●ドイツ(神聖ローマ帝国)
Peace of Augsburg advocates that the religion of a prince should determine the faith of his subjects, thus sanctioning the existence of Lutheran states.
以後(いご)ここで会う ルター派と。
1555年 アウグスブルクの和議 ルター派公認
ドイツではイタリア戦争・オスマン帝国によるウィーン包囲などの国際情勢によって神聖ローマ皇帝カール5世はルター派(=新教徒・プロテスタント)とたびたび妥協したが、旧教徒(カトリック)と新教徒(プロテスタント)の争いはシュマルカルデン戦争に発展した。
新旧両教徒の武力抗争は1555年のアウグスブルクの和議で一応の妥協をみた。
これによってルター派が公認され、諸侯は新旧両派のいずれをも選択できるが、領民はそれぞれの領主の宗派にしたがう原則が確立した。
▼アウグスブルク
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