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海外メンタルヘルスニュース

スプーン一杯 2

2006年11月30日 | Weblog

Kittyが入院した初日の夜に私たちは担当医と話し合いました。一番知りたかったのはICUを出たあとどう治療を進めていくかということでした。

「残念ながらこの病院からは去らなければなりません。摂食障害を専門に扱うクリニックに入院して頂く事になると思います」

彼女は冷たくそう言いました。

ほとんどの入院患者は数ヶ月そのクリニックに入院することを知ったのですが、問題がありました。まず自宅から一時間以上の距離であること。そして、一日の入院費用が1,000ドルすることでした。しかも、摂食障害の治療ではHMO(Health Maintenance Organization=保険維持機構。最も有名な民間保険)は使えないと知ったのです。

ICUを去った後、私たちは大人のための摂食障害プログラムに参加しました。まるで「One Flew Over the Cuckoo's Nest(カッコーの巣の上で)」の映画の中にいるような気分でした。8年生のKittyには全く合わない場所でしたね。

それから私たちは拒食症について猛勉強しました。薬の一覧表やガイドラインを作成して治療のためにがんばったの。アマゾンで調べたら嫌になる位拒食症関連の書籍がありました。でも、そのゴミだらけの中から宝物を探し出すのは困難でしたよ。それに専門的な本はごく僅かでしたし、どの本も私の娘がどうすればいいのか教えてくれる本はありませんでした。皆書いてあることは同じで「拒食症の15%は死ぬ。約30%は治る。すぐに治療をしなければならない危険な病気だ。拒食症の50%は未婚。うつの併発率が極めて高い。10代で治療をしなかったら完治するまで5年~7年かかる」ってね。Kittyに当てはめて想像しましたよ。今14歳だから、治るまでに7年として21歳…絶望のあまり泣いちゃいましたよ。

さらに調べ続けましたよ。諦めたら終わりですから。ようやくたどり着いたのが1997年の文献でした。イギリスので、アメリカでは全然知られていない療法について書かれていたんです。「Maudsley approach」という家族療法が基盤の治療法について詳しく書かれていたんです。随分勉強したからしっかりまだ覚えていますよ(笑)1980年代にロンドンのMaudsley病院(ヨーロッパ最大の精神医学研究機関)に勤める医者Christopher DareとIvan Eisler先生が考案した療法。基本は単純ですよね。看護士がベットの脇に座って拒食症患者に食べるように励ましたりサポートしたり。食べるための「文化」を作りあげるのが重要なんですよ。病院ではそれが看護士の仕事だけど、家では家族がその役割を担うと。怒ったり無理やり食べさせるんじゃなく「文化」を作ってあげるの。

それらの文献は10代後半~20代前半の拒食症患者が被験者だったけど、90%が改善されてるの。多少の改善ではいの。数年かかってるけど、皆完璧に克服してるのよ。私は「これよ!」と思いました。

多くのセラピストは家族を部外者扱いします。治療に関しては素人ですけど、家族を交えての治療は重要ですよね。でも診療中は参加出来ないですし「私たちに任せなさい」という態度ですから…でもMaudsley approachは全然違いました。家族が一番重要なんだと。子供が出来る「選択」は食べることだけ。チューブは無しよ。他の人はどう思うか分からないけど、私たちには一番良いアプローチだと思いました。





スプーン一杯 1

2006年11月29日 | Weblog

昨年の7月のとある日の午後、私は娘Kitty(pet name=愛称)のベットの脇に腰掛けました。ハーゲンダッツアイスクリームのコーヒー味とミルクで作ったミルクシェイクを持ってね。でも、Kittyは震えて毛布に包まっていて私のほうを見ませんでした。「Kitty ママが作ったミルクシェイクよ」と優しく、でも少し強い口調でそう言いました。飲んで欲しかったから。

690キロカロリー 

私にとっては690キロカロリーのミルクシェイク。でもKittyにとっては恐怖の690キロカロリー。

「ママは私は太らせようとしている!!」

すごい声でそう怒鳴りました。何度も何度もお腹を触ってはこう繰り返しつぶやいていました。

「私は醜い豚。私はデブ…」

その夏Kittyは14歳でした。身長は4-foot-11(1 foot=30.48cm)で体重は71pounds(1 pound=約453g)

