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中橋怜子の 言の葉ノート

自然、人、モノ、そして音楽…
かけがえのない、たおやかな風景を
言の葉に込めて

大和めきたる苗字の禁止令

2015-07-18 | 旅の風景
「名前?当ててみてください!沖縄の苗字で知ってるのを3つ言えば当たると思いますよ、僕の苗字」
「比嘉さん?…。金城さん?…。島袋さん?」
「当たりー!」

というわけで焼き鳥屋さんの沖縄のかた独特の目鼻立ちの男前のオーナーさんは島袋さんでした。

ちょっと変わった沖縄の苗字事情には歴史的な出来事が関わっている。

1609年、薩摩藩の琉球侵略以降、琉球は薩摩藩の属国となるわけだが、その時、薩摩藩は琉球国の体裁を整えるために「大和めきたる苗字の禁止令」という通達を出したのだ。それは中国との交易を継続する上で琉球国に敢えて異国情緒を漂わすための政策の一つだったと言われている。

「大和めきたる」つまり「日本風の」の苗字を名乗ることを禁止した布令なのである。

この布令により、日本風の苗字は改められたり、当て字を換えて三文字表記にしたりなどされた。
例えば前田さんは真栄田さんに、東さんは比嘉さんに、国上さんは国頭さんに、 福山さんは譜久山さんに…

仲間さん、仲村さんのように沖縄では「中」ではなく「仲」の字が用いられるのにも実はこんな歴史事情がある。
17世紀後期の国王「尚貞(しょうてい)」が世子のときに中城王子を称するに伴い、王家以外のものが苗字に「中」の字を使用することを禁止じたためだという。

沖縄の難読苗字、地名には未だに悩まされる。運転中に目にする看板はローマ字表記無しには読めないものが多い。

東江(あがりえ)、東風平(こちんだ)、南風原(はえばる)、北谷(ちゃたん)、西州(いりじま)、後原(ぐしばる)、中城(なかぐすく)、今帰仁(なきじん)…

金武(きん)、1字不要としか思えない!
保栄茂(びん)、これはどう考えても反則!

沖縄の異国情緒は戦後アメリカの影響を受けたからではなく、今から400年も昔に薩摩藩が琉球国の体裁を異国風に整えたところに端を発しているのだ。

逆に今、琉球王国の異国情緒が徐々にアメリカ風に塗り替えられてしまっているのかもしれない。












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