あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

小保方晴子さんの『あの日』はいつだったの? ⑤

2016-05-14 11:56:06 | 小保方晴子さんの『あの日』はいつだったの

        写真撮影日は2年前の2014/4/10「桜守の旅:桜案内人と行く南信州名桜物語」 

      (南信州観光公社)です。 写真上:もやがかかった下伊那郡地域

 

 学術論文は普通の人には理解が難しいですが、それをわかりやすく説明するのが「手記」の目的だと期待していました。ですが「あの日」では最初から細胞生物学の専門的言語や実験・解析などの難しい記述が続き、読み進めるのが大変です。

 

 結局のところ理研調査委員会から「STAP論文データのねつ造・改ざん、ES細胞の混入」という終息宣言が出されたわけで、手記においてさらなるミスは絶対に許されず、慎重に書いているのかもしれません。

 

 ところが「若山教授への疑惑」が持ち上がるあたりから文章がスムーズに流れ始め、被害者の立場となったご自分の表現はとても饒舌でなめらかです。最後の「滂沱の涙(ぼうだのなみだ)」には「どうか小保方さんの大好きな研究や実験を続けさせてあげて~!」とあいよっこもお祈りしていました。

 

 つまり他人やメディアなどを攻撃する部分ではとっても能弁なのですね~。ううむこの人は科学者というより、どちらかというと感情・心情の表現には筆力を発揮する作家みたいだなあ。

 

 だけど一息ついて考えると「あの日はいつ?」という結論はもちろんありません。また「テラトーマ形成が3胚葉由来すべての組織で形成されたのか?」、これはつまり、「自分責任の領域でTCR再構成(T細胞受容体で起こる遺伝子再構成)はきちんと存在したのか」(※あいよっこ注です。ややこしい)、さらに「STAP論文は誰がどの部分を担当したのか」、「自分の保管庫にあったES細胞に関してどんな認識だったのか」、などの肝心なことはあいまいです。 

 

 文中で最も重要なところは若山教授など実名で登場する研究者の部分です。確かに彼が「細胞の由来が詳細にわかる『次世代シーケンサーによる解析は行わないよう』と指示を出した」(※つまりES細胞が使われていることを隠すため?:あいよっこ注)とか「キメラマウス作成実験に決して立ち会わせてくれなかった」などからは不信感や疑義を持つのはわかります。

 

 だけど問題発覚後に「(小保方さんの)名前を記した保冷ボックスから若山先生がサンプルを抜き取って持ち帰った。重要なサンプルだったが、どれが無くなったのかわからない」「私のほうはすべて先生に話し、任せていた」と書いていてびっくりです! 実験では最も大事なサンプルやデータ、その保管・管理のずさんさと「人まかせ」を堂々と書くなんて・・・。 

 

 もしネイチャー誌に掲載されたらもちろん若山先生も名誉なり、さらなる研究費(?)なりを獲得できるのでしょうが、反対にもし「自分がES細胞を使った」と明らかになれば研究者としてはおしまいです。それほどのリスクを冒してまで首謀者となるのかな?とも思ってしまいます。

 

 手記では「若山先生を(ES細胞を混入させた)犯人呼ばわり」していますが、少しでも事実と異なるのであれば「名誉棄損で告発」などもありうるわけで、「相応の細心チェックと根回し的なこと」がなされているのでしょうか? 

 

 それにしても若山教授はなぜ反論されないのでしょうか?不思議といえば不思議です。これから?

             ***続く***

 

        下伊那郡の民家で育つ名桜(詳細わからず、すみません)

 

         下伊那郡 の良い雰囲気のお寺

      麻績の里(おみのさと)舞台桜付近の 由緒ある石垣

          麻績の里(おみのさと)舞台桜の下で

          舞台桜は珍種花びらが5~10枚ありボリューム感がある

          ちなみにツアーの「桜守り」はこれを発見した人です

          石塚の桜 古墳のうえにあり、姿が美しい


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