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第360話「わたし的とかちの植物嗜考・オオバコ」

―じいちゃんの虫刺されの薬―

別名スモウトリグサと云うのは知らなかったが、仲間が集まると、硬く伸びた茎を交互に重ね折って引っ張りあい、どちらが切れずに残るか遊んだ。

何とも子供らしい遊びだが、まあ…その辺のを遊びにするしかしか他になかったのだ。

 

細々と質素に生きているが、ひとたび人間が樹を伐り藪を焼き尽くすと、いち早く種を飛ばし陣地を広げる植物がいる。

江戸時代に観賞用として持ち込まれたと云われるセイヨウタンポポなどその代表格で、今や二千mを超す山頂でも見かけることができる、私が物心ついたころから普通に目にしていてとても外来種とは思えない

多分にそれは、私からみると彼らはいつも“人間の行為に抵抗なく折り合いをつける習性がある”のだと思う。要は生き続けるためである。

オオバコもそうで、山の天辺から市街地の隅々にもしっかり繁殖している。只タンポポとは対照的に、容姿は非常に地味目立たないが、こちらは立派な在来種で、繁殖力の強いと云われる外来種と対等に闘っているように見える。

近年「これも食べられるの!?」と、知らない人も多いが立派な山菜で、5,6月ごろのものは柔らかくておいしく、優れた薬効もある。

栄養不足だったのだろう、むかしはいつも青っぱなを垂らしている子供や、頬におできなどの吹き出物を作っている子は多かった。汚い話で申し訳ないが、それが日常だった

チリ紙も満足になかったので、大人は手鼻をかみ(指で鼻を片方ずつ押さえて穴をふさぎ、いよく鼻汁を飛ばす手法)、どこにでもあるオオバコの葉をちぎって鼻の縁に着いた汚れをふき取り子どもも鼻をかむのはもっぱらオオバコの葉(女の子がやっているのは見なかった気がする)、で、仕上げに袖でふき取るもんだから、当時の男の子の服の袖はこびりついた鼻汁でいつもピカピカで、赤くかぶれた二本線が鼻の下についていたもんだ。

吹き出物が出来ると、祖母はストーブの上で炙ったオオバコの葉を、「こっちへ来い」と呼んで吹き出物の出た頬にペタッと貼る、するとひと晩もすると吹き出物は小さくなり痛みも収まった。

孫が幼いころ、よく外で焼き肉をした。と、必ずと言っていいほど虫に刺され、“痒い痒い”と、赤く腫れたところをボリボリと掻きむしる。

傍らのオオバコの葉をちぎってもみ潰し、患部にこすりつけてやると、程なくして痒みも腫れも収まる。それからというもの虫に刺されると、「じいちゃんの虫刺されの薬」探して自分でこすりつけていた。

 

もう孫が、「虫に刺された」と草むらを探す姿はとんと見なくなったが、きっといつかまた役立つ時が来るぞ!!

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第359話「わたし的とかちの植物嗜考・タンポポ」

―おなじ生きもの-

5歳まで育った我が家の、1キロほど先に見える標高330㍍ほどの山、雲がかかると雨になる―と、大人たちは“雨山”と呼んでいた。

 

ある日の夕方、雨山の鞍部になった向こう南斜面に小さな畑を持っていた隣家の小父さんが、畑作業を終え馬車で戻ってきた。荷台に座っていた長女が、手にしたたくさんのタンポポを上に掲げて「これ食べられるタンポポなんだぁ―」。

道端で遊んでいた我らガキどもは、「苦いべぇー」

「だから苦くないんだって」と得意げに一本を引き抜くと齧った。端の食べ残しをもらって齧ると、本当に苦いどころかほんのりと甘さを感じ、みずみずしくて旨い。

「どこで採ったのよ」…「秘密だ!」

チェ、一人が口を鳴らし〈あいつはいつも独り占めして見せびらかす〉我々は早速道端や家の周りを探し回って、ちぎっては齧り“苦い”を連発。なんぼでもあるのに、どれもこれも苦くて、あのみずみずしくて甘みのあるタンポポには巡り合わないのだ。

