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【書評】知価革命 (堺屋太一)

2019年02月10日 | 書評




一つの時代が終わりを告げてしまった今の日本において、新たな時代を指し示す道標が求められている。この本の初版は、1985年だが、2019年の現在においても古くなるどころか、その思想の新しさと先見性は際立っている。というより、日本社会が変わらなさすぎたというべきかもしれない。バブル経済崩壊以降、様々な問題を先送りし、目をつぶってきたツケが今の日本の状況を引きよせたともいえる。

本書の眼目は、古代、中世、近世という歴史の転換の原因を、土地やエネルギー源といった資源の増減サイクルに影響される人間の精神的変化にあると喝破した点にある。それは、今の時代にも当てはまり、現代文明の支えであった石油などの鉱物資源の減少により工業生産が停滞し、やがて人間はモノより精神性を重んずる知価社会を迎えると論証していく。時代的制約により知価の意味がブランド商品に矮小化されているため、その点で説得力に欠ける点がある。

しかし、2019年を生きる我々は知価の意味を普通の生活の中で実感できる。このブログも知価なのである。誰もが情報を発信する手段を持ち、情報を通じた交流のなかで新しい知識を創造する、その終わりのない無尽蔵な運動そのもが知価社会の在りようだと、解釈できる。またインターネットという情報交流手段が、全体と部分を有機的につなげることを可能にした。そのことが宗教という精神の殻に閉じこもり、地域ごとに分散孤立し停滞していた中世とは違う形の知価社会を作ることを予想させる。それは、王様や司祭、教祖、書記長、議長という中世的役割をまとう自称真理の独占者や冨の独占者による囲い込み無しに、民衆同士が直接交流することでまとまる事が出来る、自由と民主主義の調和した社会だ。

日本社会は工業に固執し、知価を経済の主流にすることなく、工業製品の付属物か子供のおもちゃの地位しか与えなかった。そのため、欧米に情報産業で大幅に遅れを取り、中国に工業生産で追い抜かれた。そして、工業社会の結晶であり、絶対事故を起こさないとされていた日本の原発は3機同時にメルトダウンしたのである。我々は今、工業社会の限界と、鉱物資源が有限な事を身に染みて思い知らされている。工業社会の延長=原発再稼働による問題解決では、この危機を突破できないどころか、更に傷口を広げていくだろう。脱原発を突破口にした、知価社会への移行に希望の芽があるのは明らかだ。巨大な文明の転換点に立ち会う我々にとってこの本は、脱原発の実現が歴史からの要請であることを認識させる。

ただ堺屋氏の晩年は万博成功幻想に呪縛され、堺屋氏本人が堺屋史観の進展を妨げたように思う。堺屋太一死すとも、彼の書いた「知価革命」は永く読み継がれる。