仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

ドクタークラブ便り  対米沢市医師会戦 2007.7.29

2007-07-30 | 2007年 対米沢市医師会戦
 とき  平成19年7月29日(日) 
 ところ  ウェルサンピアみやぎ泉 
 天候 曇り  気温 23℃  

「今年は空梅雨」と嗤った声が天に聞こえたのであろうか。7月に入って日本列島は超大型の台風4号と新潟県中越沖地震に続けざまに襲われた。ブロック対抗野球も山形市医師会戦も雨のため中止となり、ドクタークラブにとってはほぼ2ヶ月ぶりの試合である。米沢には去年アウエーで19―3と大勝(5回コールド)しており、さらに米沢は7月1日に山形市医師会との試合で場外ホームランを浴びた末、2―23と大敗したとの情報までもたらされ、ベンチには試合前から楽勝気分が漂った。

昭和52年に始まった仙台と米沢の対戦は今回で31回目となる。昨年までの戦績は、仙台の17勝8敗1分4中止である。昭和61年の第10回戦以降一昨年の第30回戦までは、仙台での試合は仙台の9勝0敗、米沢での試合は米沢の6勝1敗と、圧倒的にホーム有利となっていたが、昨年はドクタークラブが久々に敵地で大勝したのであった。

午前8時、仙台は突然の雨に見舞われたが、集合時間の9時半までにはなんとか上がった。気温は23℃。ここ5日間は連日30℃を越す真夏日だったので、ちょうど良いお湿りとなった。

今日は珍しく松井、花田、安藤の3枚看板が揃っている。阿部精太郎監督は3投手による2回―2回―3回の加齢な、いや華麗な完封継投を考えた。勝利監督挨拶の文案もすでに練ってある。一方、米沢の先発は篠村。甲子園にこそ出ていないが、元山形東高校野球部のエースである。昨年の大敗の汚名を雪(すす)ぐべく、遥か山形県立河北病院から召集されたのである。

篠村の120km台の速球は、最初とても打てそうに思えなかったが、目が慣れた2回裏、安藤、花田、宮地がそれぞれレフト前、センター前、ライト前に打ち分け、2点を先取した。さらに3回は無安打ながら相手の3失策に乗じて2点を追加、4対0とした。

ド・クは監督の構想通り、松井が1,2回を、花田は続く3回を完璧に抑えた。これは本当に完封できそうだと、ベンチが左手にウチワを持ちかけた4回表、突如米沢の猛攻が始まった。1死後、篠村がレフトへの2塁打で出ると、死球、内野安打が続き、浮き足立ったド・ク内野陣がタイムリーな3失策を犯してあれよあれよという間に5点を献上してしまった。

しかし5回裏、ド・クは気落ちすることなく板垣のライト線への3塁打を足がかりに、2点を取り6-5と再逆転した。この回、米沢の横山捕手がバックネットにパスボールを追いかけた際、右足が地面とネットの隙間に挟まり、動けなくなるという椿事が発生した。乱闘でもないのに全員がベンチから飛び出し、そろそろと足を引っ張り、ようやく5分後に救出された。怪我のなかったことは幸いであった。野球では何があるか分からない。やはりレガースは大切である。

最終回。1点リードでの守備は嫌なものであるが、内野ゴロ二つを無難に捌き、2死走者無しとなった。米沢の抵抗もここまでと思われ、ベンチは用具の片づけを始めた。しかしドラマはここからだった。続く早川が意地のレフト前ヒット。好打者篠村を迎え、いやな感じが漂うも、安藤は果敢にインコースを攻め、打球は3塁へのボテボテのゴロとなった。今度こそ試合終了と思われた刹那、サードから1塁への送球が低投となり、しかもカバーリングもなかったためボールは広いファールグランドを転々。1塁走者が長駆生還し同点。打者走者も3塁に進めてしまった。勢いづく米沢。続く8番横山のゴロはセカンド強襲ヒットとなり、ついに6-7と逆転された。