数日ご、「きっとあいつ家の畑にあるのだ、行こう」。

雨山の丘陵地帯は、西方向に緩やかにポコポコと日高山脈のすそ野まで続き、一番低くなったところに、山を越えて南側の向こうへ抜ける山道がある。

燐家の畑はそのどこら辺にあるのかは分からない、が、「大したことない、半日で帰って来れる」と3人は出かけた。

砂利を敷いた麓までの真直ぐな道は、小さな小川を渡るとササが覆う地面に、馬車の行き来でついた道に変わり、ぐるっと左に曲がり上り坂になって薄暗いカシワ林の中へと続く。

轍の真ん中の盛り上がったところに、列をなしたタンポポが奥へつづいている。

しかし齧ると、採るもの全部苦く、そのうち苦みエグミで口の中が変になってきた。

笹藪でガサゴソと音がする。3人は、音のする方を見て顔を見合わせる、が誰も話さない。

一月前、麓で放牧の羊が死んでいるのが見つかった。

「羆だ!!成敗しないとまた来る」と大人たちが、村田銃を手に山狩りをした。

3人ともその時の、抉られて血のにじむ赤い肉と白い骨が浮き出た羊の背中が、頭に浮かんだのだ。無言のまま踵を返すと、走るようにして戻った。

 

それが在来種のエゾタンポポで、20年もたって海岸線で撮影をしていて見つける。探すと、小さな集団は見える、が、セイヨウタンポポに比べると、もはや風前の灯火。

見分け方は花の下のがく、反り返らず花に張り付いていること。

やはり混じりけのないものは弱いのか!?植物も人間も何も違いはない、同じ生き物なんだナ。

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第358話「私的とかちの植物嗜考・ギョウジャニンニク」

 

―近くて遠かった山菜に絡む惨事―

ギョウジャニンニクには若いころ、“○○〇ネギ!!”と侮蔑し、近くの河原になんぼでもあって旨いのに、格好つけて、―俺はこんなもの食わないぞ!!―と蹴飛ばして歩いた。

きっと、周囲の大人たちの話す一種の差別が、子ども心に焼き付いていたのだ。

それは総勢9人での、楽しい恒例の春のアメマス釣りキャンプ初日のことだった。

ひとしきり釣り終えて“昼飯はジンギスカン”と話がまとまる、で、「まだ釣っていたい」というふたりを焚火番に残し、二台に分乗した我々は、街へ肉の買い出しと旬の食材ギョウジャニンニクを採りと別れ、ベースキャンプ地を出た。

出て間もなく、残した若者ふたりのことが一瞬気になる、が、ギョウジャニンニクの話をしているうち、どこかへふっ飛んでしまった。

丘陵の沢縁に車を停め、ヤチダモの林に入る。ヤチダモの根元で数本、地表から5㌢ほど顔を出していたのをやっと見つけるが、こんなもんじゃ到底足りない。

ギョウジャニンニク、アキタブキは本州でも大人気の山菜。商売にする人の暗躍で一気に激減した。でも斜面、尾根と手分けしてやっとみんなが食べられるまで集めた。

意気揚々と、国道からベースキャンプ地への道へ入る、「あれ何だ???」一人が素っ頓狂な声を上げる。道の切れる先キャンプ地の方角に、黒いのろしがもくもくと空高く舞上がっている。そして近づくにつれ、くるくると回る赤色回転灯が見え、「あぁぁ…ぼ僕の車が」

一台の消防車の傍で防火服の消防士二人が、車体の半分は黒焦げのまだ燃え盛る乗用車に放水している。

近寄ると、消防士は容赦なく車体の隙間にガッ、ガンガン、太い金棒を力任せに突っ込む。と、ガリガリ、金属を切り裂く音とともにくの字に折ったボンネットをむりやり剥ぎ取り、火を噴くエンジンルームに放水する。

惨憺な状況を前に、涙目の車の持ち主は、唇をかみじっと見つめている。

ショックで過呼吸になったらしく、留守番の一人は傍らの草地に仰向けに寝かされ、粗い息遣いで目を瞑っている。やがて救急車が来て、ふたりは近くの町の病院へ運ばれ、入れ替わりにパトカーが来て「責任者は誰ですか!?」。

JAFが、見るも無残な車を運び出しひと段落、採ったネギを入れ焼き肉を始めるがしばらくは誰も口を開くことができなかった。

翌日、病院から戻った二人気が付くとすでに枯草に着いた火は広がり、何とかもう一台の車を非難させ、消防に電話。テントまで火が広がらないよう必死に守った」。

後日酒を手に、港町の交番と隣町の消防にお礼に行く、「野焼きしたようなもので大したことがなくてよかった、ただ車がねまた遊びにおいで!

