2年ぶり
近所で開かれた患者会、患者といっても、正確には網膜色素変性症で目が見えなくなった見えづらくなった人たちの当事者会。網膜色素変性症な私デスペア。ほぼ全盲な視覚障害者の私。
2年ぶりにいってみた、2年ぶりに会う人が多くて、みんな一様に目が悪くなっていてびっくり。その当時はBCAAというアミノ酸を毎日飲んでいるからなんとか進行がおさえられているようだといってた人も、すっかり私と同じような目のの状態になっていた。私が40歳ぐらいで光ぐらいしかかんじられなくなったその状態に60になってなっていた。
網膜色素変性症はほんと症状が人それぞれ。70すぎて目が急に悪くなって落ち込んで絶望したりする人もいれば、私みたいに40ぐらいで目が見えなくなる人もいる。聞くところによると、網膜色素変性症の原因遺伝子変異は、200種類以上もあって、そのため発症時期、目が見えなくなる時期もさまざまのよう。
この病気を宣告されて、だんだん視野が欠けて、最後には失明しますといわれて、ほとんどの人が絶望する。大学生のころに宣告された人は、ショックのあまり大学を中退したとのこと。
私もまだ目が見えていたころは、いつか目が見えなくなることがすごく怖くて、自分が死ぬよりこわかった。というのも、目が見えなくなったら、自分が生きているか死んでいるかわからなくなるんじゃないかという不安もあった。
そして進行する病気、遺伝する病気ということで、恋愛や、結婚などをはやばやとあきらめてしまった。そのあきらめた時期と、その穴、絶望を埋めてくれたのがハロープロジェクトだった。中高生がアイドルに夢中になり疑似恋愛するというのとはちょっと違う関係性。なんていうか、自分がもてない、家族、子供。それらに対するいとおしいという感じ王をもたせてくれたのがハロプロだった。
元℃-uteの矢島舞美はよくラジオで、℃-uteファンの人は、どこかに生きづらさとかを持っている人がおおいと言っていた。
たしかに、そうだと思う。なにかをハローでうめているんだと思う。そして埋めているから何かお礼がしたい感謝をしたいということで、やれともいわれていないのに生誕祭サイリウム企画をしたり、遠征をしたりしているのだと思う。
この視覚障害者の私とハロプロについては、このブログを書き始めたころの記事をみてもらえればさらによくわかるとおもいます。
おそらく、若い人もこのブログを見ていると思う。いつのまにか中年になった私から若い人たちに言えることは。一言いうのなら。
網膜色素変性症の人にもっとたくさん会ってね、網膜色素変性症の人のリアルナ生活を知ってねってことにつきる。
人間が不安になったり恐怖を感じるのは、わからないから、予測がつかないから。予測がつけばほとんどの不安は消える。自分が将来どうなってしまうのかわからないことの不安が恐怖となる。
でも、必ず先輩はいる。同じようなけいけんをして、同じように悩み、同じように結婚をあきらめようとした先輩ががいる。その先輩に会って話をきたり、実際に接するのがおすすめ。
多くの網膜色素変性症の人は、平気で結婚をし、平気で子供をつくって、幸せに暮らしている。
もちろん、私の経験からいえば、結婚して、子供がいる網膜色素変性症の人は、結婚をして、子供ができたあとに網膜色素変性症だとわかった人がほとんど。
でも、遺伝子検査をすれば、自分の網膜色素変性症が子供に遺伝するのか、相当な確率でわかるようになっている。という私も3年ぐらい前に神戸愛センターで無料で遺伝子検査をうけた。
<a href="https://blog.goo.ne.jp/despair-rp-hope/e/a51d1a42be6925d48be26fec59b8f3fb">渡しにとっての網膜色素変性症の原因遺伝子が判明した。EYS遺伝子 はこちら</a>
私の場合でいうと、まったく同じ原因遺伝子をもっている女性と結婚した場合のみ、網膜色素変性症の子供がうまれる確率があるとのこと。それはとっても低い確率とのこと。
今思うと、子供に遺伝するという恐怖はもたなくてもよかった恐怖だった。
ちょっととまとめてみると
デスペア的網膜色素変性症の若い人たちへのポイント
1、年金はしっかり払っておくこと。 2、付き合う相手の要旨にあまりこだわらないこと 3、自転車、バイク、車は早い時期にのるのをやめること 4、結婚せず、ひとりで生きていくっていう選択肢もあるなーと思うこと 5、人としゃべること、外に出ること 6、2020年1月23日夜8時からのバリバラを見ること
6番目の今週のバリバラを見るのはおすすめ。 目が見えなくなって一人暮らしだとこんなわびしい生活をせざるをへないのかと思って、よし僕は結婚するぞと思えるだろうし、 目が見えなくなってもなんやかんやでおもしろく生きられそうだなって思えるだろうし 目が見えなって絶望しても、ささいなことに希望をみつけて生きていけるんだなっておもえるだろうし、 目が見えなくなっても、なんとかなるなと思えるのでぜひ見てね。
そして、時代がかわったのか、若いとき、私は網膜色素変性症であることをオープンにできなかったけど、今の若い新人類たちは、どんどんオープンんにしていっていてびっくり。オープンにすることで、周りの人に、配慮をもとめやすくなる、つまりは生きやすくなるのでおすすめ。
箱根駅伝の10区で区間新記録をつくった創価大学の男子大学生は、網膜色素変性症であることをオープンにしている。すごいね。
受容できる、網膜色素変性症とを早くから受け入れることができている彼はすごいね。彼に見習うべきだね。彼は小説も書くようだし、すごいね。私が彼ぐらいの年齢の時は、絶望のはじまりの年齢だったな。
1月23日木曜日 NHK Eテレ 夜8時からのバリバラで、中年男性の網膜色素変性症を見るか。
1月26日日曜日 夜7時30分からの NHK第2らじお 視覚障害ナビラジオ をきいて、箱根駅伝区間新の網膜色素変性症の若者の話を聞くか。
ねーえ?どっちなの?
ps 二十歳のころの私はそもそも網膜色素変性症という言葉を聞くこと自体さけていた、視覚障害の人がテレビでうつるたびに、チャンネルを変えていた。二十歳の私は、バリバラもナビラジオもどっちも断固拒絶するだろうな。もったいないなー。でもそれが私なんだなー。
このブログを読んでいる若いみなさんは、当時の私よりもすでに網膜色素変性症を受容できている、受容しようとしている。それだけで、すでにもう私の上をいっています。実にうらやましい。