「ミルクシェイクを飲みなさい」冷静にまたそう言いました。

Kittyはその声に反応して顔を上げましたが、その顔を見て愕然としたのを覚えています。14歳の子供の顔じゃなかった。

「いいからミルクシェイクを飲みなさい!!」

その一瞬はわれを忘れたかもしれない。

結局2時間声をかけ続け、ストローを口に持って行ったりして何とか飲んでくれたの。飲み終えたときは既に布団にまるまっていてすぐに目を閉じて眠りについた。でも、寝てる時でも顔は強張ったままだった。

Kittyが拒食症と診断されたのは数週間前の6月。私と旦那はその数週間前からKittyの様子が変なことには気づいていてはいました。急にグルメの本を熱心に読み始めて粗食になったので何か変だなとは思っていました。でも、それが何なのかは分からなかった。Kittyは私の職場にまで電話をかけてきて「ママ今日の夕飯は何?」「じゃあ、明日の夕飯は??」と何度も繰り返し聞くようになったのです。それから、毎晩部屋で数時間運動もしてました。

母の日にKittyは「私強迫性障害かもしれない。だって食べ物のことについて考えるの。止まらないの」って言ってきたのです。

私たち夫婦は話し合いました。

「もう14歳。過保護にするべきではない」

Kittyは通院はしたくないと言ったし、私たちもその時はそれを望まなかったのです。

Kittyは細かった。本当に細かった。食べるものと言えば、ヨーグルトやフルーツにちょっとした野菜。普通で考えれば健康的な選択ですよね。

8年生の終了式にKittyを見た時何かが変わったとようやく気づきました。遅すぎたのかもしれませんが、危険を感じました。翌朝すぐ先生を呼んだの。そして、その日が拒食症と診断された日でした。先生はKittyと私たちにもっと食べるようにと注意しました。自分の専門ではないから摂食障害専門家を紹介してくれてさっさと帰って行きましたよ。それから2週間後私たち夫婦はその摂食障害専門家に会いました。私たち夫婦にとっては希望の人でしたが、それでもKittyは十分な食事をしとうとはしてくれませんでした。励まし続けましたが、時に怒鳴ってしまうこともありました。そして、Kittyもそれに反発するかのように「お腹がすいてないからしょうがないじゃない」と泣き叫んだこともありました。

それからしばらくしたある日の夜、突然Kittyは料理をしはじめたの。でも料理しただけで何も食べなかった。私は半分泣きながら水だけでも飲むようにと言ったのですが、Kittyはのどが渇いてないからと言って飲んではくれませんでした。それから数十分後、胸を押さえながら「ママ、胸が何かおかしいの…」と言いにきたの。

Kittyは即座にICU(集中治療室)へ運ばれました。チューブで栄養補給をしてくれたのですがKittyはなき続けていました…

「何も味を感じない!!」

「当たり前でしょ!何も食べないんだから仕方ないじゃない!」

冷静さを欠いた私たちに医者は2つの提案をしてくれました。1つはプロテイン入りのシェイクと少量のパスタを30分以内に食べること。そしてもう1つの選択はそれが嫌ならチューブを続けること。

Kittyは食べることを選択しました。一日三食ね。少量でしたが、それでも一日で食べた量はちょっと前のKittyの一週間の食事量を上回っていました。嬉しかったわ。







Sal's Placeが最優秀賞を受賞 (Lancaster)

2006年11月28日 | Weblog
ランカスターのドメスティックバイオレンスセンターがこの程「最優秀賞」を受賞した。このドメスティックバイオレンスセンターは「Safe At Last Place」のプロジェクトとして2005年5月に設立された。Sal's Placeは有名人から支援を受けての設立で、多額の支援金を出したのは「Coronation Street」で人気の主演女優Sally Lindsey

ランカスターはドメスティックバイオレンスが最も多発する場所であり、約2時間に1回ドメスティックバイオレンス関連の連絡が警察に届けられる。2003年の報告書では1,000人中約150人が被害者となる計算になっていた(その他の地域も約10%なのでどこも高いのが現状)