それから数年経ち彼らと会う。「いまだ夜中にあの光景で目が覚める。」心に焼き付いてしまったのだ。

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第357話「私的とかちの植物嗜考・柏と舞茸」

―松茸は器用で…不器用なのは舞茸!?―

十勝の山菜とキノコのガイドブック発刊から28年が経った2009年、顧客「創業100周年事業で、“格を上げて”再版できないか!?」私「ね…願ってもいないことです。」

記念事業は5年後「初版は大方借り物の写真、時間は十分にある、すべて撮影しょう」と意気込んだ。

ところが2年ほど経っても撮影は捗らない。

発生のころ合いは分かっている、が、此処だ!!と目星をつけ探し回るが、空振りの繰り返しだったある時、偶然通りがかりに入った松林で、その年は豊作だったのか10種を超える、これまでにとったことのないキノコと植物一種を見つけ、そのご一月で30種も撮れたのだ。面白いもので、この時を境に好転。順調に撮影は進み、すると余裕も出てくる、「単なる図鑑的ガイドブックは沢山あって、面白くもなんともない。十勝の文明、文化も織り込む風土記本にしたい」と欲も出て、芽出から結実期と生育の景、あろうことかその陰で増え続ける人間様の不法投棄の様子と、構想はそこそこの物語になっていった。

4年目に入っても、相変わらず自生する“松茸”の写真は撮れなかったが、採ってくる人は沢山いて、現地で撮らせてもらうと、それはそれで臨場な場面となった。

しかし、もう一種多くの人を引き付けてやまない“舞茸”をなんとか撮りたいものだ―と思い願っていたが、仲間は「まず無理でしょう」。

その年のお盆過ぎ、足寄から螺湾経由でオンネトーへ抜ける。穏やかな天気に誘われ、雌阿寒岳に登る。ハイマツ帯のガレ場で、昼食をとり遠くの湖と山腹を埋め尽くす濃い緑のハイマツの中のあっちこっちで、ポツンポツンと赤や黄色と色とりどりの帽子が出たり引っ込んだりするのをぼーっと眺めていた。大方の登山者は松茸狩だ。

足元からずうっと下に続くガレ場を、巨体を左右に揺らし真っすぐこっちに這うように登ってくる人がいる、はぁはぁ、私の前でしゃがみあえぐ。チョコレートを差し出すと二つ三つ口に入れ、ようやく落ち着く。一息ついき、地元で“松茸採りだ”と云う彼に私、「駄目だと思うけど…舞茸の出るとこを知っていますか!?写真を撮りたいのだけど」。彼、「あぁいいょ!50か所ほどあって、もう一月もすると出るから、電話したげるワ」。と事もなげに云った。

が、一月経ても連絡はなく、どちらかと云えば器用に生きて来た仲間は「来る訳ないしょ」。

半ば諦めかけたその夜は雨、「○○だけど、明日朝来られる!!この雨で流れるから…」彼からの電話で翌朝駆け付けると、丘陵の谷を抜けようやく上り着き、大きく肩で息する彼の指さす先には、切倒し朽ちかけた巨大な柏の根元に、どどぉんと、ひとりじゃ持ち上がらない立派な舞茸があった。

無事発刊のガイド本は、大きな舞茸を抱く彼と仲間の写真が一層本の存在を高めた。

生息域を、年々着実に拡げている松茸。多くが柏の巨木としか共生できない舞茸は、柏とともに減ってきている。

人の好い、不器用な彼、私にはどうしても重なるのだ。

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