団体や子どもたちにも声をかけて―の話になると、「重くなる!いつまで続くか分からん」と騒ぐ輩も出てもめたのだ。

十勝平野は西に北そして東と三方を、連なる峰々がぐるりと囲んでいる。その豊かな森林を源とする多くの河川は、山脈から流れ出た土や岩石を長い年月をかけ広広とした沃野に変え、豊饒な現在の十勝平野をつくり太平洋へと注いでいる。
そんな恵まれた自然環境で育ったわたし達は川が一番の友達で、春雪しろが治まると、ピカピカと輝く玉石や砂利の川原の中を流れる清らかで青々とした水と、いつもたくさんの子どもたちが戯れていた。その、はち切れるほどいっぱい思い出があるので川や水に関するテーマに、しつこくいつまでも関わりたいのだ。
その一つが、“毎年つづけよう”とはじまった水質検査を柱にしたイベントなのだ。


その2週間後、釣りをガイドとする仲間たちが主催する北海道で最も高いところにある湖でのイベントに参加した。

話を聞いたときは、高額な参加料にうじうじとためらったが、いつも自分の企画には協力してもらっているのに―という気持ちと、“太古の湖で水彩画家・柴野邦彦さんと、のんびり絵を描いて釣りをする”という稀な企画に魅かれ決めた。
日中の最高気温が30度を超えたと思ったら80年来の低温と曇天が続く、その日はガッチリ着込み防寒着も用意して出発。車を走らせて間もなくすると雲は掻き消え一気に晴れ、ぐんぐん上がる気温でじりじりと汗が噴き出し、そのまま窓を全開にして走らせると頬にあたる風がとても心地良い。
平野が太平洋に向かい扇状に広がる山腹からの眺望は、「日本で三番目に広い十勝平野は“起伏の少ない平坦なところ”で競うときっと一番だろう」。
群青色の湖面にくちびる山が映える久しぶりの湖は、桟橋から覗くと、昔は群れる大きな魚がはっきりと見えたのだが何も見えない。いま時期はまだ雪しろの濁りが残っているらしい。ちょっぴり今風になった湖岸、でも昔と変わらない姿にホッとする。
翌日、たっぷり満たされた心で山を下りると下界はまたもや曇天。麓の市街地を抜けると、湖から流れ出た川のほとりに車が何台も停まっている。この辺りは良く釣れるらしい。が、釣れるのはニジマスばかりで、草かげから見える河岸や階段状の段差すべてがコンクリに囲まれた川に、時折尺を超えるオショロコマやドジョウやカジカのいた昔の面影はない。

一瞥しただけで、車を停めて釣果を確かめる気持ちも起きなかった。
もし今、「一つだけ願いをかなえます。」と言われたら、わたしは迷うことなく、「子どものころの川に戻してほしい」というだろう。

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第190話 「いたましい」

わが家にはいま空いている部屋が4つある。洋間8畳に6畳が二部屋そして8畳の和室。
子供が成長盛りの時はこれでも足りなかったものだが、夫婦二人になるとぶかぶかの洋服を着ているようでどうも塩梅が悪い。

しかし、空き部屋だからといってがらんとしているわけではない。
むかし、わたしの書斎にしていた洋間8畳はいま布団部屋然で、盆正月には子どもたちの家族が寝泊まりし、夜勤明けの日は帰って来る次男の、自分のアパートに入りきらなくなったテーブルや収納箱、ギターなどを帰り際に置いて行く処でもある。
「まだ使える!なげるいたましいしょ」と、女房は物を捨てることができない人間だ。
てなわけで、あとの3部屋は、着物を入れた箪笥や誰かが置いていったジャケットやベルト、喪服などが雑然と掛けてある部屋や覚えたてのころ手当たり次第に作ってしまった果実酒(これはわたしです)が無造作に置いてある、いわば室内の物置である。
“安かったから”と、買い置きしてある孫たちが来た時に配る駄菓子やゲームの類、そして漫画と絵本、町内会の行事で使い残った備品や紙食器、ノンアルビールなど次も使うからと取っておくのだが、毎回残るのでいつも置きっぱなしみたいになっている。まあこれらは、子どもが多いうえに町内会の副会長、庶務と夫婦で担っているのだから仕方ないのだが、―もうすこし何とかならないか―と思うものも多々ある。
「孫たちが遊べる」と貰って来た長椅子、何台もの健康器具、はたまたあちこちに設置した、つぎつぎとたまるものを置く収納棚。サイドボードや食器棚と壁の間(いわば隙間)に差し込まれた茶色に変色した埃にまみれた何枚もの紙袋やうちわ、ごちゃごちゃと物が入った空き段ボールなどが部屋の角はもとより玄関の踊り場まで置いてあり、時々引き戸を開けた途端ガタンと戸が引っかかって外れる始末、来客の予定があるとある程度片づけられるのだが―。
居間をはじめ各部屋の壁に掛けた、家族や子供の写真と孫が描いた何枚ものばあちゃんの顔はともかく、何年も前の列車・バスの時刻表や老人会かなんかの連絡簿、あちこちに貼られている意味不明のメモの類は全然“いたましくない”とおもうけどね。だから我が家は、広いのに“空間”を見つけることはかなり難しい。

家族のみんなは「お母さんは始末家だから・・・」と、すこぶるやさしい。

ただ、安いからと沢山買って腐らせたり、形が悪く売れないと畑に捨て置かれた野菜やとれ過ぎて廃棄するのもなんか同じような気がする。そういう観点からすると“何がいたましい(もったいない) のか”わからないこともあるネ。

町内の仲間が、「私ね。通じが良くて朝二回トイレ行くのサ。すると女房が『いたましいショ食べるんでない!』と云うのサ」

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