仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

ドクタークラブ便り  第6回 三医師会親善野球大会 

2005-07-07 | Weblog
 とき  平成17年6月11日(土)~6月12日(日) 
 ところ  つがる克雪ドーム(五所川原市)
 天候  雨   気温 19℃
弘前藩は公称10万石であるが、未開であった津軽平野の新田打ち出しにより実高は30万石を超えていたと推定される。城下は日本有数の豊かな町である。市内に保存されている武家屋敷はサワラの生垣と黒い薬医門を特徴とする。弘前城の天守閣は東日本で唯一現存するもので、岩木山とともに弘前の人々の心の原風景となっている・・・紀行文を書いている場合ではなかった。われわれは優勝しに行くのである。弘前まで4時間のバス旅と、「熱烈歓迎」の衣を被った前夜祭のアルコール攻撃に耐えて、翌日の試合に望まなければならない。
この大会も今年で6回目となる。1,2回目は八戸が、3,4,5回目は仙台が優勝している。今回は唯一優勝経験の無い弘前のホームゲームである。今年を逃すと優勝はまた遠ざかり、チームの衰亡が懸念される。仙台はもちろん4連覇を狙う。今回優勝すれば来年はホームであり、5連覇が見えてくる。一方八戸は今回勝って、優勝回数で仙台に並びたいと考えている(はずである)。
前夜祭はホテル・ニューキャッスルにおいて定刻に始まった。弘前市医師会玉田友一理事の開会の挨拶に続いて、田村瑞穂弘前市医師会長から心温まる歓迎の挨拶を頂戴した。応えて土井三乙八戸市医師会長と佐藤勤仙台市医師会副会長が祝辞を述べ、今村憲市弘前市医師会副会長の音頭で乾杯となった。
アトラクションには、鯵ヶ沢甚句と津軽じょんがら節が披露された。小学生のりんご娘5人による手踊りはリズム感に富み、何とも可愛らしいものであった。さらに弘前市医師会有志による勇壮なえふり太鼓の演奏が行われた。いずれも弘前の人々の郷土に対する愛情と誇りが伝わってくる素晴らしい演目であった。
宴たけなわで登場した弘前のケーシー高峰こと鳴海康安は今年も舌好調であった。伊達62万石を褒めたと思えば、人口100万の仙台チームは、合併してようやく19万人の弘前に勝って当然とプレッシャーをかけた。また青葉城には銅像しかないが、弘前には城と堀が現存し、桜祭には今年275万人が訪れ、ついに博多どんたくを抜いてNO.1となった、道州制が敷かれた暁には東北の中心は弘前が担う予定である、と高らかに謳った。
続いて、1986年のNHK大河ドラマ「いのち」のモデルにして弘前の太陽、前田慶子が登壇し、毒、もとい独演会が始まった。多忙な前田は産婦人科支部総会と山本富士子トークショーをキャンセルしてこの会に出席したという。昨年よりパワーアップしたボディアクションとどこまでもヒートアップしていく演説に、聴衆はあんまり笑いすぎて話の内容を忘れてしまったほどである。「出身県でわかる人の性格・県民性の研究」(岩中祥史著・草思社)によると、弘前の人は陽気でおしゃべりだが、強情なので周囲と摩擦を起こしやすい、とある。このお二人にあてはまるというわけではない。ついでにいうと、八戸の人は無口でおっとり、仙台衆は目立ちたがりで諦めが早い、のだそうである。
前夜祭終了後、外は強い雨であった。出席者はタクシーに分乗して鍛治町の2次会場に向かった。ここに千田仙台市医師会長が駆けつけ、「長崎は今日も雨だった」を朗々と歌い上げ、万雷の拍手喝采を浴びた。昨年4次会まで連れ出されて臍を噛んだエース松井は、今回は2次会までで自重した。
翌朝、バスは新緑美しいアップルロードを通り、五所川原市に向かう。つがる克雪ドーム(通称「ほたてドーム」)は平成14年に五所川原市に完成した全天候型多目的ドームである。延べ床面積3700坪、野球場としては両翼86メートル、中堅85メートルの広さを有する。豪雪地帯の人々に年間を通じてスポーツ・レクリエーションを提供する目的で総工費50億円を投じて建設された。さらに年間維持費1億5千万円を計上しているという。「克雪」のネーミングに人々の心意気が込められている。津軽平野は今日も雨だった。ドーム球場の面目躍如である。
今回はアウエーでの無観客試合。北朝鮮とのワールドカップ予選を思い出す。選手の掛け声がはっきり聞こえ、ボールを打つ音が銀傘に大きく反響する。いかにも野球をしている実感があるが、フライは捕りにくい。練習中からドスの利いた檄を飛ばしているのはどこの監督であろうか。
■第1試合 仙台対弘前