少年院から児童院へ (英国)

2006年11月27日 | Weblog

18歳未満の犯罪者が少年院へ送致されなくなるかもしれない。少年院の代わりに児童養護施設(children's home)での更生を目指してはどうか?そんな提案が内務省より先週された。親が居ない子供たちと共に生活をさせて更正を促す。塀や鉄格子に囲まれた場所ではないので出入りは自由になるし、学校への通学も認められる。勿論反対意見が多いのだが、少年院のシステムが上手く機能していない現状を考えると(予算や人員の問題)この提案は通るかもしれない。ただし少年犯罪が増える可能性は大なので、揉めに揉めるでしょう。




精神科への入院受け入れを中止 (米国 マサチューセッツ州)

2006年11月25日 | Weblog

11月22日から州立病院の精神科への入院患者の受け入れが中止され、多数のスタッフが解雇される。これは、マサチューセッツ州知事ミット・ロムニーが今月上旬に急遽発表した予算削減を受けての対処である。

精神科の一部の機能が停止するだけではなく、職員の解雇は精神科で働く人々だけでなく全ての職員が対象であり、州立病院で働く職員の約40%が職を失うことになり、州全体を揺るがすニュースとなっている。






トイレ恐怖症

2006年11月23日 | Weblog
BBC Newsより

Pete(40歳)は6歳の頃からトイレに行くことに対して抵抗感を持っていた。現在、彼は強迫性障害であり、汚れに対して過剰な拒絶反応を示す。

彼は11歳のときまでジャマイカに住んでいた。そして、そこでの経験が今の彼を形成したと彼は考えている。

トイレは彼の最も苦手な場所の1つである。外出する前は例えそれが短時間であれリスクを回避するためにトイレに行ってから出かけるようにしている。自分の家のトイレだと問題がないわけではない。便座には決して座れないので中腰で用を足す。そして、彼の子供にもそれを強要している。用を足した後はトイレットペーパーで手を包み、水を流すレバーをそっと押し、トイレのドアを開けて出て行く。場所や状況によっては足でおこなうこともある。

現在マンチェスター在住のPeteは公衆トイレを使用しなければならない状況に度々陥る。そんな時、彼は一日中食事が出来なくなる。自分の体が細菌で侵されていると感じるからだ。あまりに不衛生な公衆トイレだと完全に拒絶反応が起きるので、他のトイレを探す。どんなに綺麗なトイレでも可能なことなら使用したくはないというのが本音である。

彼は他人の衛生状態も気になって仕方がない。スーパーの店員は毎回きちんと手を洗っているのだろうか、握手してくる人の手は綺麗なのだろうか…?

そんな彼だが、彼自身は最近症状は良くなってると信じている。12年前から参加している自助グループが彼をそう感じさせているようだ。

「この障害は私の人生に多大な影響を与えてくれました。子供の時は何も出来なかったし、誰も私に何かをしようとは言わなかったんですよ。なぜかって?野球ならバットもボールも触れなかったし、公園に行っても無邪気に泥だらけになって遊ぶことなんて出来なかっのですから。『変な奴』といわれてましたよ」

「今でもこの問題は私から去ったわけではないこは理解しています。でも、信じられないかもしれませんが、これでもすごくすごくすごく改善されたんです」

Peteによれば重要なことは自分とその障害を否定せず認めること。そして、諦めずに向き合うこと。

「多くの人がこの障害で苦しんでると思います。だけど隠してる人も多いでしょう。1人で抱え込んでる人もきっと多いことでしょう。だけど、誰かに話して治療を開始しない限り前には進めないと思います」


関連ページ:
Shy Bladder Syndrome/Paruresis(トイレ不安)

何が問題なのか? その7

2006年11月22日 | Weblog
「私たちは、現在様々な子供のメンタルヘルスの障害の定義が重複している事実を認めています。否定はしません。明確にするために努力しています」Darrel

