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58.兌為沢

2009-10-16 22:51:20 | 易の解釈
58.兌為沢

兌為沢は上下・内外ともに兌卦(悦・喜び)であり、お互いに好きな事をして楽しみたいと考えています。双方の意見や利害が一致すれば協力関係とか組織の形成に結びつきますが、彼我(相手と自分)の主観的な視点に立つと兌(金)と巽(木)で金剋木となり、必ずしも協調できるとは限りません。内心では当方の主張を優先したい気持ちがあるため、和気藹々としたおしゃべりのような雰囲気を満喫できるケースは意外に少ないでしょう。それよりもむしろ状況的な事情から、およそ対等・平等とは言えない関係の中でのやり取り――心理的な駆け引き、功利的手段(戦略)、説得といったことを行う傾向があるように思います。風沢中孚ならば彼我の視点は共に兌となって引き付ける格好になるわけですが、兌為沢では優劣関係ができると友好性は失われていきます。

元々兌は、果実としての成果・結果・利益・収穫といったことでの喜びを意味する卦です。だから、話し合うにしても何にしても、そこにメリットが得られないと分かれば、表面上はともかく現実的な関心は激減してしまいます。友達や恋人との日常的な会話ならば、一緒に過ごすその時間こそが甘い果実とも言えるので、そこに諍いは起きないでしょう。しかし、これがビジネスなどの損益が絡む話となると別問題です。お互いが利を求め合えば、大概どちらか一方は妥協せざるを得なくなったり、言い含められて釈然としない結果に不満を覚えることになりがちです。そもそも十分な結果を得られそうにないと分かっている場合、具体的な形にしていく前に決断そのものを迷ったり、破談にして身を引いてしまうかもしれません。君子的な理想としては、利他の精神で相手を利す一方で、自分はその人達の心(気持ち)をもらうということになるでしょうか。

綜卦は巽為風。巽は頭の中の思考や知識、そして情報(電波などに含まれるデータ全般も含む)といった不可視の対象を象徴した卦です。それを風に譬えています。それは例えば場の空気(雰囲気)でもあるし、気温や天気などの大気の状態、何らかの気配、虫の知らせのような予感、生き物同士の感情の交換――もらい泣きのような心情の伝染もそうだろうと思います。これらは何か特殊な技術や方法でもなければ具体的な数値として捉えにくい内容です。現代では気象データに関しては相当に正確なようですが、まだ心とか魂といった抽象的な概念に関しては科学的な知見が追いついておらず、何より「科学的でない」と斬って捨てられる向きも少なくありません。でも、これらが気象データのように実際的な観測ができるようになったとしたら、それは巽から兌に移行したということです。それはアナログの音源がデジタル信号として処理されるのと似ているかもしれません。

裏卦は艮為山。兌為沢では欠損している部分を満たす陽(実)としてのメリットを求める心理が働きます。一方、陰陽反転した艮の場合、陽を求めれば坤としての陰(虚)になってしまうため、心情的にも現実的にもそれはできないし、到底譲れません。唯一の果実を失うことになれば自分の居場所や立場をなくしてしまうという不安に苛まれるため、必然的に保守傾向が強まることになり、頑固者とか分からず屋と揶揄される人が出てきます。それは融通の利く利かないではなく、単純に「応じられない」からですが、他人にそのことを理解してもらおうとしても難しいでしょう。それどころか、頑なになればなるほど相手は関心を寄せてくるため、護ろうとするモノ(人・情報・立場など)を奪われるような事態になってしまいやすく、内面の葛藤が一段と強まることになります。このために、一時的に苦しむのを覚悟の上で、わざわざ自分からプライドやしがらみを断って、結果的にスッキリしてしまおうと考える人もいます。あえて坤としての陰を求めるという逆転の発想。

類似関係は山天大畜。大畜と兌は屯・晋から24番目の卦で3巡目の6。6は偶数(陰数)で受動的・内向的な数。3回転して位相は変わっていますが性質的には一緒です。ただ、24は21(剥:山場、豊:最高潮)からの流れを汲んでいるので、社会的なパワーとしては潮が引いていく時期に当たっています。つまり、実際的な力の最大出力は21で我を失うくらいに頑張るのですが、その反動として22(復・旅)では自分を回復させるための休息や治癒が求められます。これを受けて23(无妄・巽)では、21と22のような強い振幅の中にどっぷり浸かるような生き方はやめて、無理のない自然なスタイルを模索し始めるのです。

そして、その一つの答えとして本人が見出した内容が24(大畜・兌)で表わされることになります。それは兌としての果実であり、大畜としての訓練の賜物です。ただ、これには自分の課題とすることに対しての執拗なまでの思い入れが背景にあるため、不完全な結果に落ち着くことには我慢がなりません。そのため、求めていた(要求された)成果を得られなかった時には代償とか報いを受けたり、時には何かを犠牲にしてでも埋め合わせようと考えがちです。現状、社会のシステムとして集団的な意思が課題を達成することによる報酬や、果たせなかったことに対する制裁を当然のものとして受け止めているので、それに個人が逆らうことは難しい状態にあります。しかし、こうした考え自体が実際の現実を作り出していることに気がつくと、心はずっと楽になるはずですし、社会構造に内在する窮屈さも和らいでくるのではないかと思います。

補完関係は水地比、その先のヴィジョンは風天小畜。比は相互に認め合って親しむ、互助互恵を肝要とする卦です。いわゆる共生の精神が鍵となっており、力を結束させて共同作業に当たることで目的を実現させる気風があります。比の綜卦は師で、これは戦い及び集団性(大規模)の卦です。個人が無理難題とも言える大きな仕事を成し遂げた暁に、その才能や手腕を評価され、ポストを用意されるなどして受け容れられた状態が比とも考えることができます。そこには受け容れられるに見合うだけの明確な実力や呼応し合う心が必要で、ただの烏合の衆の一人では相手にされません。

兌為沢も和合を旨とする卦ですが、比のような深入りはせずに、共通の理念とか大義名分に対して利害を一致させるという働きをします。話す側と聞く側、指導的立場を取ろうとする側と従う側に分かれることも多いでしょう。どちらにせよ、近づき過ぎると窮屈で鬱陶しくなりますし、上辺だけで付き合っていると和の心が磨り減ります。この辺のバランスを取ろうとすると、小畜の「もどかしさ」が姿を見せ始めますが、理想を求めた潔癖な関係としてではなく、自分に合った肩肘の張らない適度さを学ぶのには、ちょっとばかし時間が掛かってしまうのも仕方ないのかもしれません。

<爻意は後日、追加更新します。>


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