鄭州鉄道日記

河南省鄭州市で働いています。中国鉄道交通の要衝であるこの街から、中国の鉄道の情報を発信していければと思います。

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【灼熱のシルクロード】トルファン2日目  07年6月27日in中国

2007年12月07日 21時59分02秒 | 07年6月シルクロード


2日目はトルファンの観光地を回るツアーに参加する。
今回は予約の段階でホテルは朝食付きだったので、とりあえずホテルのレストランに行き、朝食を食べる。3つ星ならこの程度かなと言ったところか。ただ場所柄、果物が充実していたし、ポロ(新疆風の炒飯)もあるのもありがたい。

車が来たので、4人乗車し出発。とりあえず高昌古城を目指す。町の郊外に差し掛かった辺りで、大勢の行進する兵士を発見。銃を持っている兵もいれば、スコップを持った兵もいる。新疆生産建設兵団だろうか。

火焔山の前を通り過ぎる。ここも観光地だが、基本的にはただの山。しかも登るわけではない。山を見渡せる平地の一部を柵で囲み、記念撮影用に駱駝を配しているだけで、高い入場料を取るぼったくり観光地だ。車で前を通る時に見るだけで十分である。

到着後、ドライバーに今日周る観光地の旅行社向け通し入場券を貰い入城する。入口からメインの遺跡群までは徒歩でも行けなくはないが、炎天下を歩くのは厳しいので、基本的には驢馬車で行くことになる。高昌故城は、かつてこの地域に栄えた高昌国の国都で、玄奘三蔵が印度に向う途中に滞在し、説法を行ったこともある。ただ今は完全に廃墟と化している。驢馬車で記念写真を撮ったが、当然あとで撮影代撮られました・・・



お次はアスターナ古墳。昔、中学の国語の授業で、法隆寺の獅子狩文錦の由来に関する文章の中で、この古墳から発見された遺物がどうこうという記述があったが、
まさかその古墳に来ることがあるとは思いもよらなんだ。
人生何があるかわかりませんな。

基本的に平坦な場所にトンネルが潜り込んでおり、地下に墓室がある。公開されているのは3つだけだが、地下にミイラがあったりと、なかなか見ごたえがある。

車に乗り込み、のどかな農村を抜けて再び国道に出る。次に行くのはベゼクリク千仏洞だ。ここは6世紀から13世紀にかけて作られた石窟で、特に西ウイグル帝国の9世紀ごろが建設が盛んだったらしい。(当時、ウイグル族は仏教徒だった。)

残念ながら、仏像や壁画はこの地がイスラム化する中で、偶像崇拝を否定するイスラム教徒によって大半が破壊されてしまい、ほとんど完全な形では残っていない。その壊し方がまたひどく、
剣の剣先で顔だけ剥ぎ取りました。と、いかにも「民度の低い下級兵士がしました」と言った雰囲気だ。
いくらばかしか残った壁画も、19世紀末から20世紀前半にかけてこの地を訪れた欧米の探検家によって持ち帰られてしまい、完全な状態で残った仏像・壁画はごくわずかだ。欧米人探検家の言い分は「イスラム教徒が大勢いるここに置いておくより、ヨーロッパの博物館の方が安全」というものだが、ドイツ隊が持ち帰った壁画は、第2次世界大戦の爆撃で博物館が焼け落ち消滅した。
一方、天井には未だ壁画が残っているが表面には泥が塗られている。この地にイスラム教徒が迫る中で、少しでも壁画を残そうと当時の仏教が隠した痕だ。


続いて昼食をとる。葡萄溝という観光地の傍に軒を連ねる観光レストランの一つに入った。ぶどう棚の下で食事を取る。ポロ、ラグ麺、トマト卵炒め、羊肉炒め・・・。なお最初に果物と干し葡萄が出てきた。「免費(ただ)」とは言うが、みやげ物のサンプルのつもりだろう。買わなければいいだけなので、ありがたく頂いた。


昼食後はまず蘇公塔に行き、続いて交河故城に行く。ここは両側を川に面した崖で囲まれており、さながら軍艦の様相を呈している。保存状態も高昌故城より良く、見ごたえがある。ただこの日は朝から気温40度の中歩き回っているので、さすがに厳しい。



最後はカレーズ記念館に行く。カレーズはイスラム世界に広く伝わる井戸で、山近くの水源から地下トンネルで水を引いている。最後の最後で一番涼しい観光地だった。

ちなみにこの日の夕食はハミ瓜。疲れ果てて食欲もわかん。

22時でこの明るさ!中国は国内に時差がない。

つづく

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