稲は黄金色のふくよかな穂を垂れ、その横で毛深い鞘を丸々と太らせているのは枝豆。どこに種を飛ばしてやろうかと尻尾ふりふり思案しているエノコログサ、簪(かんざし)にして遊んだヒメシバ、糸を通して首飾りにした数珠玉、ままごとの赤飯といえばアカマンマ(イヌタデ)、厄介者扱いの雑草たちも、この土手では、あるがままに命をつないでいる。
猛暑の夏を乗り越え、嵐にも足を踏ん張った植物たちの安堵のため息なのか、雨上がりに差しこんだ陽に、田畑にも野原にも、むせ返るような豊穣の香りが立ち込めている。
今日は小さな農園の芋ほり。
夏に四方八方へと旺盛に伸びる芋蔓は、あちらこちらから不定根(ふていね)という根を出す。この不定根を放っておくと、やがて土に根を張り、自分も芋になろうと一生懸命養分を吸収する。頑張ったところで、しょせん芋にはなれない中途半端な根っこ。お陰でその養分は蔓ばかりを成長させ、葉が過剰に茂るという現象が起こる。これを蔓ボケという。蔓ボケを起こすと、葉や茎、つまり地上に見えている部分はえらく立派になるが、肝心の地中の芋は育たない。
この蔓ボケを起こさないように、不定根を切って、蔓を畝の上に返す作業が「つる返し」である。上出来な芋を育てるために欠かせない作業である。
農夫歴二年目、小さな農園の主の説明に、最初は興味深く耳を傾けていたが、話を聞いているうちに、何やらおかしな気分になってくる。ひょっとしたら私のこと?私も蔓ボケを起こしている?あちらにこちらに、芋になれない中途半端な根っこを張って、欲張って、見栄張って、見てくればかりを気にして、肝心のことがちゃんとできていない、自分のことを言われているような気がしてきた。
自分は何がしたいのか、何が欲しいのか、それは本当にやりたいことなのか、本当に必要なものなのか、大切なこと、大切なものがちゃんと見えているのか。上出来なお芋をつくるためには、人間だって時々「つる返し」をする必要があるのではないか。
さて、いよいよ芋掘り。芋蔓をのける作業からさせてもらうのは、初めてのこと。
「芋蔓式」という言葉に勘違いしそうになるが、あの長い蔓を手繰ったところで、次々とサツマイモが連なって土中から出てくるわけではない。芋がついているのは、植え付けの時に土中に埋められた、わずかな茎の部分だけである。
スコップで丁寧に土を掘り返す。出てくる、出てくる!大きいのが2つ、中ぐらいのが2つと小さいのが1つ。
「ちょっと器量は悪いけど、上出来、上出来!」と、芋蔓に見せてやる。
女優、樹木希林さんの突然の訃報に日本中が驚いた。全身がん末期の女優が見せていた元気な姿は、芝居だった。入れ歯を外した皺だらけの口元で、むさぼるように食べる老婆の姿も、恐ろしいほど自然な芝居。器量がよいとはいえない顔立ちも、老い行く姿も、病に蝕まれて行く体も、彼女はそのすべてを受け入れ、愛し、女優のアイテムとして使いこなした。そして、今秋公開の映画、来年公開予定の映画を撮り終えて、人生に終止符を打った。こんな言葉を残して。
「今日までの人生、上出来でございました。これにておいとまいたします」
(新聞掲載日 2018年9月28日)