〈速報〉「トラック野郎」ほか/菅原文太さんメモ
2014年12月1日 朝日新聞

映画「トラック野郎」「仁義なき戦い」シリーズなどに出演した元俳優の菅原文太さんが死去していたことが1日、分かった。
◆菅原文太(すがわら・ぶんた)1933年(昭8)8月16日、旧満州(中国東北部)生まれ。
高校まで仙台市で育つ。早大中退。58年新東宝にスカウトされ「白線秘密地帯」で映画デビュー。代表作に「仁義なき戦い」シリーズ、「トラック野郎」シリーズなど任きょうものが多い。09年に山梨県韮崎市で農業を始め、俳優業の一線から退いた。
■「賢さを表に出さずに暴れる賢さがあった」高岩淡・元東映会長
《高岩淡・元東映会長の話》 文ちゃんは新東宝でデビューしたんだけど、あまり芽が出ず、流れ流れて東映に来た。私が東映京都撮影所長になる少し前、若山富三郎さんの子分を演じた「極道」(68年)の撮影で初めて会ったのかな。長身でがっちりしていて、ほかの俳優と違ったインテリジェンスを感じさせる人でした。話し方も物腰も落ち着いていましたね。そんな文ちゃんが「仁義なき戦い」で暴れまくる。文ちゃんは群像劇のなかで、賢さを表に出さずに暴れる賢さがあった。そこが良かったんだと思います。
■「社会的発言も心に響く」吉永小百合さん
《俳優の吉永小百合さんの話》 本格的な共演は「映画女優」だけでしたが、密度の濃い日々でした。市川崑監督のもと、田中絹代さんと溝口健二(映画では溝内)監督に扮しての芝居でしたが、緊張感の中で胸が躍りました。近年の社会的なご発言も、私の心に強く響いております。ご冥福をお祈り申し上げます。
■「文ちゃん。もう一度飲みたかったなぁ」松方弘樹さん
《「仁義なき戦い」など数多くの作品で共演した松方弘樹さんの話》 高倉健さんに続いて文ちゃんの訃報(ふほう)に接して、言葉もありません。文ちゃんとは「仁義なき戦い」「修羅の群れ」と数え上げればキリがないほど共演作も多く、プライベートでも仲良くさせてもらいました。息子さんを亡くされてからは、より一層絆が深くなったおしどり夫婦。奥様の気持ちを思うと心が張り裂けそうです。
2014年12月1日 朝日新聞

映画「トラック野郎」「仁義なき戦い」シリーズなどに出演した元俳優の菅原文太さんが死去していたことが1日、分かった。
◆菅原文太(すがわら・ぶんた)1933年(昭8)8月16日、旧満州(中国東北部)生まれ。
高校まで仙台市で育つ。早大中退。58年新東宝にスカウトされ「白線秘密地帯」で映画デビュー。代表作に「仁義なき戦い」シリーズ、「トラック野郎」シリーズなど任きょうものが多い。09年に山梨県韮崎市で農業を始め、俳優業の一線から退いた。
■「賢さを表に出さずに暴れる賢さがあった」高岩淡・元東映会長
《高岩淡・元東映会長の話》 文ちゃんは新東宝でデビューしたんだけど、あまり芽が出ず、流れ流れて東映に来た。私が東映京都撮影所長になる少し前、若山富三郎さんの子分を演じた「極道」(68年)の撮影で初めて会ったのかな。長身でがっちりしていて、ほかの俳優と違ったインテリジェンスを感じさせる人でした。話し方も物腰も落ち着いていましたね。そんな文ちゃんが「仁義なき戦い」で暴れまくる。文ちゃんは群像劇のなかで、賢さを表に出さずに暴れる賢さがあった。そこが良かったんだと思います。
■「社会的発言も心に響く」吉永小百合さん
《俳優の吉永小百合さんの話》 本格的な共演は「映画女優」だけでしたが、密度の濃い日々でした。市川崑監督のもと、田中絹代さんと溝口健二(映画では溝内)監督に扮しての芝居でしたが、緊張感の中で胸が躍りました。近年の社会的なご発言も、私の心に強く響いております。ご冥福をお祈り申し上げます。
■「文ちゃん。もう一度飲みたかったなぁ」松方弘樹さん
《「仁義なき戦い」など数多くの作品で共演した松方弘樹さんの話》 高倉健さんに続いて文ちゃんの訃報(ふほう)に接して、言葉もありません。文ちゃんとは「仁義なき戦い」「修羅の群れ」と数え上げればキリがないほど共演作も多く、プライベートでも仲良くさせてもらいました。息子さんを亡くされてからは、より一層絆が深くなったおしどり夫婦。奥様の気持ちを思うと心が張り裂けそうです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます