僕はこの頃の自分とか周りの人達とか社会の状況を鑑みて、どうも「仕事」の概念がよくわからなくなってきています。
人にとっての仕事は、果たして金銭を稼ぐことが絶対条件なのか? その人にとって重要であっても、収入にならないことは仕事とは言えないのか? 凄く疑問に思うようになっています。
確かに生きていく上ではお金は必須で、なくてはどうしようもないものですが、「人」という存在として考えた場合、このお金というシステムは、どうにも馴染めないというか、しっくりこない、というか、そんな風に感じるのです。こういう風に思うのは僕だけなのか、いや、たぶん同じような気持ちの人も少なからずいるんじゃないかなーと。たぶん、表立って言ったり書いたりしないだけで。
たとえば、日々を年老いた親の介護に明け暮れている人が大勢居ますが、そういう人達は働きに出たくても出られないというジレンマを抱えています。デイケアサービスを受けるには条件もあるし、お金も掛かる。結果的に、自分は仕事を辞めて、常に付きっ切りで世話面倒をみなくてはならない状態に置かれるわけです。収入は親の年金のみ、というケースも多い。
もうこれは、介護自体が人生(日々の生活)みたいな感じになっていて、まるっきり収入とは縁がありません。しかし、それにもかかわらず、どうしてもやらざるを得ない。これは本当に苦しさを伴うものなのですが、それに対する社会的支援は乏しいか、ほとんどないようです。
他にも具体例は色々あると思いますが、個人的には、こうしたところから新しい考え方をする人達が出てきて、社会構造の変革を求める動きが表面化し出すのではないかと思っています。いや、もう既に自分が無知なだけで、声を大にして訴えている人達もいるんだと思う。
ともかく、今の世界を見渡してみても、多くの国でその社会システムが破綻していたり、国民が不満を抱いたりしていて、どうにも正常とは言えないような事態になっている様子ですから、デモやストが少ないここ日本でも、そろそろ民衆の切なる声というものが国を動かすことになるのかもしれません。
ウィルヘルム=バインズ版の易経に感動し、検索してこのブログにたどりつきました。
仕事とは本来、利他主義で、分業作業においてはバランスが重要です。お金を流通させる仕組みを作る人がバランスをくずしています。通貨を大量に発行したためジンバブエドルのような状況下に陥っています。いまは金融商品という架空のものに大量に発行された通貨を吸収しているので、物価が上がらずに済んでいます。ひとたび金融商品と言うギャンブルから実体経済に通貨が向かった時、物価は急上昇します。しかし、物価を急上昇させると社会情勢が不安になるため、ソフトランディングとなるように新しい通貨を発行すると思われます。戦後日本で通貨を切り替えたように。
世界でツァイトガイスト運動というものが起きています。この運動は、地球規模で資源ベースの経済という考えみ基づいています。太陽光発電、風力発電、波力発電、地熱発電などクリーンなエネルギーで、石油エネルギーから変わることが可能といっています。
ツァイトガイスト運動 http://zmjp.net/?lang=ja
また地域通貨の発行。消える通貨というものがあります。毎週2%ずつ償却され52週間で全額償却されることによって財源を必要としません。第二次世界大戦前にドイツとオーストリアで実績があります。償却される地域通貨は、ルドルフ・シュタイナーやシルビオ・ゲゼル、ミヒャエル・エンデの考えん基づいています。昔はスタンプを使っていましたが、現在の技術ではパスモなどの電子マネーを使うことが可能です。毎月10万円くらいこの地域通貨で国民給付金として支給されれば景気などすぐによくなります。
「働かざるもの食うべからず。」という考えは現代では間違っていると思います。科学技術による生産能力の向上、機械による自動化が進み本当は働かなくても十分に食べていける状態です。
イメージしてください。オートメーション化が進んだ工場、農園で人手が余り、より多くの利益を上げるためにリストラをしたらどうなるか。まさに今、リストラによって多くの人が切り捨てられています。利益と言う概念を小さな会社のみで考えず、地球規模の視点で考える必要があると思います。
陰極まって陽となる。このままリストラが進み貧困の極みに達しないと変わらないのだろうか・・・。