7回裏、ド・クも最後の粘りを見せ、快打を飛ばしたが、いずれもセカンド、センター、ライトの正面を突く不運が重なり万事休した。9分9厘勝っていた試合であったが、八戸戦同様、詰めを誤り、安藤には気の毒な今季2敗目がついた。記録上、失策は双方6個ずつだったが、ド・クには失策もどきがさらに3個あり、それがタイムリーに出たことが敗戦につながった。

イニング 1 2 3 4 5 6 7   計
米沢   0 0 0 5 0 0 2   7
ド・ク   0 2 2 0 2 0 0   6

表彰式は2時から江陽グランドホテルで行われた。松井仙台市医師会副会長のいかにも元気のない開会宣言の後、山形の平井庸夫監督が笑いを噛み殺しながら逆転勝ちの喜びを述べた。ド・クの打者はミートが上手く、あの篠村が三振を3つしか取れなかった、と持ち上げたが嬉しくも何ともなかったのである。米沢は先頃山形に大敗し、猛発奮して今日の試合に臨んたのだという。ド・クには油断があったようである。

優秀選手賞は山形の篠村投手、横山捕手、早川一塁手に贈られたが、今日の米沢のキーマンは敢闘賞の堀内二塁手であった。小柄で風貌は坂○利○か鈴○宗○似、動きは緩慢で捕球も送球もこの上なく危なかしく見える。しかしこの堀内が、右狙いに徹したド・ク打者の痛烈な当たりを次々と好捕したのである。恰も1,2塁間に聳え立つ壁のようであった。平井監督にしてみれば想定外の働きであったろう。5回裏2死3塁で、矢野の凡飛を落球してド・ク逆転のきっかけを作ったが、終わってみればそれも愛嬌ということになる。

ド・クのご意見番、菊地(哲)は、敗因は監督の采配ミスですな、と論評した。4回表、4-3と1点差になった時点で、阿部は投手交代を告げにマウンドに歩きかけたが、なぜか引き返してきた。「ま、この回だけは花田に・・・」と呟いた直後に4点目、5点目を取られたのである。一手早くエース安藤を投入していれば浮き足立った人心も安定したと思われた。振り返ればここが勝敗の分水嶺であった。常勝監督にも時に魔が差すようである。

逆転負けは痛いが、鳥瞰すれば、盛岡医師会、弘前医師会のように気息奄々のチームに時として取りこぼすのはド・クの伝統でもある。塩を贈られたチームはしばし気力体力を回復することになる。阿部が練ってきた勝利監督挨拶の文面は次回に回されることになった。

今回で対戦成績は仙台の17勝9敗1分4中止となった。米沢市は人口約93,000人、医師会員130余名。仙台市は人口100万人、医師会員は1600名超といずれも10倍を越える。米沢が1点取る間に、仙台は10点取ってもおかしくないのである(?)。そう考えるとこの成績は米沢が大健闘しているとも言える。

昨年先発して敗戦投手になった米沢の大道寺は首の痛みもあって、今日は登板しなかった。7月1日の山形戦で特大の場外ホームランを浴び、心も痛かったようである。大道寺によれば、米沢チームはド・クを「宿敵」と位置付け、毎日「仙台ドクタークラブ」(http://blog.goo.ne.jp/doctorclub/)にアクセスして情報を収集、ド・ク攻略の秘策を練っているというから油断ならない(うっかり米沢の悪口も書けない)のである。

名残は尽きなかったが、逆転勝ちの喜びと賞品を土産に米沢ナインは3時半にホテルを後にした。米沢に着くまで、車中は祝勝会の続きとなろう。広瀬通はいつの間にか本降りになっており、午前中試合が出来たのが奇跡のように思われた。ド・ク部員達はここで散会し、涙雨の中を参議院選挙の投票に向かった。

