この地とともに。
しんくうかん
第258話 「永遠の命」
昨年末と数日前と続けて叔父が亡くなった。
晩年は二人ともに入退院を繰り返していたが、90歳近くまで家族とも日々の生活を楽しみ最期の時もたっぷり会話を交わしての往生だったから思い残すものなどなかっただろう。
そういうことでは、親父もそうだった。
元気な時は、飲んだくれて帰ってきては怒鳴り散らし、しらふで家にいることはほとんどなく家族とはまともな会話ができなかった。60歳半ばに脳梗塞で倒れ、半身不随になって退院してからはいつも家にいるから何かにつけ話をするようになった。
身体は多少不自由であったもののどんなことも自分ででき、時折孫をかまって駄賃をやって買い物をさせたり自由気ままな生活を送っていたがある日、ヨーグルトのアロエをのどに詰まらせて誤嚥性肺炎を発症、延命治療を処置。集中治療室のベットに寝たきりで、家族が交代で隣のベットで付き添った。このままいつまで―とおもったがひと月も経ったころ不思議に意識を取り戻す。
家族一人一人と菓子を食べたりいろいろと話を交わし再び意識を失った一週間後、82歳の生涯を閉じた。
傍から見ると、ふたりの叔父ともに苦しむようすはなく安らかな幕引きだった。
いとこたちと火葬場で待つあいだ、通夜もそうだったが、若くして亡くなったいとこたちや祖父母や両親の想い出話で盛り上がっている。
昨夜の通夜も想い出に花が咲き遅くまで飲んだ。
楽しそうに、あっはははと声をあげ、途切れることのない和やかな場で、寝不足でボーとした頭で聞き頷いていてふと、先に亡くなったみんなは、きっと間際まで懸命に生きて“もうやめよう”と、自ら生きることをやめたのだ。そして―間違いなくいまその命はつながっている!!―おそらくこれを“永遠の命”というのだろう。
〈よし!俺も間際まで…〉と。でも心中は〈やっぱりつらく苦しいのはやだから何とか楽に―〉と願っている。
叔父たちは別にして、きっと親父もそう思っていただろう。所詮われら親子は凡人だからね。
第257話 「見える化」
年まえには「これはいよいよ爆釣復活か!」とにおわせる釣果があったものの、その後さっぱり釣れない日がつづきくすぶっていた。
取引先の若い釣り好き営業マンが久しぶりにやって来た。
―近ごろどうですか!?―
「ハイ!!業績はいまいちです。が、釣りはしっかりと行ってます」。
大変だと言いながらいたって元気、若いっていいね。
彼は、「河畔林なんか全部切られて川は真っ直ぐ…ずぅーと先の先まで見通せますよネ」と―。
ここ数年つづく災害復旧工事、「元に戻すのではなくて、元を変える工事ですよネ」。ポイントがすっかりなくなって釣る気を削ぐところが多いらしい。尤も―
が、河川をもとに戻すのではなく堤防、橋梁を守りはたまた出水により破壊され、その周囲に広がっていた人間の居住地や耕作地をもとのような安住!?地に戻そうという工事なのだから川が、魚がどうだは二の次三の次なのだろう。
でもわれらアウトドア派にとっては、河川は大地の血管、血液と考えるともう少し先を見通したいねと思うことも…。
そんな簡単な問題ではないのだろうが…。
これら一連の工事でかかわる業者はこの先の見通しから大型機械の更新が盛んになった話も聞く。また、高級車の販売や立派な社屋新築も盛んになり、繁華街も往時の活気を取り戻すのかもしれない。
大昔からかたちは変わっても繰り返し連鎖してきた、われらの常なのだろう。
釣りのガイド業をしていた仲間は、いよいよ本格的に廃業する様相。
もう何年も前から「今年は―」といっていたのだがこの先を“見通して”踏ん切りがついたのかもしれない。
近年様々な分野で「見える化」が問われているようだ。
成熟化社会では重要課題だ。
でも、全然見えていないんじゃないのか―もっともわたしの話だが…。
第256話 「ひとりよりは…」
「お父さん行ってきます…」。
女房がうきうきムンムンで、妹と二泊三日の湯治に出かけた。
「よ~し、今日は好きにするかぁー。」仲間とわいわいも楽しいが、一人遊びも大好きで、つい数年前までは単独での登山やキャンプを楽しんでいた。
寒波が来たらしく数日前より真冬日が続き、その夜の予報で明朝はマイナス23度。
―ひとり暮らしも、20度を下回るのも久々だな…―
仕事を終えて家に戻ると、まずストーブの真ん前に座椅子を据える。小さな食卓テーブルを横に置き、テレビの画面が真正面になるように動かしレイアウトは完了。冷蔵庫には、それぞれ調理名を記した女房作り置きのタッパーが何段も重なっている。その中からきんぴら、昆布の煮物、サンマの煮つけを出してそのままテーブルに並べ、丁寧に一個ずつラップに包んであるおにぎりを一個皿に載せチンして並べると、見た目は悪いがちょっとした餐飯が整う。タッパーの蓋を取って箸で突っつき自作の薬種をなめなめ、録画したものの見る機会がなくたまっているテレビのファイルから、長時間番組を選びスイッチオン。
普段の、番組を見ている最中何かと女房の大声の解説や茶々、注釈が入らないのは集中できて良い。
どんごごごぉー
パタンパタタッ
時々天井裏で何かが転がるような…と思ったら今度は換気口を風がたたく…。
大声がしない分ほかの音が気になる。しばしして気が付くと番組は半ば、眠ってしまったのだ。うん…。ストーブの真ん前に陣取っているのでぽかぽかと温いが、外はかなり冷え込んできたらしい。
なんかつまんなくなって布団に入る。電気毛布でどんなに気温が下がっても快適。すぐに寝入る。
翌朝はほぼ予想通りの冷えこみ。朝食を済ませストーブはつけたまま事務所へ行く。その日は一日せわしく、陽が暮れて自宅へ戻ると居間はほんわかとしている。結局その日の夜もテレビをつけたまま意識を失い、“今夜は飲むぞ!!”が、気が付くと薬種のお湯割りはカップの半分も減っていない。のそのそと布団に潜り込む。
翌日帰ってきた女房は、「お父さんトイレと台所の水道が凍っていたワ…」。一人の熱量が減った分、冷気が忍び寄ったのだろう。
そしてまた、あーだった。こーだったと話が始まり、傍らのわたしはお湯割り片手に“時々気が付いて“相槌を打つ。
若い頃はなんも感じなかったが…年取るとやっぱりひとりよりは…。