この地とともに。
しんくうかん
第356話「私的とかちの植物嗜考・這松と松茸」
―もどきは所詮もどきなのか―
林業試験場のキノコの先生、「やっぱり外せないでしょう。代表格ですから…」。
わたし、「大体が十勝にもあるんですか???」。
壁の本棚の方を見やった先生は薄笑いを浮かべ立ち上がる、棚から持ってきた古びたA6サイズの一冊をぺらぺらと捲り「写真もキノコも私がとりました。」と前に差し出した。
半世紀前のことだが正直、俄かには信じがたかった。
本州の赤松林に共生と云われる松茸。土台北海道に赤松は自生していない。
先生「雌阿寒岳一帯のハイマツの根元ですね」
その時はすでに時期は過ぎ、その写真を借り初版の「とかちの山菜とキノコ」ガイドブックは発刊した。
「旬は8月末から9月上旬で、リュックいっぱいにしてくる人もいます。」
時期になる度登るが、仲間の誰一人採れない。しかし行き交う人は皆、簡単に採れる話をして自慢したいのか、大方はリュックからおもむろに取り出し、これ見よがしに見せつける。だから、―とかちの野山にかけては―と自負する我らの自尊はそのたびにブレるのだ。
あるとき仲間の一人が「少し遅いんでないか!?先に採られてしまうんだと思うよ」。
確かに。登山口の駐車場は平日も満車状態で、停めるところを探さなければならない。
お盆過ぎに行った。アカエゾマツ純林の広がる道、むき出しの絡み合う根は累々と骨になった屍が転がる光景を連想させる。撮影していると、時期には毎日のように来るという、JAマークの帽子を被ったご老人(私よりも)が声をかけてきた。
「本州産より旨い!!と有名になってな、ハイマツの背丈も温暖化なのか伸びた、今や我々すら思ったほど採れない」と嘆く、話しを聞き一緒に登っていると、追いかける様に後から来た3人連れの娘たちが“急げ”と掛け声をかけ追い抜いていく。6合目付近で撮影をしているちょっとの間に、ご老人の姿も見えなくなってしまった。
「8号目あたりから…」というので、ついて来られると困るのかもしれない。
ハイマツ帯に潜り込む、と、方角が分からないほど深く、グニャグニャと絡み合う地を這い伸びて広がる枝が行く手を遮り、移動すら容易でない。やっとの思いでハイマツ帯を抜けた処の松根元の周囲に数本が出ていて、何故か採った松茸も傍に寄せ集めてあった。
見回しても人影はない。「忘れていった!?」ポリ袋はすぐに半分ほどが埋まった。
うん…。だが、強烈だ―と云われる臭いがしない!
勇んで帰る。飛び上がるほど喜ぶ女房、早速炊き込みご飯にして、隣家の長男家族も一緒に食す。「美味い!!歯ごたえが何とも言えないね」
香りは全くしないが、云うまでもなく炊飯器はすぐに空になる。
あとで調べると「マツタケモドキ」、「松茸よりもうまい、と云う人もいる。」とあった。
“なるほどと”大いに感心、が、元気なうちにモドキでないのを採ってみたいものだ。
第355話「私的とかちの植物嗜考・サクラ、桜、櫻」
―こころの奥に残るサクラ5歳、桜13歳、櫻18歳、のころ―
砂利とはいいがたい、大人の拳ほどもある石が転がる砂利道を、車体を左右に揺らし黄色いボンネットバスはやって来る。「そろそろ着くよ迎えに行って頂戴!!」
ガタンゴトン、ガタゴト、キィーッ、玄関を出て駆けだした間もなく、真正面でバスは止まった。50㍍ほど先を横切る沿道のサクラは満開で、市街地から上美生まで幹線道路沿いのエゾヤマザクラ並木の花期は、それは見事だった。
父親の生家は中美生、道路沿いの敷地の奥に住居がある。
バスの窓から乗客が、皆じっとこっちを見ている。
プォッ軽くクラクションを鳴らしてバスが行くと、用足しで街へ行った祖母が、両手に荷物を下げトコトコ歩いてくる。家の前が停留所で“便利だな”とずうーと思っていた、だが本当はもっと先の会館前で、「祖母はいつもチップを渡すので、車掌さんは家の前に止めてくれるのだ」とおばから聞いた。
