●イスラム教(ファーティマ朝)
The Fatimid dynasty is founded by Al-Mahdī who legitimised his claim through descent from Muhammad by way of his daughter Fātima
.くれ休息地(きゅうそくち) 不安だし。
909年 チュニジア ファーティマ朝 シーア派
ムハンマドの娘ファーティマの子孫と称する過激シーア派イスマイール派のアル=マフディーはチュニジアにファーティマ朝を建国。シーア派政権を樹立し、アッバース朝のカリフの権威を認めず、自らカリフを称した。これに刺激された後ウマイヤ朝のアブド=アッラフマーン3世もカリフを称したため、アッバース朝の権威は低下した。ファーティマ朝は969年にはエジプトを征服し、973年にはカイロを首都にした。
《エジプトのイスラム王朝の変遷》
ファーティマ朝を滅ぼしたサラディンはエジプトにスンナ派のアイユーブ朝を樹立。その後のマムルーク朝もスンナ派の政権であったが、オスマン=トルコに征服された。下のゴロ合わせでエジプトに栄えたイスラム王朝の変遷を覚えよう!
ファイトで愛を 守るオス。
ファーティマ朝 アイユーブ朝 マムルーク朝 オスマン=トルコ
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