最近引越しをして片付けをしていたら、
昔もらったラブレターと写真が出てきた。
(もらった以上に出したけど)
もう20年以上も前だというのに、
あの頃つきあっていた彼女の顔や香りまでが
一瞬でよみがえってきた。
思い出話は恥ずかしいからしないけど、
今どうしているかな。
写真と記憶はあの頃で止まっている。
確実に20数年の時間を刻んだんだから、
会わないほうがいいよな。
そして思う。
人の生きた証とは何か。
(難しい話が来たぞ~)
それは過去しかないということだ。
自分の存在など100年もすれば誰も覚えてはいない。
せいぜい子供と孫くらいまでが、
記憶の限界で、
それ以降は「無」だ。
なんだかせつな的だが現実だ。
その生きた証でさえも、
自分だけの自己満足であり、勝手な記憶。
何の役にもたたないし、
他人にとってはまったくどうでもいいことだ。
しかし、だ。
それでいいではないか。
何かの役にたつものなど、
仕事でやればいい。
自分を満たすものは勝手な思い過ごしでいいのだ。
過去しか自分を満たすものがないのであれば、
思い出に残るような過去を作ろう(自分に言い聞かせている)。
迷っている時間なんかない。
ただひたすら、行け~~~だ。
今はすでに過去なんだから、
今を大切に生きていなければ、
素敵な過去、生きた証は作れない。
今日は何かテンション高いなあ。
熱中症にでもかかったかな、
草取り・・・やめよ。