今までは子供や親の訴えは無視されてきた。もし、彼らが幸運だったのならば良い医者にめぐり会えて、訴えに耳を傾けてくれたのかもしれない。その程度である。徐々に問題が公になった今でも差ほど変化はないのかもしれない。

数ヶ月、数年に渡り「信用できる医者」を探し続けてる親が多い事実はあまり知られていないかもしれない。しかし、それだけの期間探し続けても見つけられず、最終的には諦めて妥協してしまう。

「当てはまる症状があれば双極性障害というわけではありません。ADHDも同じですね」

デトロイトで働くCarolyn医師はこう言う。

「子供の時期はとても微妙なんです。短期間での変化がとても激しいですから。体の成長と一緒ですよ。だから頻繁に観察し彼らの状態を知ることを怠ってはなりません。産まれたときからの病歴等も非常に重要です」


「結局は頼れる人はいません。私たちで取り組むしかないんですよ」こう結論付けるのはCamille。彼女の息子はここ数年間で6の診断名を告げられた。彼は確かにどの障害にも属さない。なぜならば、複合的な言動を示すからである。しかし、個別でみていけば、どの障害にも該当する症状がみられる。その結果「6の障害を持つ少年」となった。それぞれの医者はどの症状に重点を置いたのかで診断名が変わったのであろう。総合的に判断して長期的に取り組もうとした医者はいなかった。保険を適用して薬を処方するためのとりあえずの診断名ではなかったのだ。

そして現在、彼は7つ目の診断名を得た。「自閉症」である。自閉症と判断したのは、彼の母親Camilleだった。

「一番合うのが自閉症だと思うんです。総合的に判断してね。勿論、これが完璧な判断だとは思っていません。でも、他の障害で考えるよりしっくりくるの。双極性障害やADHDのための薬も飲んだけど全く効果はなかったし、違うと思うの」

そして、彼女はこう付け加えた。

「私にとって今一番重要なことは様々なことに挑戦することなの。新しい診断がされると、それによって新しいサービスが受けれるでしょ。スピーチセラピーだったり、珍しい子供だから名がある専門家の目に留まったり。こういう積み重ねが子供を本当に歩かなければならない道へ導いてくれると思うの。今徐々にだけど、正しい道に近づきつつあると思ってるわ」

-完-



何が問題なのか? その6

2006年11月21日 | Weblog
しかしながら、当事者であっても当然この流れに疑問を持つ親も存在する。Evelynがその1人だ。

「息子の様子が変だったので神経科医に診察に来てもらったんです。彼はTime誌の双極性障害の記事を私の前に突きつけてきました。それでいとも簡単に診断して車で帰って行きました」

10歳の息子に下された診断は勿論双極性障害であった。

彼女によれば、息子は突然の環境の変化がある時に強い反応を示すと言う。また、線維や化学物質に対する反応も強い。

「学校には息子は双極性障害ということで伝えています。医者の診断ですから…確かに特別な支援(アメリカでは学校は障害を持つ児童・生徒に対して適切なサービスを提供することが義務付けられている)を受けられていますし有難いとは思います。でも、私は違うと思うんです。子供に本当に必要なサポートとは違うと思います」

彼女は息子が双極性障害ではないと信じている。だから、双極性障害の子供のために提供されるサービスは意味をなさないと考えているのだ。

Paul(13歳)は診断は単なる一時停止みたいなものと考えている。決して長くはない人生の過程で彼は抗うつ剤、睡眠薬、安定剤などの薬を言われるがままに飲み続けてきた。そして、彼は薬や自分の病気について無頓着になっていった。

「医者は僕を助けてくれる存在だと思うこともあれば、全くそう思わないときもあるよ。彼らが僕を時々狂わしてるんじゃないかってね」

彼の母親はここ数ヶ月間でPaulに素晴らしい改善の兆しが見えたという。感情をコントロール出来るようになり、他の子供たちと野球やフットボールを楽しむことが出来るようになった。メッツファンのPaulが野球を楽しんでる姿をみられることは母親にとっては言葉に現せない程嬉しかったに違いない。しかし、Paulは医者との面談に疲れきっている。日常の出来事を報告するのに辟易している。そして、彼と彼の母親もいつか訪れるであろう、双極性障害と診断される日を全く望んではいない。一時停止を繰り返してきたPaulが、最終的に停止する地点が双極性障害になるとこの親子は予想している。

