占い館『たいようの館』 占い三昧の日々を報告します

占いの定義は難しい。当たる当たらないに始まり安心な要素より不安な要素のほうが多い。ぼくは占い師ではなく推命家です。

父の日、バラ、夏至

2009年06月21日 07時15分03秒 | Weblog
今日は父の日、
母の日にはカーネーションを、
そして父の日にはバラを送るそうだ。
(もらったことないけど)

この父の日は、
母の日のおまけのようで、
むりやり市民権を得ようと
お情けで行事化していると感じるのは
ぼくだけか。まあいいけど・・

そして今日は夏至。
1年で一番昼間が長い日。
屋外で作業をしていると、
7時頃まで明るいから、
冬と比べると得した気分。

イタリアへ行くと、
ローマは稚内と同じくらいの緯度だから
9時頃まで明るい。
夏は日本と同じような気温だが、
湿気が低く、
夜遊びには最適な季節だ。

浮かれてワインがすすむのも理解できる。
来月イタリアへ行くことになった。

ルッコラの種のもと

2009年06月19日 16時56分45秒 | Weblog
昨年末から畑で越冬させて、
春に花が咲き、
種(写真はまだ鞘)となったルッコラ。

これを乾燥させて、
鞘がカリカリになったら
新聞紙の上で鞘を割り
中の種を取り出す。

けしつぶほどの小さな茶色の種が取れる。

それを来年蒔いてまた収穫する。
たったそれだけのことだか、
偉大な循環だ。

ラブレターと、生きた証

2009年06月19日 16時30分58秒 | Weblog
最近引越しをして片付けをしていたら、
昔もらったラブレターと写真が出てきた。
(もらった以上に出したけど)

もう20年以上も前だというのに、
あの頃つきあっていた彼女の顔や香りまでが
一瞬でよみがえってきた。

思い出話は恥ずかしいからしないけど、
今どうしているかな。

写真と記憶はあの頃で止まっている。

確実に20数年の時間を刻んだんだから、
会わないほうがいいよな。

そして思う。

人の生きた証とは何か。
(難しい話が来たぞ~)
それは過去しかないということだ。

自分の存在など100年もすれば誰も覚えてはいない。
せいぜい子供と孫くらいまでが、
記憶の限界で、
それ以降は「無」だ。

なんだかせつな的だが現実だ。

その生きた証でさえも、
自分だけの自己満足であり、勝手な記憶。
何の役にもたたないし、
他人にとってはまったくどうでもいいことだ。

しかし、だ。
それでいいではないか。
何かの役にたつものなど、
仕事でやればいい。

自分を満たすものは勝手な思い過ごしでいいのだ。

過去しか自分を満たすものがないのであれば、
思い出に残るような過去を作ろう(自分に言い聞かせている)。
迷っている時間なんかない。
ただひたすら、行け~~~だ。
今はすでに過去なんだから、
今を大切に生きていなければ、
素敵な過去、生きた証は作れない。

