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March Engineering

2012-11-02 | ModelCarあれこれ
前記事の流れからマーチについてもう少し綴ってみよう。
 
【赤】MITSUWA MID RACER F-SERIES  CABIN 87B COSWORTH
 
【白】MITSUWA MID RACER F-SERIES  EPSON 87B HONDA

マーチとは3月ではない、もちろん学校群の総称でもない。

・マックス・モズレー「M」
・アラン・リース「AR」
・グラハム・コーカー「C」
・ロビン・ハード「H」     
    設立者たちの頭文字が由来である。

様々なカテゴリのシャシーを手掛けたが
カテゴリ/年式などのナンバーリングが実に単純明快でわかりやすかった。

フォーミュラ・・・西暦下2桁+"カテゴリ"  
            例)82年のF-2 MARCH822 79年のF-1 MARH791
スポーツカー・・・西暦下2桁+"G"
            例)85年のCカー MARCH85G
INDY CART  ・・・西暦下2桁+"C"    
            例)83年のINDYカー MARCH83C

85年は日本のみF-2開催のため
日本向けに"J"をあて"85J"ヨーロッパF3000では"B"をあて"85B"とした。
以降、日本もF3000へ移行し"B"とされることとなる。
また、84年の日本向けF-2シャシーは
「KRAKO MARCH クレコ・マーチ」と呼ばれた。
これはマーチ社が北米のカー用品メーカーKRAKOと
日本でのビジネス展開を行ったためである。
現在でいう所のネーミングライツの様なモノ。

LEYTON HOUSEとのジョイントで派手なF-1復帰を果たしたが
バブル崩壊、オーナー氏の不祥事などで衰退していった。。。

また思い出したことがあれば綴っていこう。

今宵はこれにて。

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2 コメント

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いい時代のマシンですね (Unknown)
2012-11-02 13:58:00
松本選手と中嶋選手のF2ですね。
当時はマーチ一色のシャシーでしたが年式の違いや各チームの改良もあって面白かったですね。
F1開催されていなかっただけに国内トップフォーミュラの威厳がありました。
返信する
Unknown (ダダンジ)
2012-11-02 21:20:30
こんばんは。 コメントありがとうございます。

うーん、惜しいw
実はコレF3000です。 EPSONカラーは鈴木利男選手でした。

おっしゃる様に当時はマーチがほとんどで国内では無敵を誇っていましたね。
由良拓也氏のムーンクラフトやNOVA Eng.など独自のモディファイを行っていて
マーチワンメイク状態でも充分楽しめました。
また最終戦にはヨーロッパからRALTワークスが来日し、日欧対決も楽しみでした。

  *もし差支えがなければお名前を入れて頂けれ幸いです。

またいらしてください。
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