日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

首相の靖国参拝を考える

2014年01月06日 | 日記

首相の靖国参拝を考える

 

A.謹賀新年

 

1.謹んで新春のお慶びを申し上げます。

皆様の今年が幸多きものでありますよう心からお祈り申し上げます。

 

B.このブログについて

 

1.このブログは、2012年7月から英文でも公開しています。そして、英文ブログ

は昨年(2013年)の1月から12月末までの間に、137786のPV(ページビ

ュー)のアクセスを頂きました。アクセスの労を取って頂きました皆様に心から御礼申

し上げます。そしてまた、このアクセス数は、現在、日本と中華人民共和国政府の間が

尖閣諸島を巡って緊張しており、本ブログが中国の改革者と同一の立場で、中国共産党

と中華人民共和国政府を批判している事にも大きく依拠していると思われます。

 

2.そこで今日は、一日本人として、そして、中国の改革者たちと同じ立場を取る者と

して、彼らの気持ちも斟酌しながら、昨年12月26日に行われました安倍首相の靖国

参拝について考えてみたいと思います。

 

C.安倍首相の靖国参拝

 

1.安倍首相個人の靖国参拝につきましては、何も申し上げることはありません。どの

ような行動も、個人の信教の自由、良心の自由に基づいて決されます。

 

2.しかし、日本は一国のみで成立しているのではありません。ここに、日本国政府の

トップである安倍首相に対する諸外国からの、希望とか批判とかの関与が生じます。だ

が、この領域につきましても、私の申し上げる所ではありません。首相御自身がよく弁

(わきま)えられている所と存じます。そしてその誠(まこと)は、参拝後の記者会見

で述べられた通りであると思います。

 

3.申し上げるのは、私や中国の人々と言った草深い、草莽(そうもう)の声でありま

す。今や日本国の首相の地位は、日本のみの首相に留まるものではありません。

その言動は、中国の人々、韓国の人々、アメリカの人々、アジアの人々、つまり全世界

の人々が注視します。そしてその政治ポジションは世界に影響を及ぼします。

本の政治リーダーはこの自覚を持ってもらわなければなりません。

 

4.靖国を語るときはどうしても先の大戦から語ることになります。日本は先の大戦で

敗北しました。同時に、朝鮮半島で、中国大陸で、東南アジアで、インドで、日本を支

持し協力を頂いていた人々の殆(ほとん)どを、失いました。その時の現地での彼らへ

の仕打ちは、痛ましいものであったろうと考えることができます。韓国ではいまだに財

産が没収されるというニュースを目にします。中国でも、現実を冷静に捉えようとする

人々は確実に存在しますが、2012年9月、海南省万寧市では、尖閣諸島を巡って日

本と中華人民共和国が戦争をしたら日本が勝つと主張した人が口論の末、殺されるとい

う事件がありました。私達は、この現実を受け止める必要があります。

 

5.つまり、朝鮮半島、中国大陸、そしてアジアでは、日本の敗戦によってそれまで日

本に対して好意的であり協力的であった人々(現地の人々から見れば、自分たちの隣

人)が、それまでと180度異なった、むごい仕打ちを受けるという現実が起きたとい

うことです。

 

6.特に中韓の人々の間には、この事実が強く頭の中に焼き付けられることになったと

思われます。そしてこの事実、=日本に協力すれば一族が酷(むご)い仕打ちを受ける

という事実=は、人々の間に、親日的な態度は忌避しなければならないという固定観念

を形成して行ったものと思われます。

 

7.私達は、中韓の人々にこの固定観念を取り払って貰わねばなりません。と同時に、

私達はこの戦後の中韓で起こった事実を殆ど何も知らないでいます。

この事実(実際に起こったことと、私達がそれを殆ど知らないという事実)は、戦後と

いうものに対する問題提起ともなります。つまり、私たち日本人はこれを知り、このよ

うな犠牲者の魂を弔う視点と行動が必要だということです。こう書けば、きっと中韓の

尖鋭的な人々の中には、「それは日本軍国主義への懐古であり、認めることはできな

い」と言って反日デモを組織しようとする人々が現れるでしょう。しかしそれは誤りで

す。死者の魂を弔い鎮魂を願うことは、人類共通の行為(遺産)です。そして、これを

平な歴史の記録として蓄積し共有することが、偏狭なナショナリズムやコミュニスト

の反日宣伝を越えた共通の平和を語ることへと繋がります。

 

8.補足すれば、戦後、現地に残った日本兵も数多く存在し、義勇兵として現地の独立

運動に参加したことが知られています。中国人民解放軍、中国国民党軍への参加、ベト

ナム独立戦争、インドネシア独立戦争への参加などが知られています。彼らの貢献は大

きく、これらの国々では、中華人民共和国の場合、日本人向けの宣伝も兼ねています

が、現地で親日の命脈を保っています。

 