あまりにも不透明な子供の双極性障害をもっと明確にし、新しい基準を設けようとする動きが最近出てきている。Harvard Universityは全米を対象にした研究を今年終え、来年その結果を報告する予定である。

ある記事はこの混沌とした状況についてこう結論付けている。

「この問題に取り組むのはワニとゴリラと同時に闘うようなものだ」

確かに表現の違いはあるが、多くの者が心の中で思ってることかもしれない。しかし、ワニとゴリラと同時に闘わなければならない人物も多く存在する。その1人がDarrelであろう。

The American Psychiatric Association(APA)のトップの1人で2011年に改訂版の出版が予定されている「Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (DSM)」の総責任者である。




何が問題なのか? その5

2006年11月20日 | Weblog

「この病気だと分かったことに感謝してるの。4年生の時にやる気がなくなってそれからずっと続いてるわ。私の中にあった『正気』は窓から捨てちゃったの」こう語るのはKatherine(14歳)

彼女は衝動的でイライラしやすい女の子になった。そして彼女はこう付け加えて言った。

「授業中に変なことを言うの。牛のように『モー』と言ったり、小さな赤ん坊のようになったり。どうしてそうするかって?そんなの自分でも分からないわ。そうしたいからするの」

訪れた病院先で即座に診断名が言い渡された。それは双極性障害であった。彼女の母親サイドに双極性障害の人がいたという事実も容易に診断された要因かもしれない。彼女は感情を鈍らせる薬を飲み始め、新しい学校に転校した。正気を捨てたと語る彼女だが、現在はこの新しい学校生活に適応している。

「双極性障害と診断されたときはそれはもう驚きましたよ。そうね、Mack truck(巨大なトレーラー)に撥ねられた感じかしら?撥ねられたことないから分からないけど」と言って笑うのはKatherineの母親。「でもすぐにその診断は正しいと思ったわ」彼女も多くの双極性障害の子供を持つ母親同様に自身の経験を書き本を出版している。

確かに子供の双極性障害が増えているのは事実であろう。しかし一方で、アメリカ国内に止まらず世界中で過剰診断されていると信じている専門家は依然として多い。

最も歴史のある子供のメンタルヘルス調査の1つでは、9~13歳の4,500人の子供のうち”full-blown(開花・満開・本格的)の双極性障害”の件数は0で、”nascent(新生)の双極性障害”が数件報告されているのみである。調査によってかなりの隔たりがある。

子供の双極性障害は大人のそれとはかなり異なる。一日の間でスポットライトを浴びたりスポットライトから離れることを繰り返す。即ち気分の変動が激しい。(大人で一日で気分の変動が繰り返し起こるケースは稀)そして、うつ状態のとき上機嫌というより興奮状態が強い。

The National Institute of Mental HealthのEllenによると子供の双極性障害は大きく2つに分類することが出来る。1つは大人と同じ症状で家族にも双極性障害がいるグループ。しかし、これは少数派である。もう1つは、感情調整に対して重大な問題を持っているグループ。家族には双極性障害はいないが、他のメンタルヘルス関連の問題を抱えている場合が多い。

「この2つのグループを一緒に捉えて考えるのは過ちです。しかし、現実はその過ちを犯しています」とEllenは指摘する。

しかし、双極性障害の子供、もしくは可能性が強い子供を持つ親にとってはEllenの指摘は単なる「学術論」に過ぎない。どちらのグループに属しているにせよ、子供たちが感情を抑える薬を処方されることによってある種の効果を目の当たりにしている。そして、多くの親はそれを望み喜ぶ。

だから専門家が危険性を訴えても当事者達にはそれはあまり関係ない話である。双極性障害から外されれば長期の診察が始まり、薬も処方されなくなる可能性が高くなる。子供も両親も再びあの苦しみを味わうが、反対の立場にいる専門家は救ってはくれないし、それを軽減する治療法も決して教えてはくれない。