2ヶ月ぶり?ぐらいの投降です。とてもご無沙汰しとります・・・
色々ありましたぁ。
10月、11月と出張でそれぞれ1週間ずつ、茨城と兵庫へ出向き。兵庫出張の後はもちろん、数日、大阪へ帰郷。叔母(母の妹)が入院している滋賀の病院へ見舞いました。残念ながら、これが生前の彼女に会えた最後の機会となりました。
11月中旬から胃の調子が悪くなり、常に、喉の閉塞感と吐き気が取れず、病院へ。エコー検査の結果、問題なし。薬を飲んで様子を見るものの、良くならず、胃カメラ検査をすることになりました。
胃カメラ検査、相当びびってましたが、意外にも余裕でした!喉の局所麻酔(ちょっと、苦い&きもちわるいけど)をきちんとしてもらえば、なんてこたぁないです。検査中も余裕でモニターが見れるほどでした。
そして、結果は、表層胃炎。まぁ、胃の粘膜が少し荒れてますねぇ。という感じで、ガスター10を処方してもらって終わり。最近になってやっと治まってきているような・・・
そして、今年の最も悲しい出来事がありました。12月8日(水)午前9:00頃、叔母が他界しました。享年、56歳(満57歳)でした。
昨年末から体の不調を訴え、今年の春頃には、すい臓癌と診断されていました。既に、他の臓器にも転移しており、分かった時には癌のステージ4、余命わずかと宣告されていたということです。
私が幼い頃はよく面倒を見てくれ、いつも気丈に振る舞い、強くて明るく、頑張り屋さんな叔母でした。とても寂しく、悲しいですが、病気の苦しさからこれで解放されたのかと思うと、なんだか、複雑な心境でもあります。
先週の9日(木)が通夜で、10日(金)が告別式。私は参列の為、滋賀へ出向きました。にもかかわらず、喪服を忘れてしまいました。。。最後に入れようと吊していたのに、出発前のバタバタで入れるのを忘れたのです(泣)
叔母の家に着くなり、「喪服忘れた!」と叫んでしまった私・・・すると、「サイズは?9号でいいよね!ちょっとまっとき!」とお手伝いで来てくれていたご近所の女性の声が。数分後には、彼女が昔若い頃着ていたという喪服が届きました。ありがたかったです・・・こんな私を叔母は笑っていたことと思います。
きちんとして、叔母のお別れの時に参加したいと思っていたのに、情けないやら、恥ずかしいやら、しばらく落ち込みました。故人やその家族へも失礼のないようにと、喪服も何もかも揃えたというのに・・・
そして、後から分かったことなのですが、私に喪服を貸してくださった女性には、3人のお子さんがいて、なんと、長女の名前が私と同じ(あつこ)、そして、次女の名前が私の妹と同じ(あやこ)ということが分かりました。これも、何かのご縁なのか!?と不思議な出来事でした。
叔母の告別式は厳かで立派なものでした。田舎のお葬式は、それはそれは丁寧に故人を送る儀式を行います。何度もお経をあてげ、お焼香を繰り返し、故人の魂を癒すのです。
叔母の残された家族の姿を見ていると、家族の想い出や、叔父と歩んだ30年間、語り尽くせないほどの家族の歴史があることを思い、心が締め付けられるほど苦しく、悲しく、気の毒でなりませんでした。
人はこの世に生を受けた以上、いずれは逝く時が来るのは分かっています。永遠に続くものなんてないことも分かってるけど。悲しいです・・・
今を精一杯、大切に、そして、悔いのない生き方をしないといけないなぁと改めて思いました。
叔母は安らかな眠りにつきましたが、これからも、家族や親戚、友人、彼女を知る多くの人々の心の中で生きづつけることと思います。そして、天国から私たちを穏やかに見守ってくれていると思います。
みっちゃん、本当にお疲れ様でした。そして、沢山、沢山、ありがとう。
色々ありましたぁ。
10月、11月と出張でそれぞれ1週間ずつ、茨城と兵庫へ出向き。兵庫出張の後はもちろん、数日、大阪へ帰郷。叔母(母の妹)が入院している滋賀の病院へ見舞いました。残念ながら、これが生前の彼女に会えた最後の機会となりました。
11月中旬から胃の調子が悪くなり、常に、喉の閉塞感と吐き気が取れず、病院へ。エコー検査の結果、問題なし。薬を飲んで様子を見るものの、良くならず、胃カメラ検査をすることになりました。
胃カメラ検査、相当びびってましたが、意外にも余裕でした!喉の局所麻酔(ちょっと、苦い&きもちわるいけど)をきちんとしてもらえば、なんてこたぁないです。検査中も余裕でモニターが見れるほどでした。
そして、結果は、表層胃炎。まぁ、胃の粘膜が少し荒れてますねぇ。という感じで、ガスター10を処方してもらって終わり。最近になってやっと治まってきているような・・・
そして、今年の最も悲しい出来事がありました。12月8日(水)午前9:00頃、叔母が他界しました。享年、56歳(満57歳)でした。
昨年末から体の不調を訴え、今年の春頃には、すい臓癌と診断されていました。既に、他の臓器にも転移しており、分かった時には癌のステージ4、余命わずかと宣告されていたということです。
私が幼い頃はよく面倒を見てくれ、いつも気丈に振る舞い、強くて明るく、頑張り屋さんな叔母でした。とても寂しく、悲しいですが、病気の苦しさからこれで解放されたのかと思うと、なんだか、複雑な心境でもあります。
先週の9日(木)が通夜で、10日(金)が告別式。私は参列の為、滋賀へ出向きました。にもかかわらず、喪服を忘れてしまいました。。。最後に入れようと吊していたのに、出発前のバタバタで入れるのを忘れたのです(泣)
叔母の家に着くなり、「喪服忘れた!」と叫んでしまった私・・・すると、「サイズは?9号でいいよね!ちょっとまっとき!」とお手伝いで来てくれていたご近所の女性の声が。数分後には、彼女が昔若い頃着ていたという喪服が届きました。ありがたかったです・・・こんな私を叔母は笑っていたことと思います。
きちんとして、叔母のお別れの時に参加したいと思っていたのに、情けないやら、恥ずかしいやら、しばらく落ち込みました。故人やその家族へも失礼のないようにと、喪服も何もかも揃えたというのに・・・
そして、後から分かったことなのですが、私に喪服を貸してくださった女性には、3人のお子さんがいて、なんと、長女の名前が私と同じ(あつこ)、そして、次女の名前が私の妹と同じ(あやこ)ということが分かりました。これも、何かのご縁なのか!?と不思議な出来事でした。
叔母の告別式は厳かで立派なものでした。田舎のお葬式は、それはそれは丁寧に故人を送る儀式を行います。何度もお経をあてげ、お焼香を繰り返し、故人の魂を癒すのです。
叔母の残された家族の姿を見ていると、家族の想い出や、叔父と歩んだ30年間、語り尽くせないほどの家族の歴史があることを思い、心が締め付けられるほど苦しく、悲しく、気の毒でなりませんでした。
人はこの世に生を受けた以上、いずれは逝く時が来るのは分かっています。永遠に続くものなんてないことも分かってるけど。悲しいです・・・
今を精一杯、大切に、そして、悔いのない生き方をしないといけないなぁと改めて思いました。
叔母は安らかな眠りにつきましたが、これからも、家族や親戚、友人、彼女を知る多くの人々の心の中で生きづつけることと思います。そして、天国から私たちを穏やかに見守ってくれていると思います。
みっちゃん、本当にお疲れ様でした。そして、沢山、沢山、ありがとう。
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