9.同じアジアの国々でも、親日、反日の感情には温度差があります。とは言え、日本

の首相が、靖国参拝は信教の自由、良心の自由に関わる国内問題だという論理を立て、

靖国神社に参拝されることは、日本人の自己論理を満足させることができるかも知れま

せんが、それは中韓の人々の怒りを招(まね)きます。彼らは、江沢民氏の時代の反日

教育の成果でもありましょうが、本当にそう思っているのです。靖国神社に対する彼ら

の気持ちと私達の気持ちは異なります。彼らは、靖国参拝を「鬼を拝(おが)む」と言

います。冷徹に書きます。靖国参拝は、中韓の草の根の人々と、日本の草の根の人々を

引き離します。そして、尖閣を巡って日・中が緊張している現在、海外のリーダーたち

の気持ちは、これ以上の緊張の拡大を望まないという所にあるのではないでしょうか。

そういう所からの視点だと思います。同時に私達は、海外のリーダーたちの視点の底に

あるものは、中華人民共和国政府=中共コミュニストの能動性に対する危惧だという言

うことも見ておかなければなりません。

報道では、「参拝は安倍首相を支持する保守層に応えるものでもある」などというもの

がありますが、日本の確信的保守層がアジア、アメリカ、ヨーロッパ、オセアニア

の全ての人々の中で何%を占めるというのでしょう。巨視的な視点が必要です。日本人

の確信的保守層も保守の塹壕から飛び出さなくてはならないのです。

 

10.中韓の反日的な人々の宣伝は世界に届いています。この宣伝の中で日本人のイメ

ージは汚(けが)されて来ました。私の印象では、日本人のイメージは本当に危うい所

に来ているのではないかと思っています。それを反論すべく、今、懸命に日本人は頑張

っています。かかる私も、危機意識をもって懸命にブログを書いています。諸氏のこの

ような努力さえ水泡に帰するよう、靖国参拝は利用されかねません。安倍首相が世界を

飛び回って努力されている姿には頭が下がります。しかし、靖国の場合、更に世界を見

回しての配慮が必要です。

 

11.彼らはコミュニストです。現在、彼らが、宗教というものをどのように捉えよう

としているのかは定かではありません。しかし、先ごろ、(先祖の)墓参りは質素にや

という通達を出したというニュースが報じられていましたので、死者に対する尊崇の

思いというものは、日本人と共通して持っているものと思われます。しかし彼らは、

日本人の習慣的な死者弔いの行為、即ち、①.すべての死者に対して尊崇の念を持つこ

と、②.現在の日本があることを感謝すること、③.平和と不戦を誓うこと、④.すべ

ての御魂(みたま)に対して感謝とその安らかなることを祈ることが、理解できないの

かも知れません。この事も考えておく必要はありましょう。その場合、安倍首相の仰

(おっしゃ)るように、丁寧に説明されなければなりません。

 

12.次に、彼らが単に怒っているだけの場合を考えてみましょう。この場合、怒りの

原因は、彼らが靖国神社を「軍国主義の象徴」と位置づけていることによります。こ

れも戦後の靖国神社はそうではないことが丁寧に説明されなければなりません。これが

不可能な場合、戦没者の新しい慰霊施設を造ることまで私達は考えなければなりませ

ん。また、A級戦犯と言われている人たちの分祠の問題は、今、靖国神社は単独の宗教

法人ですから、それが黒魔術のようなものでない限り、信教と良心の自由の原則が優先

すると、私は考えています。とすると、選択肢は2つしかありません。一つは新しい施

設を造ること、一つは、閣僚の方は靖国神社に参拝されないこと、この二つです。

 

13.第3に、彼らに政治的な意図がある場合を考えてみましょう。この場合、靖国参

拝は、彼らが政敵を倒すのに格好の材料となります。彼らは靖国神社を「軍国主義の象

徴」と位置づけているのですから、韓国とアメリカを巻き込み、自国の人々を動員する

ことができます。

 

14.彼らはそれを望んでいます。ここでそれと言うのは、α.日本国首相の参拝とい

う行為、β.靖国神社という対象、γ.ポツダム宣言という連合国文書の3点を結び

付けることです。そしてそれを彼らの政治行為として、世界に喧伝(けんでん)するこ

とです。

 

15.ここから見えて来るものは、第一に、彼らの大国意識であり、第二に、彼らが交

渉を含めたターゲットに定めているものはアメリカだということです。つまり、「世界

の分割交渉をするのもアメリカが相手だ」ということです。そして、既に行っています

が、これを可能にしているものが、彼らが当事者のように振る舞うポツダム条項に他な

りません。ポツダム条項は、何度も書きますが、彼らはその当事者ではないにもかかわ

らず当事者のように振る舞います。何故か?それは、ポツダム条項が、彼らの意識を自

己満足させる大国主義的なものであり、攻撃的なものであるからです。戦後68年が経

(た)ちました。日本人は、国連においてこのポツダム条項の遡及停止宣言、或いは、

そのような新世界秩序宣言が採択されるよう努力を重ねなければなりません。

 

注記:

1995年の国連決議において、憲章中の「敵国条項」は、時代遅れであり、その削除

の手続きを開始することが、155カ国の賛成で採択されています。日本はこの削

除に向けて根気よく各国を説得し、この条項を削除する手続きを進めなければなりませ

ん。

 

