




フィギュアスケートのオリンピック代表に選ばれなかった時の弁に、
正にその人の人格が現れていて、恐ろしいと思った。
2枠取りに貢献した三原選手は、
【演技後は「感謝の気持ちを込めて滑った」と繰り返し、「五輪に今回出られなくても、次を目指して出られるように頑張りたい」と22年北京五輪をターゲットに定めた。】
3枠を2枠に減らした張本人である樋口選手は、インタビューで、自分を選ばなかった事を後悔させてやる、と言う事を言っていたと思ったら
Twitterで、「倍返しだ!」とは驚きだ。
3枠取れていたら、あの成績でも選ばれた可能性も有ったかもしれないけど、2枠に減らした上に、ジャンプでまたまたパンクしたのは全て自分の責任だと分かってないのかしら?!
16歳だから、ではない、16歳にも成って、自分のお粗末な結果が自分に降りかかって来ただけだと言う事も理解出来ないのは大問題である。
「口は禍の元」
自分の心の向きを、修正して欲しいと思う。
本当に上手くなって結果を出したいのであれば、不満を外へ向けて恨み辛みを言うのではなく、ダメだった自分を徹底的に反省して、2度と本番でミスしない様に練習する以外にはないのに。
反省とは、内向きにする事であって、外側へ向いた姿勢は「反省」とは言わない。
芸術家でもそうだけど、「練習」以外に実力を付ける方法は無く、それは、自分の欠点と真正面から向き合う事だ。
「重箱の隅を楊枝でほじくる」様に、これでもか、これでもか!と欠点修正に自分の全精力を向けて練習を重ねている時に、その力が外へ向く事など決してない。
そうやって、完璧に出来る様に仕上げて行ってさえ、本番には何が起きるか分からないもので、あれほど必死に練習してきたのに、あちこちミスしたりするのもなのだ。
本番への恐怖を克服するのに必要なのも、「完璧な練習」しかない。
練習に練習を重ねて、「本番の不慮の事故」に対する備えを万全にして、後は、自分を信じて、「運を天に任せる」しかない。
舞台上では、全く孤独で、誰も助けてはくれない。
精進をし続けていれば、神様が助けて下さる事はある。
実際、舞台上で助けられた経験が有るので、これははっきりと言える。
「無心で精進する」事を続けていれば、神と繋がる様に成っていく。
芸術家でも、スポーツ選手でも、精進してきた人は皆、神を自分で体験する様に成っていく。
貴乃花は、数少ない、そう言う人物であるから、邪悪な者の攻撃を受けてしまう。
しかし、最後に勝つのは、いつも「神」の方であるから、何も恐れる事は無い。
