あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

小保方晴子さんの『あの日』はいつだったの? ⑧

2016-06-11 14:58:08 | 小保方晴子さんの『あの日』はいつだったの

      写真撮影は2016/5/19~20 新緑の福井県へ

      福井県池田町足羽川で。 ボート体験リラックス~~!

 

  手記「あの日」の前書きには「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか。一体、いつからやり直せば、この一連の騒動を起こすことがなかったのかを考えると、自分が生まれた日さえも、呪われた日のように思える」と述べています。

 

  これまで単純に「スフェア細胞と信じて実験していたのに、いつかES細胞が混入していた」その日が「あの日」ではと単純に思っていたのですが、小保方さんは産まれた日から一連の騒動が始まっている、と言うのでしょうか? なんだか物事をあいまいにしているようにも感じますが・・・。

 

  そう言いながらも「私だけが責められて、ES細胞混入犯人にしたてあげられた」と恨み節も書いています。彼女がSTAP論文の筆頭著者として責務を負うのは当然でしょうが、やはり外見や周囲の人間関係などがさらに興味関心を惹いたことも事実でしょう。(まさかではありますが、美しく産まれたから、ということでしょうか?)

 

  そしてSTAP論文の画像取り違えやデータ不足などについて、会見では「・・・自分の不注意、不勉強、未熟さで猛省しているが、故意・悪意ではない」と繰り返しました。しかし今では名言ともなった「STAP細胞はありまぁす!200回以上作製に成功しました」のことばどおりその存在は信じているようです。それならばこれまで積み重ねてきた実験結果、解析したデータ、記録としての実験ノートを提出して説明して欲しいです。なぜできないのでしょう?

 

  そういえば「あの日」にもバカンティ教授の宿題をまとめるために猛勉強して「一週間に古い論文を200本読んだ」というエピソードがあります。うう~む、200という数字が好きなのかな? 古い英語で専門語いっぱいの論文を、実際に200本読みこなすことができるのかなあ?と劣等生は考えます。まあ数が大事ではなく、問題は内容でしょうし・・・。

 

  最終部分の「・・・メディアからの激しいメディアスクラムという暴力、世間からの冷たい目、さらには早稲田大学の博士号まで『世間の風調に従うように剥奪されてしまった』」という博士論文の説明で、あいよっこの疑問は最高潮に達しました。

 

  早稲田大学博士論文は製本会社できちんと製本して大学に提出するのですが、製本会社への論文を「最終完成論文ではなく、作成初期段階の草稿を取り違えて出した」というのです! (博士学位授与は2011/3/15)博士号の剥奪は「内容に盗用・改ざんがあった」からでしたが、それ以前にいくら高熱で体調不良であろうと、多忙であろうと言い訳にならない、ありえない事です。

 

  おそらくその博士号とバカンティ研究室への留学経験が、2011年4月に理化学研究所の客員研究員となるのに大きく寄与したと思われます。それほど大事な、言わば自分の科学者としての証明でもある論文の管理がきちんとできないのでは、すでに「資格がない」と思えます。「大好きな実験や研究を続けたい希望」とは矛盾しているのでは?

 

  だけど不思議なことに同時に違う感想を持ってしまいます。いったい彼女はどのくらいかかわったのかな? 博士論文はもちろん、最初からの論文やSTAP論文に至る学術論文類を書いたのは誰? 「仕組まれて、ハシゴをはずされた」と言うけれど、それはいったい誰が行った? などの疑問が沸いてくるのです。 

         ???  続く  ???

 

            野生のフジ 大木で迫力ある

        中池見湿原  古木が自然のオブジェ

         金ヶ崎城址の月見御殿から新日本海フェリーを 


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