旧国鉄新内駅、線路を挟んだ向かいの少し高くなった処にさほろ酒造は見える、ここのそば焼酎25度は、「日本人ほど桜が好きな民族はいない!」が口癖だった師匠の好物だった。その線路沿いの道を西に行くと旧狩勝峠道だ。
部屋の壁にかけてある標本箱、ピンでとめた蝶は色あせている。
山の桜が咲くころ、孵化ご数日で一生を終える蝶を求め、わたしは先生に連れられて、峠から尾根伝いに頂上を経て新内に下山した。6合目くらいのところにシラカンバの幹で組んだベンチがあって、傍らの一本しかない桜が八分咲きだった。
先生、「休憩だ!もう少で車両の前と後を蒸気機関車が挟んで上ってくるぞ」。
間もなく木霊する汽笛、ぼぉぉーっぼっぼっぼっ、前と後でもくもくと黒煙を噴き、大きく弧を描き上ってくる機関車が葉の緑色を桜色が引き立たす眼下の森に見え隠れしてきた。感動はなかった。未知の蝶のことで頭はいっぱいだったのだろう。
頂上直下の鞍部までくると薄曇りの空に陽が顔を出す、目の前に突然蝶がふわぁふわぁと現れた。この時が最初で最後だった。
頂上は雲が覆っていた、途中汽車の時刻が迫り駆け足で新内駅に着くとまた晴れた。駅舎から、広い真っすぐに下る坂道の両端に家が並んでいるが、人気はない。中ほどの左手に大きな屋敷がある。旅館か!?
屋根を超して四方に大きく枝を広げた桜の巨樹が、建物の傍で満開に咲き誇っている。
活動写真の如く、時々繰り返し現れる光景だ。繰り返すたびに、一場面がこれまで見たことのない新しい情景に変わることがある、が、なぜか天気はいつも同じだ。
高校3年生の時、教室の窓から見える櫻が満開になった。
担任の先生は入って来るなり、したり顔で黒板に大きく“櫻”と書いて、「にかいの女がきにかかる。」と、何故かみんなは、なんの反応もしなかった。
第354話「私的とかちの植物嗜考・らくよう2題」
―落葉(カラマツ)とラクヨウ(ハナイグチ)―
羽田を発って1時間30分十勝上空に達する。
見晴らす限りの平野、海岸線から連なる山すそまできりなく広がる平野。春、夏、秋、冬のはっきりした折々、きっちり区切った碁盤の目は耕地防風林、あぁぁこれが十勝平野だ!!
その防風林、かつてはカシワだったと云う。
「カラマツは北海道ではないんですってね」
農業を始めて3代目となる農家を、脱サラして継いだ青年は唐突に云う。
「曽祖父は入地した時、カラマツの苗木も持ってきたと父から聞きました。何で!?と思うのですが」
環境問題を考える部会の席で、農業者たちで防風林の是非が問われていると話題に上ったときである。
町発祥の地で、当時の住居と用具をほぼそのままの状態で保存している開拓資料館で語り部を聞いたときのこと、「この先の高台にカシワ林があります。開墾はカシワの巨木との戦いで、伐り残したカシワを防風林としていました。それが、炭鉱坑道の骨組みや足場の材に、カラマツが高値で売れて大儲けができる―の話が広まり、瞬く間にカラマツに代わったのです。」
大人気のキノコ「ハナイグチ」はカラマツとしか共生しない、で、一緒についてきたのだ。
私が物心ついたころには、畑の防風林はすでにカラマツ一色だった。
母方の生家に行くと、「キノコ採りに行くぞ!」祖父の後をぞろぞろと孫たちは畑の縁を歩く。
「ほらこれがラクヨウキノコだ!!」と、手にしたキノコを見せて採るように促す。子どもたちはキノコ採り、祖父はカラマツの枯れ落ちた枝を拾い集める。
「お前たち先に入れ!」。
家に帰ると沸かしてあった五右衛門風呂は、裸になった子どもたちで大にぎわい。
「塩梅はどうだ」。釜の火口でカラマツの枝を焼(く)べる祖父。すぐ燃え尽きる枝は火力は強く、火加減の調整には最適だ。
「間もなく相次いで炭鉱は閉山当ては外れたのです。」と、語り部は締めくくった。
山野のいたるところ経済木カラマツ林になった今、我ら人間にとって“儲かる”は、ときとして我を見失う魔力があるのだろう。
10年ほど前、エゾ松とトドマツの混成林で見た数個のハナイグチ、近年着実にその数を増やしているようだ。
“カラマツのみ”と云われていたが、新宿主を見つけ新天地を目指しているのだろう。