今日は何かテンション高いなあ。
熱中症にでもかかったかな、
草取り・・・やめよ。


ひとりカラオケ

2009年06月18日 22時42分49秒 | Weblog
じゃ~ん、
隠れ家にはカラオケがある。

で、夜な夜なひとりカラオケである。

歌う曲は決まっている。
「もうひとつの土曜日」
「最後の雨」
「踊り子」
「レイニーブルー」
みんな失恋男のバラード

このカラオケマシンは、
1990年頃に買ったもので、
ソフトは当時のレーザーディスクだ。

絵がいい。
女の子はみんな眉毛が太い。
髪はワンレグ、ポニーテール、ギャザー
コスチュームは銀座ホステス系。

良い時代だった。

臓器移植法案

2009年06月18日 18時28分04秒 | Weblog
臓器移植法案A案が可決された。

これで
・脳死を一般的な死とする
・臓器提供の年齢制限廃止
・小児への臓器提供に道を開く
ことになった。

さて、
人の死とは何だ。

その人が持って生まれた体(臓器)の弱い強い、
その人の命の時間は宿命である。

残念ながら若くして命を失うことも宿命、
人工的に他人の臓器を移植して
延命することは、
自然界の摂理に反すると思う。

現代医学では、
臓器移植で延命することが可能だ。
科学と医学では可能かもしれないが、
倫理的には賛成できない。

たとえそれが自分の身に降りかかっても。

サイドチェスト

2009年06月17日 14時06分33秒 | Weblog
54歳と60日の記念です。

気色悪いという方は削除してください。

お笑いの「中山きんにくん」のポージング、
最近では「てんげん」のサイドチェストを
真似てみました。

ファイブギャップも好きです。

ちゃどくがにご注意

2009年06月16日 11時51分32秒 | Weblog
ちゃどくがの毛虫に刺された。
写真がそのけむし(ぞっ!!)

昨日の朝、
突然左上腕がかゆくなり
半袖を上げてみると、
一面赤い発疹。

こりゃアレルギーかなと思い、
すぐに引くだろうと
たかをくくっていたがなかなか治らない。

今日皮膚科で見てもらうと、
「毛虫です、今の時期はちゃどくがに刺される
患者さんが多いですよ」

20年以上畑や樹木の剪定をしているけど、
ちゃどくがに刺された記憶はない。
はちやブヨ、はしょっちゅうだが・・。

塗り薬と飲み薬をもらう。
3~4日で治るらしいが、
かゆ~~い!

辻井信行さんとイチロー

2009年06月15日 08時23分52秒 | Weblog
遅ればせながら
クライバーンで優勝した辻井信行さん。

この人のピアノの音は、
透明で音符が空から降ってくる感じだ。

限定3曲のピアニストのぼくとしては(オイオイ)、
目で見ながら鍵盤を追い、
ゆっくり弾いてやっと曲らしきものになるのに、
88個の鍵盤の上に正確に指を置き、
自分の思う強さを調整し、
その上で自分の感情を注ぐ。

天才という表現が適切かどうかわからないが、
天才で想像を超えたピアニストだと思う。

今日の朝の番組では
リストと天使の羽を弾いていたが、
曲の素晴らしさだけではなく、弾く姿に感動する。

辻井信行さんとイチローが重なった。
ともに日本の宝物で、
この時代に一緒に生きていてよかった、
辻井さんのピアノが聴けて
イチローのプレーを見ることができて幸いだと思う。

しかし一方で、
彼らのような天才も、
失ったものもあると思う。

ピアノと野球で
人生のほとんどの時間を費やしてきたのだから、
いわば100の内95くらいはピアノ職人、野球職人だ。

ふつうの人は、
10づつくらに振り分けて
仕事や趣味、酒や世間話に至るまで
エネルギーと時間を消費させているのではないか。
それはそれで天才とは違う何かを発見しているのかもしれない。

おしなべて言えば、
人に与えられた時間と、努力することは
平等だということか。
(ぜんぜんオチになっていない)




歳を取るということ

2009年06月13日 14時00分55秒 | Weblog
NHK土曜日13:50から、
100歳ばんざいという素晴らしい番組がある。

さっき、
青森の津軽に住む106歳のおばあちゃんが出ていた。

このおばあちゃん、
毎朝ご先祖さまに手を合わせ、
自分で朝餉を炊き、
何と毎日5時間
わらぞうりを作る仕事をし、
帰ると6時には寝てしまう。

腰は曲がり顔はしわくちゃ、
やっと一人で歩いている感じだが、
ぼくはとてもかわいく感じた。

以前、
マラソンの増田明美が、
マラソンは42,195kmを走ってゴールしたら、
その場で倒れる競技なんです、
と言っていた。

ゴールしても立っていられるようでは、
まだ全力で走っていないということだ。

人生106年、
このおばあちゃんは全力で走ってきた。
あちこち痛いはずだ。
目も歯も耳も悪いと思う。

でも、
自分の体を使い切って死を迎える。
まだ余裕があるのも良いかもしれないが、
ぼくは使い切って死ぬことを望みたい。
何だか涙が出てきた。