deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

24・野球

2008-05-12 10:05:02 | Weblog
 子供は、町中にうじゃうじゃといる。地域の小学校には、1200人もの児童が通っている。ひとクラスは40人以上だ。日本中、どの家庭もじゃんじゃんと子をつくり、次から次へと産み落とし、兄弟が二人、三人といるのはあたりまえだ。高度経済成長も手伝って、産めよ育てよ、増えよ繁殖せよ、の勢いだ。
 わがごぼぜこ通りの仲間たちにも、弟、妹がどんどんと生まれ、遊びに参画してくる。たちまちアタマ数がそろうので、これまでになかった文化的な遊び方ができるようになった。昆虫を相手にした野蛮人の遊び方から、人類同士で争う「ルール」を用いた遊び方に変わっていったわけだ。先輩、後輩、みんなでごぼさんの境内を駆けまわるうちに、自然とそんなルールは継承され、身についていく。鬼ごっこ、かくれんぼから、ダンゴとり、Sケン、ドロケー、そして缶蹴り・・・遊びの約束事は、単純なものから、徐々に頭を使うものへと発展していく。そしてオレはついに、町の上級生たちから、人類史上で最も複雑なルールを持つゲームを学びはじめた。すなわち、野球だ。
 ハンドベースといって、ゴムまりを投げてゲンコツで打ち、塁間を走りまわるのが初歩だ。ベースは一塁と二塁しかなく、ホームベースから見て右手と左手にある石灯籠を代用する。ダイヤモンドが三角形なので、三角ベースとも呼ばれるこのやり方は、全国の子供たちが最初に覚える、野球の簡易スタイルと言える。投手は打者に向けて投球するが、ボール球はいくら投げてもよく、空振りみっつでアウト。ボールをゲンコツで打ち返し、相手にノーバンで捕られたらアウト。ゴロの場合は、打者は右サイドの石灯籠に向かって走り、捕球した守備側が石灯籠にぶつけるよりも先にそこに到達すれば、ランナーとして残れる。時計と逆回りに、左サイドの灯籠を駆け抜け、バッターの足もとに置かれた平石に戻ってきたら1点だ。なんとおもしろいゲームではないか!
 仲間はみんな、この新しく覚えたゲームにのめり込んだ。小さな虫など殺して満悦している場合ではない。野球は、戦争だ。男子は、一方的な殺りくよりも、殺し合いにこそ夢中になるのだ。人間同士の闘いに強くなって勝ち抜くことこそ、本当の意味での支配者になれるのだ。誰もが、ごぼぜこ通りの王者となるべく、技術を磨いた。
 学年が上がるにつれて、ゴムまりは硬くなり、ゲンコツは空気バットに取って代わり、三塁ベースが新たに加えられ、素手だった守備側はグローブを用いだし、ルールも細かく複雑に、戦略も高度になっていく。人数が増えると、ごぼさんの境内では手ぜまになってくる。小学校のグラウンドまで遠征し、日が落ちるまでボールを追っかけた。速い球を投げられる者は尊敬され、強く打ち返せる者は恐れられる。子供たちの関係に、ヒエラルキーが形成されはじめる。するといよいよ研鑽が必要になってくる。目立つことが嫌いなオレは、やがてそんな実力社会を苦々しく思うようになった。仲間たちがついに、遊びのたのしさよりも、勝利を求めはじめると、ついていけなくなった。まったく、しんどい時代がやってきたものだ。
 町内という壁がなくなり、学校内で友だちが増え、派閥ができ、力の順列が決まっていき、対立する勢力との争いが発生し、戦いに勝って、有利な立場を得・・・こうして子供たちは、社会というものを理解していく。野球という代理戦争の中で、オレは自分が置かれているポジションを認識しはじめる。そこで悟る。戦いに勝ち抜き、選り抜かれた強者は、特別な存在だ。自分はそうはなれない。いや、なりたくない。目指すのはその立場ではない。そもそも、争うこと自体が好きではない。技術を純粋にたのしみたいだけなのだ。
 そんな中、究極の野球のたのしみ方を知った。それは「キャッチボール」という作法を極めることだ。相手の胸に寸分の狂いもなく投げ込み、相手からのどんなボールもしっかりとグローブにおさめる。技術を間に置いた、やさしさのやり取りだ。なんと愉快な意思疎通だろうか。奇妙に奥深い精神性を、そこに見つけたのだ。オレは野球というよりも、キャッチボールにこそ夢中になった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園