弘前・三国谷と仙台・松井両エースの投手戦となった。1回表、仙台は三国谷を攻め、2死1,2塁のチャンスを作ったがあと1本が出ない。その裏松井は3者連続三振と素晴らしい立ち上がりを見せた。3回裏、弘前の攻撃。1死2塁から9番打者の打ち上げた飛球を1塁手が落球。すぐ拾って1塁に送球したが、カバーに入った2塁手が打者走者と交錯して落球。さらにホームに悪送球して1点を献上し、これが決勝点になってしまった。仙台打線は阿部の2安打のみに抑え込まれ、被安打3、与四球1と好投した松井には気の毒な敗戦となった。
■第2試合 八戸対弘前
第1試合に勝った弘前には初優勝の幻影がちらつき始めた。優勝経験のない悲しさか、前試合完璧だった弘前の守備陣が金縛りになる。初回、失策と四球で走者を出したところで2安打を浴び、八戸に3点を取られた。前年3対12で大敗した記憶がよみがえる。ところが、ここでタバコを吸い終わった「弘前の太陽」前田慶子がベンチに戻って状況は一変する。背番号100はベンチ中央に陣取り、ドスの利いた檄を飛ばし始めた。檄は銀傘に乱反射してドーム全体に反響する。弘前ナインはこれに鼓舞され、逆に八戸ナインは激しく動揺した。3点を取られたその裏、弘前はすぐさま2点を返し、その後立ち直った三国谷は八戸に追加点を許さない。4回裏、黄川、三国谷の連打でついに3対3の同点に追いついた。しかし5回表、八戸はリリーフ佐藤から3四死球で1点を取り、再び1点をリードした。そして八戸は余力のある長谷川に代えて秘密兵器・田中をリリーフに送った。田中は弘前大学時代、投手として東医体の準硬式野球に出場し、4連覇したというプロ中のプロである。投球練習では140キロはあろうかという速球がビシビシと捕手のミットに決まり、弘前の健闘もここまでと誰しも思った。しかし野球はわからないものである。プレーボールとなって打者が打席に立つとまったくストライクが入らない。それも全球ホームベースの1メートル手前でワンバウンドし、球速があるためキャッチャーが補球できない。これは硬式の投手が軟式球を投げる際にしばしば見られる現象である。田中は結局2四球、3ワイルドピッチの末あえなく降板。ここで再びマウンドに登った長谷川から3番小原がレフト前ヒットを放ち4対4の同点。八戸は4番佐藤を敬遠して満塁策をとったが、すでに流れは弘前にあった。続く5番黄川が初球をセンター前に弾き返し、3塁走者小原を迎え入れ劇的な逆転サヨナラ勝ちを決めた。ここに「前田慶子の目の黒いうちに弘前に優勝旗を!」の悲願が現実のものとなった。弘前ナインはもちろん、事務局職員全員の目に大粒の涙が光った。
■ 第3試合 仙台対八戸
弘前の初優勝が決まり、消化試合となったためか、のびのびした打撃戦になった。仙台は初回浅沼、佐藤(韶)の連打で幸先良く1点を先取。しかし、その裏八戸は打者一巡の猛攻で5点を奪った。還暦を迎えた松井に連投はきつい。第2試合の間、肩が冷えたことも影響した。八戸はさらに2回裏、4番田中の柵越えの満塁本塁打で4点を追加。2対9となり、勝敗は決したかと思われた。しかし仙台は4回表、2四死球に5安打を集中し、5点を返し7対9とした。最終回には秘密兵器・鈴木カツ子を代打に送る奇襲を見せたが、反撃もあと一歩及ばなかった。
球場近くの温泉で行われた表彰式では、苦節6年の勝利を喜ぶ弘前ナインの姿が涙を誘った。6年といえば、一人の医者が出来上がる星霜である。弘前市医師会員のみならず市民の歓喜はいかばかりであろう。これでひとまず弘前チームの衰亡問題、ひいてはこの野球大会の存続の危機が回避されたことは喜ばしい。
会の最後に恒例の前田慶子賞が贈呈された。仙台では千田会長、鈴木カツ子、宮地が受賞した。会長はこの大会への長年の貢献が、鈴木は野球における男女出場機会均等法制定に努力している点が評価された。宮地に対しては「ドクタークラブ便り」執筆になお研鑽するようにとの叱咤激励であった。この賞をもらうと寿命が3年縮む、いや延びると言われている。
賞の贈呈が終わると、連日の前田慶子独演会になった。「千田会長の叙勲祝いに呼ばれなかったのが悔しい」、「仙台チームは去年3勝5敗、今年はこれで1勝4敗。チーム力の陰りが顕著である。」と舌鋒は鋭く仙台に向けられた。その記憶力は今なお驚異である。背番号100は、100歳まで生きる宣言と見た。悲願は成就したが、弘前の太陽はまだまだ沈みそうにない。
帰途、2日間降り続いた雨が上がり、車窓に岩木山が端正な姿を現した。・・・弘前に愛をありがとう、3年後にまたおいでなさい・・・と微笑んでいるような気がした。
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前田先生からいただいた手書きの賞状は額に入れて、医師免許証の代わりに待合室に掲示しました。毎日患者さんが興味深げに見上げています。大会を準備してくださった弘前市医師会の先生方と三医師会事務局の皆様に仙台ナインを代表してお礼を申し上げます。来年は仙台でお待ちしております。                            
  (文責 宮地辰雄)