2015年8月22日、元気な女の子を無事出産しました。
もう忘れそうなんだけど、思い出して記録を残したいと思います。
今回は計画無痛分娩でいくと決めていました。
咲希の時は破水から始まって、微弱陣痛、促進剤での出産となり、2日半もかかって、体力の消耗で痛みがすごかったから。。。
あの痛みを軽減してるれることを期待して無痛分娩を選択しました。
8/20に入院して翌日に和痛分娩という計画分娩でしたが
1日目、8/20入院
この日は朝10:00に病院到着、検診の後、子宮口を開くためのバルーンを挿入。
バルーン挿入はほぼ痛みがないものの、風船の中に50ccの水を入れる時に膨らむ感覚が痛い。
せんせーい!痛いです!あとどれぐらいですか?と聞くと
あと、20ccです。痛いと思わないでと。
痛いんですよ。。。
挿入後は違和感はあるものの痛みはない。
その後は入院部屋に移動して夕方までゆっくり過ごす。
16:30頃、ナースコールで呼ばれて検診。
これで、子宮口は4cm開いてますよーと先生。
ゆっくりバルーンを外して、子宮口の開きを確認。
先生が、あれ?赤ちゃん遠いな~届かない
またかという感じ。。。
子宮口は開いているのに赤ちゃんの位置が高すぎて頭が触れないとのこと。
こんなこと滅多にないんだけど、おかしいなぁと首を傾げる先生。
咲希の時もそうだった。
破水してるのに、子宮口ガチガチに閉じてるわ、頭の位置は高いわ、全く降りてこないわ。
また同様の状況なのかと、一抹の不安を感じながらも、翌日の促進剤で良い陣痛がきて、赤子がおりてくることを祈ってこの日は終了。
2日目、8月21日
本来ならこの日が計画出産予定日。
7:00起床、シャワーして朝食を済ませて、促進剤の準備の為、部屋移動。
9:00から促進剤開始
途中の内診で、全く開いてないねー赤ちゃんも遠いと先生。
もう一度、バルーンを入れて刺激してみましょうと。
が、これが入らない。
そして、激痛…
3回もトライしても入らず、諦めることに。3度の激痛は何だったのかと、今思い返してもこの処置が一番痛くてしんどかった。
しばらくは、誘発をしつつ様子をみるものの、全く陣痛が始まる気配もなく・・・
お昼前に、パパと咲希も面談にきてくれるも、私は待機室で点滴やら機械のモニターにつながれているので、少しの間一緒に過ごして、2人は一旦帰宅。
14:00時ごろ
年間何千人もの妊婦を診てきているベテラン産科医もこんなことは稀だと頭をひねりつつ、人口破膜して、赤ちゃんが降りてくることを期待しようということになりました。
ここからが早かったのです。無痛分娩の麻酔を手際よく済ませ、先生のゴッドハンドで破膜。
その後、グイグイきまして、痛みも強くなってくる。
けど、段階的に麻酔の量を増やしてくれるので、あの陣痛の痛みに悶絶することもなく、赤さんの頭がどんどん降りてくるのまで感じられるほどでした。こんな時は深呼吸だわね〜と深い呼吸をゆっくりとできるほど。
そこから3時間ほど経った17:00頃、最後のいきみが必要なので少し痛みを残すよと先生。30分間悶絶の時間を過ごしたものの、咲希の時と比較すると一瞬の陣痛。
最後に先生が楽にしてあげようねと、更に麻酔を追加。
18:51 分娩時間5時間51分(姉の時は2日半)で元気な女の赤ちゃんが生まれました。
名前は眞衣(まい)です。
「眞」には「まじりけがない、しぜんのまま、ありのまま」の意が込められ、「天性のものを失わず、自然に人生を歩んでほしい」と願って命名しました。
今回の出産はいろんな意味でリラックスして臨むことができました。
私のような難産妊婦相手に帝王切開に至らず、経膣分娩をさせてくれた先生に感謝です。
麻酔の処置、吸引、縫合、全ての処置に痛みが少ないという先生の職人技。
本当にいい先生に巡り会えたと思います。
そして、今回も長女の時と同様、出産、育児は自分たちで向き合い乗り切りたいという思いから、里帰りすることなく沖縄での出産を選択しました。
大変なこともありましたが、パパと咲希の頑張りもあり、また一つ家族の絆が深まったなーと感じております。
長々しい乱雑な文章ですが、最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。