多分、反発されることでしょう。
今から書くことに対して。
なぜならば、高齢者を誹謗するから。
今日、地下鉄で、座っていた70代と思われる女性が、途中で乗ってきたおそらく幼稚園児と思われる女の子とそのお父さんに向かって、
「お嬢ちゃん、はい、こっちにきて座って!」と言いながら席を立った。
僕がこの行為を醜いと言う理由は以下の通り。
①今の日本の家庭教育がダメになった最大の理由がここにあるから。家庭教育がダメになったのは、今の若い親のせいではなく、この高齢者の行為や考え方にある。例えば、幼稚園児にお年玉を1万円もあげるバカじいさま。貨幣価値をゆがめ、労働の対価という、つまりお金は大事であり大切なことという価値観を乱している。この席をたつ行為も。お年寄りを大切にするということと、子供を甘やかないという従来の日本の価値観を崩壊させる行為そのものだから。
②自分たちのしている行為を「ほほえましい」と思いこんでいること。間違いに気付こうともせず、また、その父親のしっかりした教育態度をなじるような目で見つめる。父親は立派だった。「子供は立っていようね」そう語りかけていたから。たかが地下鉄だ。始発から終点まで乗ったとしても1時間もあるまい。それくらい立っていなきゃ。今の子供はただでさえ「遊び」の中で体力を形成することが少ないから。「ドロケイ」で走り回り、自然に体力を・・・ということが無理な世の中だから、せめて日常生活にそれを求める親がいることはホットするひとこま。それをぶち壊す、高齢者。
いったい、あの年齢までなにを学んできたんだろうか?
かばうとすれば、戦争でまともな教育を家でも学校でも学べなかったつけだろうか。
今の家庭の乱れは、その親が全責任を負うものでなく、その祖父母の世代に求められることが多いかもしれない。
だからこそ、あえて高齢者に物申さねばならないのだ。
反発を承知で。
異論反論を待ちます。
今から書くことに対して。
なぜならば、高齢者を誹謗するから。
今日、地下鉄で、座っていた70代と思われる女性が、途中で乗ってきたおそらく幼稚園児と思われる女の子とそのお父さんに向かって、
「お嬢ちゃん、はい、こっちにきて座って!」と言いながら席を立った。
僕がこの行為を醜いと言う理由は以下の通り。
①今の日本の家庭教育がダメになった最大の理由がここにあるから。家庭教育がダメになったのは、今の若い親のせいではなく、この高齢者の行為や考え方にある。例えば、幼稚園児にお年玉を1万円もあげるバカじいさま。貨幣価値をゆがめ、労働の対価という、つまりお金は大事であり大切なことという価値観を乱している。この席をたつ行為も。お年寄りを大切にするということと、子供を甘やかないという従来の日本の価値観を崩壊させる行為そのものだから。
②自分たちのしている行為を「ほほえましい」と思いこんでいること。間違いに気付こうともせず、また、その父親のしっかりした教育態度をなじるような目で見つめる。父親は立派だった。「子供は立っていようね」そう語りかけていたから。たかが地下鉄だ。始発から終点まで乗ったとしても1時間もあるまい。それくらい立っていなきゃ。今の子供はただでさえ「遊び」の中で体力を形成することが少ないから。「ドロケイ」で走り回り、自然に体力を・・・ということが無理な世の中だから、せめて日常生活にそれを求める親がいることはホットするひとこま。それをぶち壊す、高齢者。
いったい、あの年齢までなにを学んできたんだろうか?
かばうとすれば、戦争でまともな教育を家でも学校でも学べなかったつけだろうか。
今の家庭の乱れは、その親が全責任を負うものでなく、その祖父母の世代に求められることが多いかもしれない。
だからこそ、あえて高齢者に物申さねばならないのだ。
反発を承知で。
異論反論を待ちます。
ジャンゴさんの記事に対して異論反論は、まったくないけど
私は、こう考えます。
多分・・・自分が”親”のうちは、子供の学費や生活費など稼ぐ為に
自分の子供に対して、親らしく接してあげられなかった・・・。
本当は、子供が好きなのに、いざ自分の子となると、厳しく接してきてしまった等々・・・。
子育て真っ最中の時に、子供に優しく接することができなかったそんな人達が、一世代空いて、色んな意味で心にも経済的にも余裕ができたいまだからこそ、自分の子供にしてやれなかった事を、孫や幼い子供達にしてあげようと・・・そして、自分なりに昔を少し償っているような・・・
そんな風にも思えてしまうんです。
実際、私の母は教育なのか気分なのか、未だに疑問ですが
必要以上に、私達、子供に対して厳しく
子供の意見なんて、家の中で通ったことの記憶なんてないし、
旅行にも、ほとんどと言っていいほど連れていってもらった記憶がありません。
お小遣いも、母からもらった記憶はありません。
そんなとき、いつも話を聞いてくれたのは、祖母でした。
お小遣いを、母に隠れてくれたのも、祖母でした。
私は、それを悪用するでもなく、
祖母に対して、優しく接することができたと、
今でも、祖母には感謝しています。
もしも、私にほんの一時でも優しく接してくれていたあの祖母がいなかったら・・・
もしかして、私は、実母を・・・包丁で刺していたかもしれません。
何度も包丁を持って見つめていた記憶があります。
幼いながらに、虐待されているのでは??と、
疑問に思ったこともありました。
でも、今になって自分に子供ができて思うのは
かわいいのとは別に、やはり、将来のこと、世間の目
色々と気にして子供に厳しくあたってしまうところも多々。
それに付け加えて、私の実母は7人兄弟の末っ子で
本当に甘やかされて育ってたようなので、
実のところ、子育てなんていうものに
あまり、興味がなかったようです。
でも、今は・・・
私の子供達・・・ようするに、彼女の孫達には
溺愛し、
そして、私が子供達に厳しくする・・・と、いった
逆転になっているわけです。
でも、これでいいんじゃないかなぁ~と。
子供達にも、逃げ場があるから
日々の私の口うるささにも
耐えられるのでは・・・?
そんな風に・・・思うのです。
子供には、
「電車やバスで立っていようね」
と、私もいいます。
でも、きっとうちの母は、
電車で座っていて、目の前に自分の孫くらいの子がきたら
自分の孫とだぶって、
「おじょうちゃん、ここに座っていいよ」
と・・・
多分、言ってしまうでしょう。
そんな時は
自分の母の言葉だと思って・・・
そして、人生の先輩に恥をかかせないように
私なら、その時はその行為をありがたく
受け止めたいと・・・。
しかし・・・
自分の孫を溺愛するのは自由です。(本当はそう自由でもないけど・・・言葉のあやですが)
でも、やはり人として他人に対してもきちんと接して「大人」ではないか。
年寄りだけ、社会に対して甘えていい・・・ではなく、むしろ「大人」なんだからきちんと若い世代に生き方を示さなくてはいけない。
境遇には同情しますが、だからこそきちんと生きて、なんぼのもんです。
新幹線で未だにゴミを座席の下に捨てていくのは、高齢者・・・というモラルハザードぶりに通じるあやうい行動であると思います。