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《書評》良いテロリストのための教科書 (外山恒一 著)

2018年06月20日 | 書評



タイトルは勇ましいが、内容は外山史観による新左翼史入門といった本。外山恒一氏の左翼に対する愛憎が、いい意味でバイアスになっており、面白さを際立たせている。新左翼の歴史というと内ゲバ、連合赤軍の70年代で終了…というまとめ方をするマスコミ情報が幅を利かす中で、この本は日の当らない80年代から今に至る新左翼運動の時代背景や日本的事情と離合集散まで描かれている。おかげで、なるほどあそことあそこが仲が悪いのはそういう訳かと腹に落ちる。あくまで外山氏の見方であるから人によっては反論もあるだろうが、一連の流れとターニングポイントがきれいに繋げられており、左翼に興味のある人は読んで損はない。私自身でいえば、ピースボートのポスターを見るたびに何とも言えない違和感があったのだが、この本を読んでその理由が分かった。無自覚なまま、日本型ポストモダンの影響を受けていたのである。

なぜ左翼が、「誰が一番の被害者か」「誰が一番被害者のことを理解しているか」という、被害者の地位の争奪戦という不毛なことをするのか、その理由も分かる。この辺りの、どうしてそうなったのかという歴史的経緯を知らないと、同じテーマを話しているはずなのにベテラン左翼と話が噛み合わないことがあるので、10代~30代の若手活動家や共産趣味者諸君はぜひ本書に目を通してほしい。

運動論や思想史として読んでも味わいがある。パヨク、ドブネズミ、へサヨを含めた3・11以前から活動を続けている連中は、最初から自分たちの運動が結局は資本に回収されるだろうという諦念があり、これが資本主義の枠内で自分たちが興味の持てる個別の主張や表現が実現できればよしとする、運動のポリコレ化を生んできた。外山氏自身は、そういった左翼的自閉空間からの脱出口として「ファシズム」に行きついたようだ。しかし、外山氏がいくらファシズムという外皮をまとったとしても、所詮新左翼のパロディでしかないドブネズミ活動家としての限界を超えられたわけでもない。この本の最大の意義は、そんな3・11以前の左翼や自称リベラルに導かれた3・11以後の社会運動の限界を明らかにしたことにある。3・11がもたらした現実が要求しているのは、今だ達せられざる“運動の刷新”なのだ。




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