16.中国共産党においてこの戦略転換が行われたのは、いつだろうと考えてみると、

やはりそれは、ニクソン氏の訪中(1972年)以降の隥小平氏の時代であるだろ

うと、推察されます。毛沢東氏の時代は、自力更生が国家建設の基本路線でした。ま

た、アメリカの核爆弾は張子の虎などと言っていたのです。毛沢東氏の死去が1976

年です。この間に文革がありました。1976年から1981年は華国鋒氏が党主席を

引き継ぎました。しかし、1978年の共産党第11期中央委員会第3回全体会議で、

実権は隥小平氏に移ります。私の印象では、華国鋒氏は毛氏の路線を引き継ごうとした

人だったと思っています。1974年と1979年に、隥小平氏は訪米しています。1

981年から胡耀邦氏が党主席(この後、1982年に党主席は廃止され、総書記とな

る)となります。この時、隥小平氏は、党軍事委員会主席となり、軍を完全に掌握しま

す。隥小平氏は、1989年11月に、その席を江沢民氏に譲るまで党軍事委員会主席

に留まります。胡耀邦氏は、軍よりも人(注:これは私の造語です)の政治改革の方

針を示し、1987年に失脚してしまいます。そして、1989年4月に死去されま

す。この年の5月、胡耀邦氏の追悼と民主化を求める、いわゆる第天安門事件が起

こります。そして、民主化を求める人々に同情的であり、胡耀邦氏の後任として総書記

の地位にあった趙紫陽氏も失脚させられます。そして、いよいよ同年、江沢民氏(スペ

裁判所から、チベットの大虐殺に関与した容疑で、逮捕状が出ている彼(か)の江

沢民氏です)が総書記として登場します。

 

17.ざっと中国共産党の動きを概観しました。1985年8月15日に、当時の中曽

根首相が靖国を参拝され、その後取りやめられました。その理由として、1983年1

1月に訪日され、日中友好に大いに貢献された胡耀邦氏にたいする中国共産党内で批判

があったことが、中曽根氏の発言から知られています。このように見て来ると、198

0年代の半ばには、ポツダム条項を、中国共産党の党是とし、中華人民共和国の国是と

する大転換が行われたようです。この詳細はそのうち回顧録でも出てくればそこで語ら

れるかも知れません。

 

18.何故このブログがこの事に拘(こだわ)るかといえば、それは、このような空恐

ろしい、自国を、ポツダム条項を振りかざす国にするというドグマチックな路線を考え

たのは誰かを明らかにし、その人物に対する評価を、歴史の下でもう一度下で再考した

いと思うからです。この論理を最初に目にしたとき、私は笑ってしまいましたが、考え

れば実際これは恐ろしい裏技(うらわざ)です。これを手にすれば世界の解放者として

振る舞うことができます。第二次世界大戦の勝者として振る舞うことができます。戦後

秩序の制定者として振る舞うことができます。実際、今彼らは「戦後秩序」ということ

をよく口にします。そして彼らは連合国の「正義」まで手に入れることができるので

す。

 

19.この「ポツダム条項の教条化」を考えたのは、私は隥小平氏だと考えています

が、或いはそうではないかも知れないという留保条件を付けて、私の隥小平氏に対

する評価は変わりつつあります。私の意識の中の中国史において、現在の中華人民共和

国という国は、中国の人々の正統性を継承している国家とは思えません。その国は、新

しい統治概念を持った新集団が中国を武力で征服した、新国家として写ります。そし

て、人々と土地を支配している。そしてそこで行われているのは、共産党という政治集

団による独裁政治です。こんな独裁集団が、大国意識を持ち「ポツダム条項」を振りか

ざしたらどうなるか?それを今、日本に対して彼らは示しています。清朝の八旗が共産

党に変っただけの中国の歴史はもう終わりにしても良いでしょう。

 

20.1回のブログとしては長くなりました。訴えたいことは、中国共産党の一党独裁

が倒れた後の政権との関係です。日本と中国は友好国でなければなりません。そのため

には、現在の中国の人々の心情にも日本国総理大臣は配慮しなければならないというこ

とです。人々の信認をも得なければなりません。このことに尽きます。

そして各閣僚の方々についても、その任にある時は靖国参拝を行わないということで

す。任を終えられてから存分に参拝されればよろしいのです。

 

C.南京資料館について

 

1.南京資料館は現在の中国名で仰々(ぎょうぎょう)しい名前がついています。しか

し、南京の悲劇の対象者は、当時の国民党軍であり中華民国の人々です。ここを政府の

代表者がどなたか見舞って戴くことをお願い申し上げます。

 

2.鳩山元首相が既にお見舞いされていますが、鳩山氏の尖閣諸島に対する見解は政府

見解と異なります。見解のブレない方がよろしいかと存じます。もし鳩山氏に特使とし

て行って戴くのなら、尖閣諸島に対する見解を、政府見解に統一して戴く必要がありま

しょう。

 

3.日本と中国の友好の発展のために、この件を御検討いただき、実施して頂きたくお

願い申し上げます。

 

 

 

                 階段の向こうに見る千葉城

 

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