前記事の流れからマーチについてもう少し綴ってみよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/58/a2/960fe8fa907d1bddd43c73e8baf43e43_s.jpg)
【赤】MITSUWA MID RACER F-SERIES CABIN 87B COSWORTH
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/48/ba/485a02236708e99670cd822305be4465_s.jpg)
【白】MITSUWA MID RACER F-SERIES EPSON 87B HONDA
マーチとは3月ではない、もちろん学校群の総称でもない。
・マックス・モズレー「M」
・アラン・リース「AR」
・グラハム・コーカー「C」
・ロビン・ハード「H」
設立者たちの頭文字が由来である。
様々なカテゴリのシャシーを手掛けたが
カテゴリ/年式などのナンバーリングが実に単純明快でわかりやすかった。
フォーミュラ・・・西暦下2桁+"カテゴリ"
例)82年のF-2 MARCH822 79年のF-1 MARH791
スポーツカー・・・西暦下2桁+"G"
例)85年のCカー MARCH85G
INDY CART ・・・西暦下2桁+"C"
例)83年のINDYカー MARCH83C
85年は日本のみF-2開催のため
日本向けに"J"をあて"85J"ヨーロッパF3000では"B"をあて"85B"とした。
以降、日本もF3000へ移行し"B"とされることとなる。
また、84年の日本向けF-2シャシーは
「KRAKO MARCH クレコ・マーチ」と呼ばれた。
これはマーチ社が北米のカー用品メーカーKRAKOと
日本でのビジネス展開を行ったためである。
現在でいう所のネーミングライツの様なモノ。
LEYTON HOUSEとのジョイントで派手なF-1復帰を果たしたが
バブル崩壊、オーナー氏の不祥事などで衰退していった。。。
また思い出したことがあれば綴っていこう。
今宵はこれにて。
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