梅雨明けはついに8月にずれ込んだ。今年はサムサノナツニオロオロ歩かねばならないようである。

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【フルスタ宮城でオールスターゲーム開催】

台風、地震直後の7月21日、オールスターゲーム第2戦がフルスタ宮城で開催され、全国に元気を発信した。仙台でのオールスターゲームは1992年以来、15年ぶりのことである。楽天イーグルスからは、本塁打・打点の目下2冠王の「おじさんの星」山崎武(38歳)、前半戦7勝を上げたルーキー田中将大ら7選手が出場、全国に顔をお披露目した。両リーグを通じ最多得票の山崎はパ・リーグの4番に座り、先制の2ランホームランとライトフェンス直撃の二塁打を放った。田中は2回に6連打を浴び6失点を喫したが、全セの強打者に直球勝負を挑んだその意気やよしとしたい。東北高校出身のダルビッシュ有、日大山形出身の栗原健太も大活躍し、地元ファンを大いに楽しませた。

ちなみに1992年のオールスターゲームも同じ7月21日、旧宮城球場で第3戦として行われた。大魔神・佐々木主浩が清原和博に全球直球勝負を挑み、右中間スタンドに運ばれた試合である。槙原寛己、駒田徳広、北別府学、達川光男、赤堀元之、石井浩郎、大久保博元、伊東勤らの懐かしい面々が活躍した。それから15年。選手達の顔ぶれはガラリと変わってしまった。同じ1992年のドクタークラブ便りを見ると、阿部、鈴木、須藤、松井、佐藤(韶)、浅沼(孝)、浅沼(達)、五十嵐、白根、浅井、伊藤(敏)、内山、猪股、大友、菊地(哲)、伊藤(幸)、菊地(徹)、遠藤、瀬戸らの名前が並んでいる。このうちの半数以上がいまだに試合に出てくることに感動を覚えずにはいられないのである。

【進化する道具たち】

先日スポーツオーソリティー中山店を覗いたところ、「魔法のグラブ」が売り出されていた。ミズノ製の「軟式用フィールディングマックス」である。回転のついた軟式ボールはグラブの中で跳ねやすく、ファンブルの原因となる。このグラブは内側の親指、中指、薬指、小指の4箇所にウレタン性の鷹の爪のような突起が付けてある。この突起のおかげでボールの回転が止められ、飛び出しがなくなるという。球を捕ったはいいが取り出しにくいのではないかと考え、実際店頭で試してみたところ、問題はなかった。中学校、高校の公式試合では使用できないが、握力の衰えを感じるプレーヤーにはお勧めである。

ミズノは2002年に「飛ぶバット」ビヨンドマックスを売り出した。手で触っても変形するほどの柔らかい素材(エーテル系発泡ポリウレタン)を使用しており、スイートスポットを指で押すと、数ミリへこむ。実験データでは、従来の金属バットより、8%も反発係数がアップしたという。ドクタークラブでは高橋寛がこのバットを使っているが、残念ながらこれを使って大飛球を打った場面は見たことがない。ジャストミートしないと凡飛、凡ゴロになりやすいようである。ただジャストミートしても打球音は「ボコッ」なので、外野手に飛距離の判断を誤らせる効果は十分にある。

ローリングスは「H-Zone」という、ビヨンドマックスよりも飛ぶというバットを出している。ボールの真芯を外してもエラストマーという新素材が変形して「壁」をつくり、(ポップフライ、ゴロになるはずの打球が)ライナーになるという(ほんまかいな?)。またウィルソンが発売した「ディマリニF2」は、ゴルフのドライバーと同じで、シャフトをしならせてヘッドスピードを上げ、打球の飛距離を伸ばす」と宣伝している。この二つはまだ試打経験がない。

ボールに関しては、全日本軟式野球連盟(JSBB)が平成18年度から新しい規格を定めた。表面形状が従来の楕円形ディンプルから小円三角形を組合わせたシンプルなデザインになったため空気抵抗が減少、揚力が増加して飛びやすくなっている。投手は変化球が投げやすく、ゴロはバウンドが素直になったようである。

  これらの進化した道具を取り入れることで、ドクタークラブの野球も一層のレベルアップが期待される。(=加齢に伴い体力の低下が顕在化した症例にあっては、道具に大枚をはたくことで、1,2年ほどは人目を誤魔化すことが可能な場合もある。)

             文責 宮地辰雄

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